第6話 調査報告書

 怪物と呼ばれる存在がいる。

 体躯に対して大きな頭部に、長い手足。そして直立二足歩行を行うという特徴だけを捉えれば、種としてはヒトに近いのかもしれない。

 目鼻立ちははっきりとせず、頭部にぽっかりと空いた三つの歪な穴が目と口にあたる。

 普段は知性の一欠片も感じられないような虚ろな表情をしているが、人を見るやいなや三日月形に大きく口を開け、ぐにゃりと目を歪ませるその表情は、醜悪の一言に尽きる。

 実際に奴らを見た瞬間、体が強張り、身震いするような感覚に襲われたのは本能的に我々ヒトとは相いれない存在だからだろう。


 怪物は群れる。

 奴らは、と記したように怪物は単数ではなく複数存在する。

 一体でも厄介な怪物だが、群れるとさらに厄介なことは言うまでもない。

 協力、をするのだ。しかも食を得るために襲ってくる獣などとは違い、ただ人を殺すためだけに連携する。

 どうにも不合理に思えるが、それが怪物という存在だと言われてしまえば話はそれまで。

 何にせよ、今回は身をもって経験することになってしまった。

 一体の怪物が姿を現し、交戦。そしてその一体が暴れている間、隠れて機を窺っていた怪物どもに隊員たちが意表を突かれたことで、戦況は著しく劣勢に傾いた。

 たったそれだけ、と断ずることはできない。そのそれだけが、どれほど怪物の危険度に幅を持たせるか。

 野営地周辺に現れる怪物の数は年々減少しているとされるが、繁殖の可不可は不明である。

 我々の目の届かないところで、無尽蔵に増えていないことを祈るばかりである。


 怪物は武器をふるい、防具をも身に着ける。

 剣でも、斧でも、槍でも、その手に持てる物であれば器用に扱ってみせる。

 個体差はあるものの、我々より強大な膂力から振るわれる一撃は、簡単に技術差を埋めてくるため脅威である。

 防具についても同様だが、特筆すべきことは何もない。人の真似事をしているように見えるのが、不気味であり不快だ。

 そもそも奴らは一体どこから武器防具を調達してくるのか。

 旧人類。つまり、すでに滅び廃墟となった地上の街などから拾ってきているというなら理解はできるが、明らかに新しく作られたと思われる武器防具を扱っていたという目撃情報もしばしば上がっている。

