有体離脱と乙女

トギミヤ

有体離脱と乙女


 私は今日、ミミズクに拾われた。

 夢のようで、本当の話。

 いや、やっぱり夢かもしれない。なぜならそのミミズクの耳は虹色で、片手には明らかに人間しか読まなそうな本を持っていて、おまけに。

「マァマァ、元気だしなって」

 機械仕掛けのような独特な声色で、人語を話しているのだから。


 きっかけはこうだ。いい年して失恋して家を飛び出した齢二十五の女がいた。もちろん私だ。自分で言うのもなんだが、ドラマチックに雨に打たれて泣いていた。体は冷えていったが、どうでもよかった。絵にかいたような少女漫画さながらのヒロイン。あとは別れを切り出した元カレや優しい好みのタイプのイケメンが声をかけてくれれば万々歳な展開だ。

 本気で狙っていたわけではない。悲しくて辛くて泣いてたほうが本心だ。だが全く期待をしていなかったと言ったら、嘘になる。なんていったっていくつになっても少女漫画は大好きだ。もちろん恋愛ドラマも。自分よりも番も眉目秀麗な彼女たちと心ときめく展開はいつでもあこがれなのだから。だから『もしかして』なんて、泣きながら心のどこかで思っていた、そんな時。

「風邪ひくぞ~」

――まさか、本当に?

 言葉に心が揺れ、次に脳が揺さぶられた。人らしい人の声ではない。かといって、ロボットともまた違う、心の通った声に呼びかけられたのだ。

 脳の処理が追い付かないままに、顔を上げた先には――のんきに潰れた喫茶店の軒下で雨宿りをしていた鳥……のような動物がいた。

 虹色の羽角、ずんぐりむっくりとした一頭身フォルム、今にも飛び落ちそうな心もとない翼。果たしてこれを鳥と呼称していいものか。

 その混乱を止めたのは、「はっくしゅん!」と、随分とかわいらしくないくしゃみだった。私のくしゃみだ。泣きたくなるほど変わらない、かわいらしくないくしゃみに、少し頭が冷えた。

「とりあえずさ、雨宿りしなよ。珍しく暇してるミミズクでよかったら、話くらい聞くからさ」

 存外優しい声色だった。私は自然と頷いてしまった。その理由をあげるとするなら、その気遣いに惹かれた――のではなく、その動物がちゃんと鳥だった上に、フクロウではなくミミズクであったことに驚いて、他に何も考えられていなかったからだ。


◇◆◇


「ふうん。つまり、可愛くないくしゃみが原因で喧嘩して、彼氏にフラれた、と」

 私の話をひとしきり聞いたミミズクは、およそ三十分近くにも及ぶ物語をあっさりと十秒でまとめた。だが要約すれば確かにそれだけの話に思えて、ぐうの音も出てこない。

「そうなんだけど……いやたしかに……そうなんだけれども」

 うまく否定が出てこなくて、ズズ、と誤魔化すように冷めてきたミルクティーを口に運ぶ。ミミズクがどこから出してくれたミルクティーだ。これがまたミミズクの存在と同じくらい不思議なもので、ティーバックで淹れただけのように見えたのに、味はしっかりとミルクの風味が効いている。そのおいしさに冷え切った体もあたたまり、半時間も話が続けられたと言っても過言ではない。

 廃屋だと思っていたこの家も、招き手羽先に導かれるまま進めば、魔法がかけられたように小洒落た雰囲気のカウンターがあり、ケトルやマグカップといったちょっとお茶するには十分の品々が一式そろっていた。埃がかぶった様子もなければ、使いこまれた雰囲気もなく、かといって真新しさも感じない。

 この部屋そのものの空間や小物から一人と一羽、というだけでは醸し出されない不可思議さがあたりに満ちている。だが居心地は悪くない。ただ少し、ミミズクのズバズバとした物言いが、彼の嘴以上に鋭い以外は。

「そもそもいい大人ふたりがそんな些細なことで喧嘩して別れるくらいで、もうお互い百点の存在じゃなくなってるってことでしょ?」

「些細なことって……私はずっと、それこそ彼に会う前から気にしてたし、言われたくないことだったの!」

「彼氏にはちゃんと話した?」

「言ってたよ……言ってたから余計に私も怒っちゃって……」

「ならもうフォローも謝りもしないそんな彼氏忘れて次に行った方がいいって。次、次ぃ!」

「うーー……でも好きだったんだよう……」

 羽毛のようにやわらかなタオルを目にあてて、零れ落ちる涙をぬぐう。家屋に入って貸してくれたそのタオルは、雨粒や涙粒やなんやらを吸って、もうすっかり何が何やらの水分でいっぱいだ。

