第23話 昔話
「す、すみません、私、幸せな家族の思い出、ほとんどなくて。持田さんはどうなのかなあ、って」
俺の顔が引き攣ったのが伝わったのか、取り繕うように話す小瀬川。
家族がいても、家族が家族ならそうもなるのかもしれない。彼女は小さい頃から祖父母の介護をしており、母親はとんでもない人間だったと話していた。
さっきの堂園と水戸部のケンカを見たのもあるのか、家族の記憶というのは気になるのかもしれない。
「ほんと、少しだけなら、ありますよ」
「そ、そうなんですね、聞いてもいいですか」
「子供の頃の記憶なんで、正しいかは微妙ですが」
数少ない家族の記憶。親の顔ですら正しいのか不安だが、それでもよく覚えてることがある。
「俺、ちっちゃい頃、ピザが大好きだったんです」
「ピザ、ですか」
「特にバンビーノっていう、トマトソースにツナとかコーンとか乗ったやつ、本当に好きで。両親も誕生日とか特別な日に絶対出してくれたんです」
まるで宝箱だと、子供ながらにピザの上を見ては、ワクワクと意味不明な歌詞で歌っていた。喜びを表す意味不明な子供の歌を、母親は楽しそうに付き合ってくれる。
母親はいつもにこにこと笑っていて、優しくて太陽のようだと子供ながらに思っていた。
「誕生会をして、公園に行ったり、全部うっすら覚えてます」
憧れすぎて、脳内で作り上げた幻覚かもしれない。ただ、
「そうなんですね、でもピザ好きだったということは、今は嫌いなんですか?」
小瀬川の問いかけに、俺は思わず目を瞑った。
「親との最後の会話が『ピザ買ってくるね』だったんです」
これだけは、一生忘れない。父親と母親がピザを買いに行くと言って、微笑んだ母親が俺の頭を撫でた後に父と連れ立って外に出た。
今考えると、俺と乳幼児である妹しかいないのに、外に出ていくのは随分
でも、その判断のお陰で、俺たちは生き残り、両親は死んだのだ。
「家出て行って、それっきり帰ってこなくて。葬式もしてないかもくらいの記憶で。それから、ピザ見ると思い出して駄目なんです」
もし、自分がピザを好きじゃなかったら、両親ともに今も生きていたのではないかと。
「妹さんの記憶は?」
「隣で親戚の話を聞いていたくらい、ですね。とても可愛いなあと思ってて、でも生き別れてから一度も会っていないんです」
「そうなんですか」
「どこかで元気に生きていたらいいなと」
「そう、だといいですね」
小瀬川との会話をしていると、流石に時間なのか田中がこっちにやってきた。もう時間か、俺たちは短く挨拶を済ませて、ホテルへと戻った。
ホテルに到着すると、田中と今崎がニコニコで待っていた。
「いやあ、持田さん、流石! わかってますねえ! 今回は持田さんの支持率鰻登りですよ~。あの、小瀬川さんへのアシスト、やるじゃないですかぁ!」
わざとらしいほどに持ち上げてくる田中、その隣にはホテルの高いメニュー表を持った今崎が、これまた楽しそうにしている。
「ワインとか、フレンチ頼みませんか、今日は大判振る舞いってことで」
「あ、ははは」
俺はメニュー表を見ながら、思わず苦笑いをする。ワインなんて、美味しいと思った試しがない。シャンパンは昔社長の付き合いでキャバクラ連れてかれたが、居心地がわるかった上に、ほぼゲロのような不味さだった。あんなものに大金叩くなんてと、本気で思った。
フレンチもよくわからない。『クルスティアン・オ・ソモン・フュメ ~潮風を添えて~』って、一体何だ。料理写真も無くて、頼めるものじゃない。あとバルサミコソース、なにそれ、殺虫剤に似た名前のがある気がしたが。
俺はそのメニューの片隅にあった文字に安堵した。
「この十割そばで、いいです」
その言葉に、二人が俺のことを信じられないものを見たかのような目を向けた瞬間を一生忘れないだろう。
あと、そば粉のガレットも頼んでくれたが、やはり俺的に蕎麦をすする方が向いているなと思った。
それにしても、気づいたら生き続けてしまった。死のうとしているのに、思い通りに人生はいかないものだ。
それから、二日後。
撮影スタジオの待合室に着くと、そこには電源の入ったディスプレイに小島が映っていた。