 もしも奴らにそれらを作る技術があるのだとすれば、脅威度は格段に増す。

 物を作る技術を持つ個体がいるならば、速やかに排除しなければならない。

 いや、それよりも。

 物を作り、物を渡す。どのような形であれ、ある種の社会成立が為されている可能性があることを懸念すべきではないだろうか。


「ンン……ちょっと」


 一人に与えられるにしては広い個人の執務室。

 ソルの提出した報告書に目を通していた技術部の上司が机越しに口を開いた。


「ちょっとこの、怪物について言及している部分についてだが……」

「なんでしょうか」


 丸眼鏡をかけたトカゲ顔の男――名をモイスという――が顔前にあった報告書をずらしてソルの顔を覗き込んだ。


「特に、新しい情報はないようだけど?」


 モイスの皮肉げに浮かぶ嘲笑を一瞥したソルは、モイスが持つ報告書に視線を移してから言う。


「はい。その項の一枚目はただの確認と前置きですので、必要ないなら処分してください」


 ソルの言葉にもう一度報告書に目を移したモイスは、二枚目の存在に気付き片眉を上げた。


「なんだぁ。早く言ってよ、ソルちゃあん」


 言いながら、モイスは二枚目の報告書に目を通し始めた。

 雑に握りつぶされた一枚目は、すでにゴミ箱の中にある。

 互いの視線が紙によって遮られたあと、ソルは顔を歪めた。

 モイスの粘性のある性格と喋り方が、出会った時から苦手だった。


「ソルちゃんは、奴らを見てどう思った?」


 報告書に目を走らせながら、モイスが話を振ってくる。

 器用だな、と内心関心しながらソルは口を開いた。


「俺の意見なら、そこに書いてある通りですが」

「ンン……こういう行儀のいい意見じゃなく、もっと感覚的なところを聞きたいね」

「感覚的、ですか。第七島技術部うちのトップの言葉とは思えないですね」

「直感は時に馬鹿にできないのさ。後から調べれば、論理的に説明がつくことも多い」


 報告書を指で弾きながら言うモイス。

 ソルにしてみればモイスの意外な一面を知った気分だった。


「まず、見た目は影でしょうか」


 何から話そうか、と考えながら話し始める。


「影?」

「ええ。人の影に実体を持たせ、頭部に三つの穴を開ければ奴らですね」

「さっきの報告書にも似たようなことは書いてたねぇ。ソルちゃんはあれが人に近いものだと考えてるの?」

「いえ、全く」


 ソルはきっぱりと否定した。

 確かに報告書にはそのように書いたかもしれない。でもそれはあくまで生物学的な特徴だけを捉えただけの話である。

 資料ではなく実際に怪物の姿を視認した今のソルからすれば、あれらが人と近いものだと考えることもおぞましい。

 例え話のせいで話が横に逸れたが、論点は別にあった。


「奴らの全身が、黒いもやのようなもので覆われているのは、周知の事実です」


 ソルが怪物の第一印象を影と言った理由はここにあった。

 肌の色がということではなく、怪物の体の周囲には常に黒い何かが揺らいでいる。


「その靄に、強弱があったように思います」


 ソルは今回三体の怪物を視界に入れる機会があった。

 大して長い時間観ていられたわけではなかったが、それでもあの瞬間はまだ目に焼き付いている。


「靄の強弱で威圧感が違うとでも言いましょうか、簡単に言えば靄が濃いほど強力な個体に見えました」

「中々興味深い意見だと思うよ。他の部署にも情報は回しておくね」


 ここまでの話は報告書にも載せていた。

 モイスの言葉に無言で頷いた。


「それで、ここからは本当に感覚的というか、妄想の域に入っているかもしれませんが」

「僕が聞きたくて聞いているんだ。いいよ」

「では……黒い靄は我々がオーラと呼ぶそれと同じもののように感じました」

「オーラと?」


 仮に黒い靄がオーラだとすると、怪物はオーラを全身に纏わせていることになる。

 もしかしたらそれが、あの生物にあるまじき超常的な身体能力を生み出しているかもしれず、さらにオーラウェポンとは違って個人ではなくヒト全員が使える技術かもしれない、とソルは考えていた。

