第9話 中央島
中央島は政治、工業、商業を始めとする全ての中心地。
比較的自然が残る第七島とは違い、建物などの人工物で埋め尽くされている。
久々に見る物々しい街並みに、ソルは懐かしさを覚えると同時に身の引き締まる思いをした。
「兄さん! 休憩はもういいでしょう。早く行かないと店がしまっちゃうよ!」
橋の近くは広場になっており、その広場の一角にあるベンチに座り二人は休憩していた。
橋を渡り切ってから何度目か、そわそわと興奮した様子でルナが急かしてくる。
中央島に来るのが初めてではないソルでも、少々感じ入るものがあったのだ。ルナが興奮するのもわかるが。
「それが、今さっきまで訓練時代を思い出すような力作業をしていた兄に言うことか?」
腕を引っ張ってくるルナに、座ったままの状態で抵抗する。
非力なルナがうんうん唸るも、ソルの身体は動く気配がない。
何度も休憩を挟んでいたとはいえ、人一人を背負ってそれなりの長さの距離を歩いたのだ。
足腰の疲労から立ち上がるのも億劫だった。
そして本来であれば凍えるほどの高さにある空の島は、外周部を覆う特殊な膜によって気圧等の調節が行われており、人がそれなりに快適だと思える温度になっている。
そのため上着を脱いでしばらく休憩していたソルだが、流れる汗はまだ止まっていなかった。
「それはぁ、少しだけ私にも非があるけどさぁ……」
「少し、というか全部な」
「機関の訓練はもっと厳しかったんじゃないの?」
「そりゃ訓練だからな」
「だったら――」
「だったら? 俺は今日訓練をするつもりで家を出てないんだよ」
機関とは地上探査機関と呼ばれるソルの所属する組織であり、性質上最初は誰であっても一定の訓練は受ける。
しかしこの数年は技術開発と研究に重きを置いており、訓練と呼べるようなものからは離れていた。
「そっか。言っとけば良かったね」
「私をおんぶして運んでもらうことになるだろうって? 事前にそんなことを言われてたら、お前は今ここにいないだろうな」
「むむ。でも力作業はさすがにひどいよね。言い過ぎだよ」
「お前は自分のことを妖精かなにかだと思ってるのか?」
口を尖らせる妹に、信じられないような目を向ける。
二人の年齢はソルが二十代前半で、ルナは十代の後半である。
女性の中では軽い方かもしれないが、もう間違いなく子供と言える年齢ではなかった。
「妖精のようにかわいいだなんて、兄さんってば」
頬を赤らめ照れるルナ。
そもそも妖精自体が本の中に出てくるような架空の存在であり、可愛いとも限らないが。
呆れたソルは力なく首を横に振った。
「妖精のようだとも、かわいいとも言ってないが」
「兄さんは言葉より目で訴えるタイプだからね」
「……なあ、それ流行ってんの? 馬鹿のコミュニティとかでさぁ。前にもそんなこと言ってきた奴がいたけど」
「くっ。すでに実践済みだっただなんて。さすが変な女に好かれると噂の兄さん」
悔しそうな表情のルナは、変なところに感心していた。
「誰だ。そんな噂流してるのは」
「まあそれは置いとくとして……あ、ほら。良いこともあったじゃん」
「良いこと?」
ソルが聞き返すと、したり顔になったルナは言う。
「私の胸、背中に当たってたでしょ」
「おんぶしてたら当たるだろ」
「気持ちよかった?」
「気持ち悪いことを聞くな。というよりも、覚えてない。意識もしてねえ」
「嘘だよ! 男はみんな意識するものじゃないの?」
「好きな奴は多いな」
「え、兄さんは好きじゃないってこと?」
「そんなことはないが」
「じゃあ意識しないとおかしいじゃん!」
「お前が妹じゃなかったらな」
「そんなのひどいよ! 妹差別だ! 妹でも、胸は胸だよ! むしろ兄として、妹の成長を確かめておくのは重要でしょう!」
自分の胸に両手を当てながら大きな声を出したルナ。
少し離れた場所にいた二人の女性に、やや興味深そうな様子で視線を向けられる。
顔を真っ赤にして下を向いたルナは、静かにソルの隣に座った。
「あー。あっつい、あっつい。今日は暑いね、兄さん」
すまし顔のルナが、パタパタと自分の顔を手で仰ぐ。
「そうだろ。俺の着てるシャツなんて絞れそうなくらいだ」
特にルナが長時間くっついていた背中の濡れ具合が酷い。
シャツがぴったりと汗で張り付き、そのままにしていると風邪を引きそうだ。
「少しは落ち着きが生まれたようで何より。兄として妹の成長を実感してるぞ」
