第8話 橋の上
「うーん。森しか見えないね」
思うところはあったが、結局ルナを背に乗せて橋を渡り始めた。
ルナがきょろきょろと周りを見ているのが背中越しに伝わってくる。
「おい、目を瞑ってるんじゃなかったのか」
「兄さん号に乗ってると、まだ平気みたい」
「誰が兄さん号だ。降ろすぞ、クソガキ」
「だめだめだめだめ。それは絶対無理! だめだから!」
そう言いながら、首に腕を回して抱き着いてくるルナ。
ただでさえ重労働だというのに、負荷が加わった苦しさで喉から変な声がでる。
しかしここで降ろそうとすれば、より暴れられるだろうことは想像に難くない。
回された腕に込められた力が緩まるのを待って、なんとか持ち直した。
少し息を切らしながら再び歩き始め、ソルは右に左に視線を移す。
生まれた時から変わらない景色。
眼下は基本的に雲が拡がっているが、雲がないときは広大な森が見える。三百六十度、どの方向を見渡しても緑一色に染まっていた。
「兄さんが進んだのはどっちの方向なの?」
「三年前か」
「うん」
「ここからじゃ、よく分からないな」
雑談をしながらゆっくりと橋を進む。
「それにしても、誰にどんな理由があってこんなもの作ったのよ」
いつの間にか、話の対象は空の上の人工物へと変わっていた。
今ちょうど渡っている最中の、島同士を繋ぐ橋について、ルナは不満をぶつけていた。
文句は自分の足で渡ってからにしろ、と言いたい。
「過去の天才が人類を生き延びさせるため、かな」
「なーんでわざわざ、壁の向こうを見えるようにしたのよ!」
壁は高く、誤って落ちるということはそうないが、半透明の材質でできていた。
ルナが必要以上に怖がっているのもそのせいだ。
「いい景色だろ?」
ソルが感想を口にすると、ルナは力なく首を横に振った。
「しかし改めて考えると、空の上に国を作った奴はすごいな」
幾度か休憩を挟みつつ、橋を進むのも終盤に差し掛かった頃、中央島が見えてきた。
陸塊の下部から、地上に向かって大きな円柱のような人工物が伸びているのが見える。
ソルたちの住む陸塊は、実際には浮いているというわけではなく、地上に突き刺さっていると言い換えてよい状態。
巨大なきのこの、傘の上に住んでいることを想像すれば分かりやすい。
知識としては分かっているものの、その壮大さは何度見ても迫力があった。
「地上から逃げるために必死だったんでしょ?」
「それもあるだろうが、今同じものを作れと言われても出来ないらしいぞ」
人手も足りないだろうが、何より技術の再現が不可能だ。
構想を練り制作の指揮をとったのは、たった一人の天才だったとされているからだ。
その天才はもういない。
年齢的にも生きていればおかしいが、そもそも知識と技術の全てを継承することなく行方をくらませてしまったのだ。
「……何人、死んだんだろうね」
ルナが寂しそうに小さな声で言った。
いきなり何をと思ったが、一呼吸おいてルナの言っていることの意味に気づいた。
「全滅よりはまし。そう思っておくしかないな」
なんらかの理由で、地上で生きていられなくなった人類が空へと逃げた。
生き延びられた人がいたということは、その逆の人たちもいたということ。計算する必要もなく、比率的には逆の人たちが圧倒的に多いだろう。
空へと逃げる発想は凄い。やり遂げた技術も凄い。
しかしその過程を考えると、嫌な想像が頭をよぎる。
生き延びた人々は選ばれたのか、たまたま近くにいただけ等という偶然だったのか。それとも。
滅亡を避けるためだ。何があったとしても不思議ではない。
過去のこととはいえ、その生き延びた人類の血を引くソルたちが気にならないわけではなかった。
「うーん。やっぱり兄さんの功績ってすごくない?」
よくあることだがルナは結論から話を始めることがある。
慣れているソルは揶揄う場合を除きいちいち聞き返さないが、時々勘違いすることもあった。
今は揶揄いたい気分でもなかったため、少し考えてから問いかける。
「地上探査のことか?」
「うん。やっぱり大事なんだって思って」
「まだ、どうなるかなんて分からないぞ。何か変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない」
「もっと自信を持ってよ。何かが変わるかもしれないってだけで、凄いことなんだから」
現在の技術では同じものを作れない。となれば、いつかは空上の生活が崩壊してしまうのは誰にでもわかる。