 ソルがその考えに至った理由はある。

 人類が戦う術として、まず挙げられるのはオーラウェポンである。

 オーラウェポンは強力だ。武器の形は千差万別で、訓練の合間に自分に合う形を模索していき、習得する。

 剣に、槍に、槌に、飛び道具まで多種多様。

 それらはただの武器とは違って特殊な能力を持つものが多く、身体能力で負ける怪物に対抗できる唯一ともいえる有効な手段だった。

 だからこそ、ソルだって過去苦渋を舐めさせられた。

 そしてあるのだ。それらの特殊能力の中に、使用者の身体能力を上げる性質のものが。


「ンン……非常に面白い意見だけど、ねえ?」


 にんまりと笑うモイス。内心を見抜かれたようでソルは視線を逸らした。

 最初モイスには、この話をするべきかどうか迷っていた。

 しかし意外にも柔軟に話を聞き入れることと、彼の蓄えた知識量の豊富さから、自分だけで抱え込むよりはと思い、話すことにした。

 都合がいい話なのは分かっている。願望が入っていることも認める。

 ただソルは地上探査で何もできなかった自分を責めていた。悔いていた。焦っていた。


「気持ちは分かるけど」


 そう言いながらも、どこか人を馬鹿にしたような表情を隠さないモイス。

 人の機微を読んだ上でその醜悪な表情が出てくるのであれば、やはり質が悪い男だと再認識した。

 だからこそ、この男なら気付くだろうと半ば確信する。


「それに、それが本当だったとしても、どうやって……」


 ぶつぶつと喋っていたモイスの言葉が途切れた。

 笑っていた頬が垂れ下がったかと思うと、爬虫類を思わせるぎょろりとした目が真剣な表情のソルを射抜く。


「ソル……報告書にある最後の項目について、もう一度確認したい」


 ソルは口を開かない。

 ただ黙ってモイスを見据え、一度だけ頷いた。


「怪物どもから逃げ延びた君は、倒れているところを他の部隊に発見され、帰還用の転送装置に乗せられた」

「はい。倒れている間のことは覚えていませんけどね」

「その際、自分の所持品以外の物を持っていた」

「はい。いつの間にか握りしめていました」


 ここは空の上にある世界。地上への行き来には、専用の転送装置が使われる。

 オーバーテクノロジーの極みと言えるこの装置は、人という生物さえも転送が可能だ。


「どこで手に入れたのかは、さして問題ではない。誰の物なのかも一旦置いておくとしよう。君は……持ち帰れて、しまったんだね?」


 転送装置はソウルチップを埋め込まれた生物、要は人体以外の転送は不可能だった。

 服等いくつか例外があるが、それはまた別の技術。

 とにかくソウルチップに情報がない生物由来のデータは、転送先で再構成されないはずなのだが。


「これを」


 ソルはポケットから取り出した黒い塊を、モイスの机の上に置いた。

 一見大きな木の実のように見えるその物体は、どこか金属質の光沢を放っている。


「開閉式の、ロケットペンダント……ですかね? つくりは少々雑ですが、特殊な鉱石が使われています」

「開けても?」

「ええ、どうぞ」


 ペンダントを開けるモイスの手は少し震えていた。

 報告書は読んだはずだが、実物を見て好奇心が疼いているのだろう。


「羽根……か」


 ペンダントの中には、鳥の羽根のようなものが丸めて入れられていた。


「本物なら間違いなく生物由来のものだが、これは何の――」

「分かりません」


 ソルはモイスが問いかけるより早く、先回りして言った。


「すでに簡単な解析は済ませましたが、分かりません。ただ人工物ではないことと、何らかの生物のものであることは確かです」

「ンン……この場合は、報告を先にしてくれなかったことを𠮟るべきか、仕事の速さを褒めるべきか。迷うところだねぇ」


 文句を言いながらもモイスは喜色をあらわにする。

 事前に解析を済ませていなければ、早く調べてこいと言われるのは目に見えていた。

 粗探しが得意な上司の懸念を先に潰しておいたというのに、どちらにせよ文句を言われるのだなと辟易した。


「ということは、だ」


 羽根をくるくると指で回転させながら眺めるモイス。

 気づかれないよう小さなため息を吐いていたソルは顔を上げた。


「こういうことだろう?」


 羽根だけをソルに返し、不敵に笑ったモイスが挑戦的な視線を投げかけてくる。

 ソルは羽根を受け取りつつ肯定した。


「こいつも、もう必要ないですが……そうです。協力いただけるでしょうか」

「ソルちゃんの思惑は別にしても、これなら問題ない。予算も人員も引き出せるだろう」


 互いに主語のない会話が続く。

 しかし歪んだ性格ではあるものの、優秀さについては信頼のおける目の前の男には、間違いなくソルの意思が伝わっていると感じた。

 ソルが注目したのはがわの方、ペンダントに使われている特殊な鉱石だった。

 そして求めた協力は、その特殊な鉱石の成分分析。さらには地上で同じものを発見し、集め、加工すること。一人では到底無理な作業だ。

 そのためにペンダントを見せ、渡した。


「作るのは開閉式の隙間のない大きな箱。目的は、地上の野生動物捕獲による将来起こり得る食糧問題解決の一助、ねぇ……」


 報告書に目を通しながら、鼻で笑うモイス。

 ソルが必死にこねた屁理屈を馬鹿にしているに違いなかった。


「ソル」


 モイスが眼鏡のずれを直しつつ、呼びかける。

 眼鏡の奥に潜む目が怪しく光っていた。


「君が作りたいのは、怪物を閉じ込める檻だろうに」


 しばらく二人は視線を交わしあった。

 無言のまま肩を竦めたソルは、用事は終わったとばかりに背を向けた。


「ああ、そうだ」


 部屋から退出しようとしたところで、モイスが声をかけてくる。


「さっきの件はこっちでも進めておくけどさ、ソルちゃんはこれからどうするの? ソルちゃん以外、誰もいなくなっちゃったけど」


 モイスの物言いにソルは唇を噛んだ。

 ソルの所属する隊が壊滅してから、まだ一週間と少し。

 そして一週間も経ったというのに、誰一人としてソウルチップの回収はされていなかった。


「少しだけ休んだら、また復帰しようかと思います」


 浅く深呼吸をしてからゆっくりとソルは言った。

 隊の基準として死亡扱いされる日数が経過しようとしているのは知っている。

 モイスの無神経さには苛立ちを覚える。

 しかし組織の長としては、聞いておく方が正しいだろうというのはソルも理解していた。


「ふうん。そっかそっか。復帰後はどうするの? 地上探査に行きたいなら、別の隊を見繕っておくけど」

「……それは」


 新しい隊に入り、また地上探査に向かうという選択肢もあるのだが、精神的に余裕のないソルはまだそこまで割り切って考えられなかった。


「ありゃ。悩むということは、まだ地上探査に行く気はあったんだ」


 ソルの唇が切れた。

 自分がまだ割り切れていないことを理解したうえで、モイスが煽ってきているのが分かったからだ。

 モイスとはそういう男だった。


「考えて、おきます」


 ソルは何とかそれだけを絞り出した。

 からからと、モイスの笑う声が室内に響く。


「君にはもう無理じゃないかなぁ。まあ、僕にはどうでもいいことだけど――」


 背中から聞こえる声に反応することなく、出口に続く扉を開けた。

 そして部屋から退出して、扉を閉める寸前。


「君には無理だよ」


 モイスが最後にもう一度、そう言った。


「……くそっ」


 悪辣な上司の部屋を出て建物の中を突っ切ると、ソルは早足に外に出た。

 眩しさに目を細める。空は快晴だった。

 技術研究所の前を、ちらほらと人が通り過ぎていく。

 見える表情は平和そのもの。まるで自分だけが、苦しみを抱えているような錯覚を覚えた。

 そんなことは、決してないはずなのに。


「ごめん、皆。すぐには行けないかもしれない」


 ふと頭に思い浮かんだのは、隊長、エマ、先輩隊員たちの顔。


「でも、いつかは――」


 ソルの頬に一筋の涙が伝った。

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