「うん」
「あと少し休憩したら、今日はもう宿泊先に行くからな」
「うん」
本来ならもう少し早く到着する予定だったが、橋を渡るのに時間をかけたことで日が傾き始めていた。
中央は夜でも活気があり、開いてる店が多いのもソルは分かっていたが、今日は回る元気がなかったので黙っておく。
「そういえば、帰りはどうするんだよ」
休憩している間、当然にして思いついたことを問いかけた。
ルナが高所をあれほど怖がるとも、まさかこの年になって妹をおんぶすることになるとも思っていなかった。
しばらく中央に拘束される可能性のあるソルに対し、ルナはまだ第七島の教育機関を卒業していない。
状況次第では一人で帰る必要があるのだが、言われてようやく思い至ったのか、ルナは絶望を顔に張り付けていた。
「……に、兄さんが、帰るのを待つ」
しばし悩んだあとルナはそう言った。
自分で口に出した後、まるで良いことを思いついたときのように、うんうんと頷いている。
「それしかない。私にはもう、それしかないんだ!」
逃げ道のない中で唯一の活路を見出した時のような雰囲気。
しかし今は決してそのような場面ではない。勝手に追い詰められているだけである。
「いやいや、お前の未来には無数の選択肢があるぞ」
「ないよ。私は待つことにしたの」
「おすすめは恐怖に打ち勝ち一人で帰る、だ」
「わざわざ自分から恐怖に飛び込む必要なんてないよ。待てばいいだけなんだから」
「何日かかるか分からないけど」
「いつまでも待ち続けるわ、私」
壊れたように、同じことしか言わなくなったルナ。
無駄に凛とした表情で格好をつけているが、帰らない理由が怖いだけだということを知っているソルとしては鼻で笑うしかない。
「仕方ない。しばらく帰れそうになかったら、頼んでみるか」
「あ、うん。なんだかごめんね。お仕事も大変な時なのに。橋を渡り切るまででいいから。そこからは一人で帰れるから――」
何か勘違いをしている様子のルナ。
ソルは首を傾げながら言った。
「いや、その辺のおじさんでも捕まえて、運んでもらうよう頼むつもりなんだが……」
「そっちの方が恐怖だよ!」
「大丈夫だ。できるだけ紳士的で、汗も一切かかないような清潔なおじさんを探そうとは思ってる」
「こわっ! ヒトじゃないよそんなの!」
「おい馬鹿。静かにしろ! もしもその辺に偶然当てはまるようなおじさんがいて、聞かれでもしたら引き受けてもらえなくなるだろうが」
「兄さんは知らないかもしれないけど、この世界に紳士的で、汗もかかないような無味無臭おじさんなんて存在しないの!」
「……無味無臭おじさんってなんだよ」
「とにかくやだ! 絶対にやだ! そんなのはもう、緩やかな人身売買と同じだよ! 腹を空かせた猛獣の前に生肉だよ!」
「お前は一度、世界中の清廉潔白おじさんに謝れ」
「清廉潔白おじさんってなによ! やだー!」
やだやだと駄々をこねるルナ。
あれも駄目、これも駄目と何とも我儘な奴だとソルはため息を吐く。
最後は涙目になっていたルナに冗談だと伝えはしたものの、ではどうやって送り届けようかと頭を悩ませる。
「まあ……今はいいや。汗も引いてきたし、そろそろ行くか」
問題を先送りにしたソルは、恨めしい目を向けるルナを連れて宿泊先へと向かった。
中央島に到着した次の日、ソルたち二人は朝食を取った後、宿泊先を出た。
初めに向かったのは勤め先でもある地上探査機関の本部である。
来てもつまらないと伝えはしたが、一度見ておきたいと言うのでルナも同行することになった。
道中は他愛もない話で時間を潰していると、すぐに目的地が見えてきた。
「うわあ、さすがに広いね」
一つの敷地内に大きな建物がいくつか納まっているのが見えた。その敷地内全てが地上探査機関の施設である。
周囲は壁で覆われており、二人は門のある入口まで壁伝いに歩いた。
入口には守衛が一人立っていた。
「お疲れさまでーす」
ソルは社員証を提示しながら、守衛に声をかけつつ門の内側に入っていく。
「オッスオッスー!」
隣を歩いていたルナも、若干ふざけた挨拶と共に内側へ。
「ちょっと、ちょっと!」
自然と入場しようとしたが、しっかりと止められる。
愕然とした表情をするルナは、まるで裏切られたかのような目をソルに向けた。
「すみません。社員証の提示をお願いします」
「え? あの……その」