再び地上に移住できるよう部隊を送り込み、必死に探査を続けているのはそのためだが。
ルナの言った功績というのは、その地上探査においての最大の障害に対して、有効的と思われる技術をソルが発見したことだ。
「何か貰えるのかな」
ルナが声を弾ませる。
「さあ。でも期待はしていいと聞いている」
ソルが中央に行くのは、その研究開発に対する進捗を聞くためであり、またある程度の成果が見込めたことに対する褒賞を受け取るためだった。
「さっきのお前の話じゃないが、これでもう不自由なく過ごせるな」
「別に。不自由なんてしてないし」
今度はいじけたような声を出したルナ。
「嘘つけ。あれが欲しいこれが欲しいって、いつも言ってるじゃないか」
「それは、贅沢に当たるものだからいいの。夢くらい見させてよ」
「文句を言ってるわけじゃない。けど、これからの俺の頑張り次第では、お前の言う贅沢が当たり前になるかもな。将来の明るい兄がいて幸せだろ」
「まだ、頑張るの――?」
軽口を言い合い、返ってくるのを期待したはずが、少し驚いたような口調でルナは言った。
表情が見えないため、どういうつもりで言ったのかは分からない。
しかしなんにせよ、ソルの答えは決まっていた。
「それはそうだろ」
悩むことなくそう返した。
むしろ何を驚くことがあるのかと不思議に思う。
研究も、それに付随する技術もまだまだ始まったばかり。
どちらかと言えば、これからの方が大事なのだから。
「あ、いや……そうだよね。わかってるよ兄さん」
「なんだ?」
「何でもなーい。考えたんだけど、やっぱり何か貰えるならお金がいいな」
「結局それか。まあ俺もだけど」
「違うよ!」
「違うのか?」
「んーいや、違わないけど」
「どっちだよ」
ソルは苦笑する。
何を不満に思ったのか、ルナは唸り声をあげながらぐりぐりと頭を背中に押し付けてくる。
「だって、たくさんのお金を貰えれば兄さんが――」
「俺が?」
「……きっといっぱい贅沢させてくれるから、嬉しいなって」
期待しているぞ、とばかりにポンポンと頭を叩かれる。
何か言おうとして、結局すぐには何も言えずソルは言葉に詰まった。
口で何かを言う代わりに得意気に鼻を鳴らす。
「ある程度のわがままだったら聞いてやる」
「おお! 頼れる男って感じ。素敵よ兄さん」
「お前が、どこかに嫁に行くくらいまではな」
「えー! ずっとじゃないの!?」
「図々しいな」
冗談交じりの会話を続けながらも、ソルは頭では違うことを考えていた。
あれからだ。あの地上探査から帰ってきた日から、ルナは以前よりも甘えてくるようになってしまった。
精神的に、やや不安定とでも言うのか。
何か無理をさせているのは分かっていた。それこそ、自分の知らないところで負担をかけてしまっている。
甘やかしすぎていることは自覚している。でも、今は。
「じゃあ、兄さんより稼ぐ人を見つけないとってこと?」
「お前の男の基準は金なのか? それに相手からしたら、頻繁に妹に構ってくる義兄なんて嫌だろ」
「わかった。兄さんが私を構い倒しても、喜ぶ相手を基準にするね」
「そんな奴は俺がお断りだわ」
だからソルはせめて生活で苦しませないようにと決意を新たにする。
それが今の自分にできる最善だと信じて。
力を入れ、幼い頃と比べると随分と重くなった妹の体を背負いなおす。
「兄さんってさ、結構モテるよね」
くすくすと笑いながら言うルナ。
ルナの話だったはずだが、流れでソルの話に変わったようだ。
「顔がいいからな。これからはそこに甲斐性も加わる」
無言で後頭部を叩かれる。
「あんまり調子に乗らない方がいいと思うよ」
「ただの事実だ」
ルナがため息を吐いた。が、否定まではしないようだ。
「まあ、そういうところかもね」
「なにが」
「顔とか甲斐性とかは関係なく、一部の女は寄ってくるだろうってこと」
「顔と甲斐性は重要だろうが」
ルナが再びため息を吐いた。
何やら呆れられているような、半分馬鹿にされているようなため息だった。
「でも、恋人ができたことはないよね」
「お前の知らないところで会ってるに決まってんだろ」
「兄さんの友達が、そんな気配は一度もなかったって言ってたよ」
「は? なんだそれ」
「好きでずっと追いかけてたんだって。私も色々聞かれたよ」
驚きのあまり、ソルは立ち止まった。
友人と呼べるような女性は、数えるほどしかいなかったからだ。
「それ、男とか言わないだろうな」
