第二章 空の島
第7話 島を繋ぐ橋
空に浮かぶように存在する八つの巨大な陸塊。
滅びゆく地上から逃げ出した人類は、生きる世界を空へと移していた。
中央にある一際大きな陸塊は中央島と呼ばれ、その中央島を中心にして七つの島が周りにある。
隣り合う島同士には橋が架けられ、まるで空に張られた蜘蛛の巣のようであった。
初の地上探査から三年後、ソルは生まれ育った第七島から中央島へ繋がる橋、その始まりに立っていた。
「こっわ!」
隣にいる妹のルナが、橋の先を見つめながら震える声で言った。
「対岸が見えないよ」
「そういえば、ルナは橋を渡るのは初めてか」
引きつった表情のルナを一瞥したソルは、躊躇することなく橋を渡り始めた。
確かに対岸が見えないというのはどこか不安を煽られる光景だが、橋を渡るのはこれが初めてではない。
橋の先には間違いなく陸があることは知っている。加えて頑丈な高い壁が側面を覆い、うっかり落ちてしまうといった危険性のない橋に恐怖心はなかった。
「うん。そうなんだよね……って、ちょっと。ちょっと待って!」
「なんだよ、置いてくぞー」
ひどく焦ったような声を出すルナに苦笑する。
気持ちは分からないでもないが、生まれた時から空の上にいるというのに、高所を怖がるとはどういうことなのか。
地上の重厚感のようなものを一度経験した身としては、島のどこにいようと絶対安全かと言われれば、そうではない気がしていた。
決して人は空を飛ぶことはできない。
なにかきっかけ一つで崩壊してしまうのが空の上の生活なのだと、認識を改めていた。
「というわけなんで、割り切っていこう」
「何がというわけなのか、説明がほしいのだけど。おーい兄さん!」
「どうかしたか?」
「どうかしたか? じゃなくて。もしかしたら、気づいてないかもしれないから言うけどね――」
そこまで言って、ルナは一度大きく息を吸った。
「もう置いてってるよ! 大事な妹を!」
「ええ?」
「何驚いてるの? 後ろ後ろ! 後方に置き去りにされています!」
「おお、本当だ」
振り向くと、ルナはまだ橋の入り口に立っていた。ルナの言った通りの状況に、ソルは思わず感心する。
確かに背中の方から声が聞こえるな、とは思っていたが、どうやら勘違いではなかったようだ。
目が合い、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたルナだったが、次第にその頬を膨らませていった。
「おかしいよ!」
「なにが」
「待ってって、言ったじゃん! なに普通に話しながら、自然と置いてっちゃってるの?」
「悪い。気づくのが遅れたようだ」
人間素直が一番と聞く。
素直に謝罪の言葉と理由の説明をしてみせたが、ルナは恨みがましい目を向けてきただけだった。
「そうじゃない、そうじゃないけど。まあ、うん。気づいたならいいや。早く戻ってきて」
「おう、任せろよ……いや? ちょっと待て?」
戻ろうと一歩を踏み出そうとしたソルは足を引っ込めた。
その行動を見たルナは少し不安気な表情になっていく。
「どうしたの?」
「気づいたと言えば、俺も今一つ気づいたことがあってな」
「え?」
「たとえ数歩でも、俺が戻ったら非効率的だとは思わないか?」
真面目な顔を崩さずそう言うと、ルナは何も言わず目を細めた。
「わざとやってるでしょ」
いくらかの沈黙のあと、静かに怒った様子のルナが言った。
「ええっと、何をだ」
「とぼけないで! かわいい妹が……」
「え? かわ――」
「かわいすぎる妹が! 困ってるのを楽しんでる!」
「はは、馬鹿な。それは誤解さ。かわいすぎる妹が、困ってるのを楽しむ兄なんていないぜ」
「口調がもう嘘くさい。誰それ」
「失礼な。それにな、もう一つ気づいたことがあるんだ。こっちはかなり重要だ。今のお前の状況にも関係がある」
「……なによ」
重要かつ自分にも関係があると言われ、むすっとした様子ではあったがルナは聞く姿勢を取った。
なんという気づきなのだろう、とソルは自画自賛する。
この気づきを早く教えてやらねばと、少し興奮気味に説明を始めた。