「気分を変えて、おいしいものでも食べたら?」

「…………油淋鶏が好き」

「好きな食べ物独特すぎない? というか鳥相手に言う?」

「私だってお肉はミミズクじゃなくて鶏肉がいい」

「確かに。それは僕もそう」

「鳥なのに油淋鶏食べるんだ……」

「…………」

 黙り込んだミミズクは、そっぽを向いている。どうやらしっかり食べるらしい。予期せず猛禽類界の弱肉強食を肌に感じてしまった。世知辛い。

まあそれはそれとして。

「…………手紙でも書こうかな」

「……、唐突だなぁ……何よりこのご時世に手紙?」

「このご時世だからだよ。私の数少ない特技なの」

「特技? 手紙が?」

「ふふん。紙とペン、貸してくれる?」

 なんだかんだよくしてくれるミミズクは、若干めんどくさそうにしながらも、まるで製造されてから百年くらい経ってそうなアンティーク調の紙と、やけに向こうが透けて見えるペンを私の目の前に出してくれた。風変わりな筆記具にぱちぱちと目を瞬かせてしまう。

「何これ。このペン、ガラスみたい。だし、何も書けないよ」

「ガラスじゃなくてガラスなんだーこれが。ガラスペンって知らない?」

「ああ! 聞いたことはあるかも。なんかどこかでフェアやってた時に見かけた気がする」

 どうやら彼の仕事仲間の私物らしい。ガラスペンは私の手、というかとても人間の手になじむ構造をしているので、仕事仲間はミミズクじゃなくて人間なんだろうか。そんな疑問が首をもたげたが、今何よりも巷で話題のガラスペンを使って彼に特技を見せることに心惹かれるばかりだった。

 ミミズクに教えてもらいながら、黒よりの黒と言われているらしいインクをペン先につけ、いざ独特な歴史を感じる紙に文字を描く。

「わ~、書き味おもしろい! のに、書きやすい!? これは話題になってるのもわかるかも」

 カリカリと削っているようで、その実なにも削れていなくて。インクにもたった少ししか浸していない気がしたのに、何文字でも余裕も書けるし、嫌な滲みもなければブレもない。

「フフ、お客さん……なんと万年筆と違って、すぐに色も変えられちゃうんですヨ……」

「な、なんですって……!?」

 突然のミミズクによる店員風テンションに思わず乗ってしまいながら、ついでに言われるがまま差し出されたグラスの中の水にペン先を付けて洗い、『ベイブルー』と書かれた紺色のインクに浸しなおす。

「ほんとだ……すごい。だめだガラスペンも欲しくなったけど、いろんなインクも欲しくなるやつじゃん……沼じゃん……」

 本来の目的なんて、いつのまにかにどこへやら。一人できゃいきゃいとインク色の七変化にはしゃいでしまった。ミミズクはミミズクで、我が物顔で、だがどこか懐かしさを感じるような目で、私を見ていた。

「……ていうかお姉さん、字、めちゃくちゃうまいッスね」

「あ、でしょー! だから『得意』なの。そういえば彼とは、社会人になってから付き合いだしたし、スマホのメッセージのやり取りばっかりだったから、こういう私が私に誇れるところすら、見てもらってなかったなーって」

 インクとペン先で、言葉の道をなぞっていく。彼氏の好きなところ、これまでの想い出、あとついでに嫌いなところも。ただただ思うまま、流されるまま。

 人によるだろうが、少なくとも私は、スマートフォンで打つよりも、パソコンのキーボードで打つよりも、書くペースは遅くて、時間がかかる。だけど、一律の形ではない文字は、電子的に打ち出された字面よりも、心がこもっていると信じたい。