「残念ながら女の子だよ」
何が残念なのか。
気づかず逃したという意味では、残念だったのかもしれない。
「そんな素振りのあるやついたかな? なんでそれを、もっと早くに言ってくれなかったんだ」
「そんなの言えるわけないじゃん」
「よし、帰ったら聞いてみよう」
「お前俺のことが好きだろ? なんて言いながら、聞いて回るってこと? こわっ!」
「それは、いくらなんでも直接的過ぎる」
そう言うと、ルナは少し黙った。
何かを考えている様子で、少しの間を置いて口を開く。
「いやぁ。想像してみたんだけど、メルヘン思考の馬鹿女には、案外悪くない手だったりするかも……」
どうやら思っていた以上に、しょうもないことを考えていたようである。
「そんな馬鹿女は求めてない」
「でもいるよ? 兄さんの周りにもそういう雰囲気のある人」
「特に思い当たらないけどな」
「もちろん兄さんの前では隠すよ。普段よく喋る人じゃなくて、たまにおどおどと話しかけてくるような人は怪しいね」
「ああ。お隣さんとか、雑貨屋の姉妹みたいな?」
「そうそう。ああいう感じのおとなしそうな子たち。あの子たちの妄想で作られた兄さんはきっととんでもないよ」
「パン屋のお姉さんは違うよな?」
「あー、あのお姉さんは一見姉御肌でさっぱりしてるけど、実はなんでもいいから兄さんと会話がしたいだけの乙女なんだよね。まあ種類は少し違うけど、壁際に追い込みドンして、俺様で迫れば一発で落ちるよ」
ルナの完全な独断と偏見により、周囲の女性がメルヘン馬鹿女だらけになっていく。
ちなみに、ルナの話したことは半分くらい理解できなかった。同じ言語だというのに不思議だ。
追い込みドン、とはなんだろう。俺様で迫る、は言葉の意味からやや分かる。
でもきっと知らないままでいた方が良いのだろう。
「特に兄さんは興味のない相手には素っ気ないからね。ちょっと憧れてるけど、話しかけられない。そんな相手から、俺のことが好きだろ? なんて言われたらもうね」
結局ルナ先生のありがたい馬鹿女講座は、ソルの周りにいる女性全てがその対象となった。
「だから試してみようよ。少なくとも、傍から見てる分には面白そうだから」
「そりゃあ、お前は楽しいだろうな。実行した次の日から俺の居場所がなくなるわ。ないない。冗談に決まってるだろ」
「えー! 聞いて回らないの?」
「やるわけないだろ。しかしそれなら……あれ?」
「ああ、気付いちゃった?」
ようやく気付いたか、とでも言いたげなルナの口調。
ヒントらしきものはずっと出ていたのだ。
「そいつってさ、今も
「分かんない」
ルナの言い方に、確信を得る。
そもそもソルが気づかないほど本人が必死に隠していた想いを、このような形で伝えられる時点で、今はすでに繋がりがなくなった相手だと考えることができる。
一応他の可能性も探ったが、第七島にいるかどうかも分からないという情報だけでその可能性はなくなった。
そうなると思い当たる奴は一人しかいなかった。
「いくつの時の話だよ」
「ちょっと変わった子だったよね。常識を知らないっていうか、野性的というか」
「子供だったからな。今思えば、所々の所作がいいとこのお嬢って感じもする」
「まあ、すっごく可愛いかったのは確かだよ。勿体なかったね、兄さん」
「否定はしない」
子供の感覚なので当てにはならないが、幼い頃に数日だか数か月だかを一緒に過ごした女の子がいた。
どこの家の子かも分からないし、遠くに行くと言って、そのまま姿を消してしまったのが最後だ。
勿体ないと言われればその通りではあるが、恥ずかしがるには程遠い、過去の思い出だった。
「というかお前、さっきは俺にずっと恋人がいない、みたいな言い方をしなかったか?」
「うん。そうだね」
何でもないことのようにルナは認めた。
そしてあっけらかんとした態度で、続けて言う。
「さっきの反応で、いなかったってことはよく分かったよ」
「試したのか? 意地が悪いな」
「兄さんの妹だからね」
ルナはなぜか自慢をするように胸を張った。
「あ、街並みが見えてきた。ほら、あと少しだよ。頑張って」
「そうだな。あと少しだ。頑張れよ」
そう言って、ルナを素早く降ろしたソルは、罵詈雑言を背に受けつつも一人で橋を渡り切った。
その後、泣きべそをかきながら橋の上に蹲ってしまったルナを、しばらくの間眺めていた。
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