「橋が壊れるのが怖い。それはもちろん俺もだ。死ぬからな」
「いや私も壊れるとまでは思ってないよ? ていうか、やっぱり私が動けない理由も分かってるじゃない!」
「まあ聞けよ。そのことを考慮するとだな、俺がこれから余計に往復する分だけ、僅かにでも橋の耐久力が落ちるってことになるだろ。もしかしたら、それがとどめになって――」
「あああ! ごちゃごちゃとうるさい! とにかく早く戻ってきてよ!」
ついには話を最後まで聞かず遮ってきたルナを見て、ソルは肩を竦めつつ歩き出した。
口を尖らせたままじっと睨んでくる妹に、兄らしくにへらと笑ってやる。
「そんなに怖がるなよ。仮に落ちてもこの高さだ。痛みを感じる暇もなく即死だろ」
「なんでそういうこと言うの?」
「いやなんか、半端に生きながらえる方が苦しいかなって」
「……いじわる」
橋の始まりまで戻った途端、ソルの片腕は抱き着くようにしてルナにとられていた。
結構元気に騒いでいたようだが、本当に怖がってはいたのだろう。
ルナの体の震えが腕を通して伝わってきたのを感じ、少し揶揄い過ぎたかと反省する。
「あー今からでも帰るか? 別に俺一人でも」
表情を切り替え、真面目な顔で問いかける。
今回中央に行く必要があるのはソルだけだった。
「やだ」
首を振るルナ。
それほど怖がるならと提案したものの即答だった。
「でも怖いんだろ」
「そうだよ」
「なんとかなりそうなのか」
「無理かも」
「なら行けないじゃん」
「絶対行く」
論理的に破綻しかけているが絶対行くと言って譲らないルナ。
「じゃあどうするんだよ」
と、ソルが尋ねるとルナは俯いてしまった。
そしてしばらくすると何かを決めたのか、目を閉じ一度深呼吸をする。
「どうするか決めたのか」
「どうするも何も、最初から行くって決めてるよ」
「そうか、じゃあ――」
「まあまあ、待ってよ。その……ね?」
「ん?」
「……パパとママが早くに死んじゃって、家族はもう兄さん一人だけ」
「何だ唐突に」
俯いたままのルナが突然何かを語りだした。
「私が不自由しないようにって、兄さんが今まで頑張ってきたのは、私が一番よくわかってる」
抱え込まれた腕にかかる力が少しずつ強くなっていく。
「それが、やっと認められたんだ」
いつの間にか体の震えが止まっていたルナ。
最後に顔を上げると、明るい表情で言った。
「そんな頑張ってきた兄の晴れ舞台を近くで祝えないなんて、妹が
言い切って、照れくさそうに笑ったルナ。
なにやら格好をつけた言い回しをしているようだが、結局何が言いたかったのか。
ソルの心に響くものは何もなかった。
「そうか。そうだよな」
「そうなんだよ。わかってくれた?」
「いや、分からないけど」
「もう。いつまで経ってもそんなんだから。やっぱり、私には兄さんがついてないと」
「なんかおかしくないか、それ」
しかし二人は長年の付き合いではある。
大体こういった、ルナがそれらしい理由を上げて感傷に訴えかけようとしてくるときは、何かをお願いしたいときだと分かっていた。
問題はそのお願いの内容である。
「それで、お前は結局――」
「あ、あのね兄さん!」
苛立ちを見せ始めると、ルナは焦ったように口を開いた。
「目を瞑ってれば、多分大丈夫だから」
「ほう。それで歩けるようなら片腕くらい貸してやるが」
「あ、歩くのはちょっと。足が竦んじゃって、ね? ね?」
「何が言いたい」
「……向こうまで、運んでくれたらなあって」
「はあ?」
「だからね。あの、抱っこ……はさすがにあれだから、おんぶとか」
尻すぼみに消えていった言葉と共に、おずおずと両手を広げたルナ。
先ほどの唐突な身の上話を語り始めた時よりも顔が赤くなっていた。
「ど、どうかな?」
ソルは無表情のまま沈黙していた。
「その、なにか言ってくれると助かるんだけど」
表情が抜けたままのソルは大きなため息を一つ吐いたあと、その場に背を向けしゃがみ込むのだった。
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