「あー……なるほど、ね」

 私のペンの運びを見ていたミミズクは、一羽ごちる。おそらく、この文章の最後に句点を打った時、私も同じ感想になるのだろう。

「……うん。やっぱり。書いてよかった」

 なるほどね。と私も口の中で呟く。

 せっかく素敵な紙とペンで書いたのに、彼氏への……いや、元彼への手紙には、もうすっかり不満ばっかりの文面が、心が満杯に籠った状態で並んでいた。

「ごめんなさい。きれいな文房具用意してくれたのに、こんなことに使っちゃって。この子たちに申し訳ないことしちゃった」

 そっと、紙とガラスペンを撫でる。せっかくなら、愛のこもった言葉ばかり並べて、ラブレターらしいラブレターを書きたかったものだ。こんなに人を幸せにしそうな物を使って、あまりハッピーではないものを作りだしてしまったことは、本当に詫びたい気持ちしか湧いてこない。

「そう? 僕は別にいいと思うけど。だって結局はただの文房具なんだし」

「言い切るなぁ」

「飾って使うのも、くたくたに使い切るのも自由だけどさ。結局は人が人のために作ったものでしょ? それに仮に今日お姉さんが書いた内容がハッピーじゃなくても、これからお姉さんが百点の彼氏に出会うためなら、うちのザキも許してくれるって」

「そ、そう……?」

 ザキ、というのは彼の言うところの仕事仲間だろうか。突然の見知らぬどころか聞き知らぬ人名のおかげで、一瞬気がそれてしまったが、目の前のミミズクが私を励まそうとしてくれることは伝わった。

「ふふ、ありがとう」

「雄ミミズクとして当然のことをしたまでですけどねー」

 誇らしげに胸を張るミミズクの胸は、鳩胸なのだろうか、それともミミズク胸なのだろうか。などという関係のないことを考えられるようになった時点で、きっと私の心は前に向いているのだろう。

「それにしても、今日の空は、お姉さんの心みたいだったね」

「えっ?」

 ちょいちょい、と小さな羽が私の後ろを指さす。振り向けば、これまで気が付かなったが、大きな窓があった。つい一時間ほど前まで泥濘を飲み込んだような雲が、ほのかなグレイに変わっている。そしてまるで見計らっていたかのように、徐々に雲の隙間から光が伸びていく。

 まるで誰かが渡るために作られたかと思うほどの綺麗な橋が、空の下とも上ともいえる場所に架かった。

 どこかの鳥の羽角に似た色だ。

「ふふ、確かにきれいだけど……さっきのセリフはちょっとくさいよ――って」

 からん、と明らかに古い木製のジングルの音が、静かにあたりに響いた。

 ついさきほどまでそこにいた、一頭身のまるっこいミミズクの姿はない。

 綺麗なガラスペンも、私が彼に宛てた散々な手紙も、すっかり冷めていただろう飲みかけのミルクティーも。長年客を迎えていないだろう喫茶店の中で消えている。いや、もしかしたら、全て本来の姿に戻っただけなのかもしれない。

 だとすると、今までの時間は彼氏にフラれたショックで見た、私の独りよがりの幻想でしかないのだろうか。

(でも、だけど)

 二の腕を握る。目を閉じ、やっぱり、と実感する。

 何かも消えてしまった世界の中で、ひとつだけ、消えてはおかしかったはずのものが消えている。

 あの時、ふかふかなタオルが奪っていかなければ、この体に張り付いていた雨は、きっとまだ私の体を冷やしていたはず。

「『もしかして』、ね」

 思い描いていた展開とは、違っていたけれど。これはこれでドラマチックで、かつファンタジーが効いていて、素敵じゃないか。

「名前とかあったのかなー、聞いとけばよかった」

 もしかしたら、神話か何かに登場した存在であったり、それこそ何かの神様であったりしたのだろうか。名前がわかれば、調べられたかもしれない。

 いや、だけど。名前を知っていたところで、意外と調べなかったかもしれない。

 仕組みやネタを知らないからこそ、不可思議な体験はより深みを増して輝くもの。それにもしかしたらまたもう一度くらい会えるかもしれない。その時に直接聞いてみよう、と。そう決めるのも夢があっていいじゃないか。


――なんて、思っていたのだけれど。

「R.B.ブッコロー?」

 出会えた理由は、たまたまと言うべきか、それとも必然だったのか。

 きちんと彼氏とお別れをし、気分を切り替えるべく、数日後に近くでやっていた文具好きのためのイベントに足を運んだ時に、見つけたのだ。

 とある企業ブースに、文具フェアであるにも関わらず、我が物顔で鎮座している小さなぬいぐるみ諸々のミミズクのグッズを。

(に、似てる……)

 『R.B.ブッコロー』と名付けられているミミズクは、相変わらずミミズクなのかフクロウなのか素人にはわからない姿をしている。それでいて愛嬌を感じてしまう。むしろそう感じる自分が憎らしいすらある。

(いやでも、若干なんか、違うような? いや、やっぱり同じ感じのような?)