「あ、小島さん、こんにちは」
《持田さん、こんにちは。こうやって話すのは、最初の時以来ですね》
相変わらず美しい小島。金色のいばらの冠がよく似合う艷やかな彼女の髪は、こう見ると本当に重病人かと思わせるもの。
でも、彼女としては必死に髪の毛を整えている可能性もある。俺は湧き上がった疑問を頭から追い出した。
《あの、その、この前は酷い醜態を見せてしまいました》
「いやいや、あれは小島さんのせいではないので」
小島が謝罪しているのは、前回のプレゼンテーションの事なのだろう。けれど小島は寧ろ一番の被害者で、あの二人の喧嘩に巻き込まれてしまっただけだ。
でも、やはり止められなかったと落ち込んでいる節が見受けられた。少しの沈黙が、彼女の心境を表しているようだった。
《そう言ってもらえると、少し心も軽くなります》
落ち込んでいた彼女は、少し複雑そうに笑った。
そんな時だった。
ガラガラ
台車の滑車の音が響く。後ろを振り返ると、台車の上に体育座りで乗る水戸部と、その台車を掴んで運ぶいつかのカッコいいスタッフがいた。
いつもの自分をここで改めて客観視すると、ヒトの移動というよりも、まるで物品を運んでいるようである。
なんというか気付かされたくない事実だが、この台車運びは正直足が悪い俺的にはありがたいが。
「すみません、この前はお恥ずかしいところを」
俺や小島に頭を下げる水戸部の顔には、カサブタになった引っかき傷がまだ残っている。顔に傷があるというのは、正直怖いなあと思ってしまう。
「いえ、ケガ大丈夫ですか?」
「なんとか、大丈夫です。少しの間シミましたけども」
「ああ~」
その傷でシャワーを浴びたら地獄そうだと思う。
ガラガラ
またも、台車の音がした。振り向くと、金色のいばらの冠を被った小瀬川が体育座りで小さく縮こまっていた。
台車から下りた小瀬川は、遅れたと思い、「すみません」と唱えながらペコペコと周囲に頭を下げる。しかし、逆に小島と水戸部からはこの前のことを謝られるものだから、恐縮した小瀬川は小さく小さくなっていた。
「小瀬川さん、こんにちは」
「も、持田さん、こんにちは。この前はありがとうございました」
黒くキレイに梳かされた髪に、薄化粧。金色の冠の存在感に圧倒させられるが、此の前よりも少し美しくなった。
「メイク、してもらったんです」
嬉しそうに、恥ずかしそうに言う小瀬川に、俺もつられて照れながら「いいですね」と返した。
《迷える子羊の皆様、本日はお集まりいただき有難うございます》
そんな和やかな雰囲気を壊すような開始連絡。今回はディスプレイはないため、声だけが聞こえる。
《今回はプレゼンテーションといえば、やはりコンペティション。今回はコンペティションを開始します》
コンペティションとは一体。聞いたことのない単語に俺は首を捻った。
《それでは、まず持田さん、待機室の扉からこちらへお越しください》
急に言われた俺は一人、待機室の奥にある扉を開く。扉の向こうには少しのスペースがあり、また奥には扉が存在していた。
《さらに奥へとどうぞ》
アナウンサーに言われるがまま歩みを進め、もう一つの扉を開いた。光が眩しい向こう側。審査員であろう三人の天使が玉座の上に座っていた。
アジマエル、ナナミエル、そして、ササキエルだ。
「お越し下さり、ありがとうございます。何かアピールポイントをお願い致します」
「……どうも、持田です。ここには死にに来ました」
とんでもない無茶振りだと思いつつ、俺は素直な気持ちを言葉にする。天使たちは、目配せをするだけで、ものすごい静かだった。
一体何の時間だろうか。
そして、数十秒ほど経った頃、「ブーッ」と音が鳴り響く。
「持田さん、残念です。申し訳ないですが、再選考の部屋へとお進みください」
「は、はあ」
再選考? 今、なにか選考していたのか。
あまりにも状況が飲み込めないが、仕方ないと割り切って、俺は言われた通りその再選考の部屋の中へと入っていった。
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