「もしかして、なくされたのでしょうか。それであれば――」
「あ、いや。そういうわけでは。あ、でも、やっぱそうだったような」
しどろもどろになったルナと守衛のやり取りを見ながら、ソルは止められたことに疑問を感じていた。
そのため呼びかけられていたことに気付くのが少し遅くなってしまう。
「おーい兄さん! 兄さんってば!」
「おっと、悪い悪い」
むすっとした表情のルナに一声かけ、ソルは守衛の方へ近づいていく。
「ご家族の方ですか?」
「ええ」
「それではお客様用の入館証を、隣の受付で発行してもらってください」
「分かりました」
小言を重ねるルナを受付へと連れていく。
申請作業をしている間、手が空いたソルは先ほどの守衛に疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「これほど、厳しくしてましたっけ? いえ、今の対応の方が本来正しいのですが」
競合他社なんてものが、ほとんど存在しない空の世界。
セキュリティに関して、敷地内でもソルの所属する技術部などがある建物では元々それなりの対応はしていたが、入口で止められたのは初めてだった。
少なくとも社員証を持つ者の関係者であれば、入口くらいは素通り出来ていたはずなのだが。
「あーそれが、ここ最近で一気に厳しくなりまして」
「最近?」
「ええ。最近と言っても数か月は前だったかと思います。理由は、特に聞かされていないのですが」
第七島の支部とはいえ、ソルは機関の一員だ。
何か契機になるような大きな事件でもあったのなら、耳に入ってもおかしくはなかったが。
「そうですか。ありがとうございます」
取り立てて騒ぐようなことはなく、ただ警備を強化でもしたのだろうと判断したソルは、礼を言って守衛との話を終わらせた。
気になるようなら、後で本部の誰かに聞けばいいと思ったからだ。
「兄さん、お待たせ」
自分たち以外の来訪者が、ほとんどいない入場口をぼんやりと眺めていると、ルナの入場手続きが終わった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。じゃあ行くか」
小さな疑問を頭の隅に追いやり、ルナを連れて歩き出した。
「ねえねえ。聞いてた話と違うんですけど?」
「知らなかったから」
「大丈夫だって、自信満々に言ってたのは兄さんだよね」
「知らなかったから」
「どれだけ確率が低くてもね、起きる時には起きるものなの! 謝ってよ!」
「知らなかったから」
敷地内を進み、技術部の面々が詰めかける建物へと向かう途中はずっとルナの不満を聞いていた。
不満の内容は先ほど入口で止められた件だったが、大した問題ではないためソルは適当にあしらっていた。
「私が恥ずかしい思いをすることなく、引率する責任が兄さんにはあるよね?」
「知らなかったから」
「そういうのは、よくないと思う。一度は私が一緒に行くことを受け入れたんだから、ちゃんと認知してもらわないと」
「知らなかったから……ん?」
気付けば目的の建物の近くまで来ていたソル達の前に、無精ひげを生やした男が一人立っていた。
無精ひげを生やした男は建物の外に出て休憩でもしていたのか、飲み物の入ったマグカップを手に持っている。
「大丈夫だって自信満々に……? 起きる時には起きて……責任を……?」
ソルたちの方を見ながら、ぶつぶつと呟く無精ひげを生やした男。
そしてなぜか男の手は小刻みに震え始めていた。
「おう、アッシュじゃねえか。久しぶり――」
男は知り合いだった。
ソルが挨拶をした瞬間、アッシュと呼ばれた男はマグカップを地面に落とした。
飛沫が自身の服に飛び散ることも厭わず、鬼気迫る表情で近づいてくる。
「おい。おいおいおいおい、おい! ソルお前!」
「なんだよ」
大股で近づいてきたアッシュがソルの両肩を強く握り、口を開く。
「お前に何があったのかは知ってるさ。でも、それとこれとは話が別だろ!」
「何だ? 何を言ってる?」
「だから――」
アッシュは一度ルナに視線を向けたあと、またすぐにソルに視線を戻して言った。
「お前、男としてそれでいいのか! 認知くらいはしてやれよ! この鬼畜!」
「は?」
ソルの呆れた声と共に、ルナがくすくすと笑った。
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