 記憶力のない自分が恨めしい。不思議体験過ぎて、記憶が全体的にぼややんとしているのだ。考えれば考えるほど、やはり幻覚か夢だったのでは? と思ってしまうから、より一層。

 だが、あの日心惹かれたガラスペンやインクを探しにきて出会えたのだから、どうにも勝手に縁を感じてしまう。

 ここにいる彼らは、当然、決してしゃべることはないだろう。ひとつひとつ愛嬌はあっても、つきつめれば量産型であるぬいぐるみやグッズたちだ。そんな『R.B.ブッコロー』に私の中だけにある、私だけの運命感情を託すには、申し訳ない気持ちもあるけれど。

――暇してるミミズクでよかったら、話くらい聞くからさ。

 ぬいぐるみでも、話くらいは聞いてくれるかもしれない。例えもう声が聞こえなくとも。あの日のミミズクと似た姿で、私の中にある答えを、一緒に探して見つめてくれるなら。

「……あの、すみません。お会計を」

「はい、ありがとうございます」

 ヴィンテージ眼鏡をかけた優し気な店員さんに手に取った商品を数点渡す。目当てのインクもあったから、つい一緒に買ってしまった。心なしか、そのインクを手に取った店員さんは嬉しそうな気がする。彼女のオススメでもあったのかもしれない。

 会計中にふと時間を確認すると、自分が随分長い間悩んでいたことに気が付いた。そろそろ他のブースも回らなければ、せっかくこんなに大きなイベントに来たのにもったいない。

 ありがとうございました、と店員さんにお礼を言いつつ、小さなミミズクのぬいぐるみをカバンにそっと住まわせた瞬間だった。

「あの」

 不意に、呼び止められた気がした。聞こえた気がした声の方向をたどれば、スーツをきっちりと着こなした、ビジネスマン風の男性が立っていた。

「あの、よかったらブッコローとお写真撮りましょうか?」

 言葉をかみ砕くまで、二・五六秒。

 いや、もっと長かったかもしれない。ただ脳裏によぎった秒数はそんな感じだ。

そして、途端に胸の奥から頬に湧き上がったのは――羞恥心。

「え、あ、い、いや、だだだ大丈夫ですっ!」

 そんなに熱心なファンに見えたのだろうか。あんな『仕事で来ています風』の男性が、誰ともわからず小娘に対して思わず善意で写真撮影をしたくなるくらいに。

 恥ずかしがることではないのかもしれないが、ブッコローと呼ばれるあの鳥のファンかは怪しい身では、とてつもなく申し訳なかった。

 挙句の果てに、逃げるように去ってしまってさらに心苦しい。気になってチラリと後ろを見れば、先ほどの男性は少しだけ落ち込んでいる、ように見えた。

(あああ、せっかくの善意をごめんなさいごめんなさい! せめてあなたにいいことありますように)

 自分でもよくかわらないお祈りをして、足早に別のブースに向かう。

(でも、なんだろう。あの日のミミズクみたいな声の調子というか、全然違うのに、なんか似てたな)

 まさか――そう、たとえばあの日のミミズクは、あの男性が幽体離脱みたいなことをしていた姿で、本来の姿は人間だ、とか。さっきの店員さんは、あの日、会話に出てきたガラスペンやインク好きのザキさんだ、とか。

(なんて、ね)

 わかっている。よぎった可能性は、全て『そんな奇跡があったらいいな』という私の夢見がち性格が抱いている幻想だ。スーツの男性には、そんな私の幻想、いや妄想の一部にしてしまって、更に申し訳ない。

「でも、君にも会えてよかった、ブッコロー」

 私の中にある思い出は、消したくはないから。私はこのぬいぐるみを目印に、あの夢のようで本当だと信じたい思い出を、時々思い起こして、また日々を戦って過ごしていくのだと思う。

「さて、帰りに油淋鶏でも食べに行こ!」

 たとえばそう、好きなものでも食べながら。

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