第21話 不足


「小瀬川さん、パソコンできますか?」

「ぜ、全然です。表計算くらいしか……」

「俺もそんな感じです。うーんそしたら、模造紙とペンもありますし、それでやりますか」

「そう、しましょうか」

 雲の中に合ったカラフルなマジックや鉛筆、消しゴム、付箋、ノートを取り出す。そして、全て床に広げた。

 ディスプレイには大きな時間があり、すでに三分ほど過ぎている。


「それにしても、『人生に足りなかったもの』って、難しいですよね」

「本当に、そう思います。私なんて、足りないものだらけですから」

「俺も、足りないものだらけですよ」

 二人して苦笑いしながら床に座った。

 では、まずは、何をするか。

 学生の頃に発表会した時のことを必死に思いだす。


「とりあえず、5分くらいかけて、付箋に自分が思う足りないもの羅列しましょう」

「はい、そうですね」

 付箋を適当な枚数で分けて、鉛筆を一本ずつ、ちなみに消しゴムは一個しかないので適当に半分コして、小瀬川に渡した。


「ありがとうございます」

 小瀬川はペコペコと頭を下げながら、消しゴムを受け取ると、書き始める。画面の数字は二十三分。十八分までか。


 俺の足りないものはなんだろう。

 学歴、職歴、家族、お金、友だち、ようし容姿、ケガしていない足、住所、守るべきもの……

 上げればキリがない。何もかもが足りない。全てが足りない。

 ここから一つに絞らなければいけないなんて。散らばった付箋、汚い字、間違えているだろう漢字、漢字すら思い出せなかったものもある。

 ちらりとディスプレイを見ると、後少しで十八分になりそうだった。小瀬川さんはどうだろうと思ったら、彼女も一度手を止めて画面を見ていた。


「小瀬川さん、書けました?」

「は、はい、書けました、少ないですけど」

 そう言って、小瀬川さんが持っていた付箋はたしかに俺に比べて少ないが、数があればいいというわけでは無い。

「いえ、十分ですよ」

「よ、良かった」

「とりあえずまとめて行きましょう」


 小瀬川が書いてきた付箋と俺の付箋を同じ内容のものをまとめる。彼女の字の筆圧はそこまでないが、柔らかで美しい字、癖もない。

 付箋を一枚一枚模造紙に簡単に並べる。

 学歴、職歴、父親、貯蓄、美しさ、友人。この辺りは、俺と一緒だ。

 喋れることと、青春は俺は書いてないが、納得できる。

 しかし、それよりも最後の一枚に目が奪われた。


「あっ」

 小瀬川の焦った声が遠くに聞こえる。


『生きたいという気持ち』。

 どこか不安そうに少し揺れた文字の線、今にも消えそうな、そんな字だ。

 でも、俺の中でこの理由が一番しっくり来た。


「へ、変な事書きましたよね。ご、ごめんなさい」

「いや、寧ろこれです。俺たちには、生きたいって気持ちが足りないですよ。小瀬川さんすごいです。俺、気づかなかった」

「え、あ、え?」

 褒められ慣れていない小瀬川は、戸惑ったような表情で俺を見る。でも、彼女は思い出したのだろう。

 自己紹介にて、俺は死ぬために参加したということを。


「模造紙にデカデカこれを書きましょう。それらしい理由を書けたらいけますよ、書きながら考えましょう」

「じゃ、じゃあ、私が字を書きます。こういうのは得意なんです。あ、新聞紙ありますか、床に敷かないと」

「あったと思うんで持ってきます」

 最初は不安だと思っていた俺たちだったが、ゆっくりと歯車が噛み合ったかのようにスムーズであった。


「なんで、これにしたかって聞かれたらどうします?」

「生きたい気持ちがあれば、ここに来ずどんな仕事でもして生きてます。とでも言いますよ」

「たしかに、そうですね」


 しかし、相手三人は恐ろしく強いだろう、大きな壁だ。でも、発表時に小瀬川を上手くアピール出来れば、俺が死んで彼女が残る。

 真っ白な模造紙を美しい文字や、簡単な装飾がキレイに彩る。


 さあ、どうなるか、楽しみだ。


 《残り五分です》

 アナウンサーの声を聞きながら、俺と小瀬川は模造紙を見つめながら理由を詰めていった。


 《終了です。それでは、皆さん作業をやめて、天使エンゼルたちの元へ移動をお願い致します》

 そして、俺たちは終わりのアナウンスを聞き、動きを止めた。

 その後、スタッフの指示の下、目隠しとイヤホンを着けられて、台車に乗って移動する俺たち。

 思えば、小瀬川はどういう気持で移動しているのだろうか。同じチームが俺で良かったのだろうか。

 ガタガタッと段差を越えた後、台車が止まると少しの浮遊感を感じる。エレベータに乗り込んだのは、今までの経験でわかる。

 暫くして、台車が動き始め、段差をいくつも越えていく。そして、到着したのかイヤホンの音楽が止まり、俺は目隠しを外した。


 以前見たものとは違いグリーンバックになったスタジオ。椅子と、天国への階段のみがあるようだ。

 アナウンサーと、アジマエル、ナナミエルと、知らない天使の服を着た男が一人。


「では、お二人共、あそこで発表をお願い致します」

 俺たちに一人のスタッフが声をかける。振り返れば、その人は俺を採用した天使あまつかであった。


「あ、天使あまつかさん」

「時間がないので、また今度お話しましょう。さあ」

 天使あまつかはひょうひょうと流すと、俺を撮影セットへ行くように促す。仕方ない、俺と小瀬川はセットへと歩みを進める。

 撮影セットに上がる。グリーンバックに三人の天使エンゼルという違和感ある光景だが、テレビ撮影感をとても感じる。


「お二方、お待ちしておりました。それでは、早速プレゼンテーションを開始してください」

 アナウンサーの言葉、展開の余りの速さに俺は驚きつつも、辺りを見渡すとあの模造紙が置かれていた。

 小瀬川を見ると、相当緊張した面持ちだったが、俺の顔を見て力強く頷いた。


 俺は、模造紙を持って、広げる準備をする。小瀬川は深呼吸を一回、息を整えると天使たちを見据えた。

「ほ、本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。『私たちの人生に足りなかったもの』について、私、小瀬川と、彼、持田がプレゼンテーションさせていただきます」

 緊張して、少しばかり吃りがあるが、それでもしっかりと話せている。アジマエルとナナミエルは少し驚いたのか、お面の視線が俺に向けられる。俺が話すと思ったのだろう。もう一人の知らない男はしっかりと小瀬川を見ている。彼は太っていたササキエルとは違い、鍛えられた肉体が若々しいのがよくわかる。


「まず、結論から、『私たちの人生に足りなかったもの』は『生きたいという気持ち』です」

 俺は模造紙を横に開く。模造紙には大きく『生きたいという気持ち』とドーンと書かれている。

 理由も書こうかと思ったが、小瀬川が強調したいからと、シンプルにこれだけを文字として書いた。


「『生きたいという気持ち』があれば、例え家族がいなくても、酷い親であろうと、お金がなくても、もっと心強く前を向けたと思うのです」

 小瀬川の震える声がよく響く。生き抜こうと思えば、手段を選ばなければ、日本だったら生きて行ける。さっき、理由を突き詰めていた時に小瀬川が話していた。

 色んな制度がある、その制度はなんだかんだ私達を助けようとはしてくれる。


「でも、私達にはその生きたいをいう気持ちがありません。生き続けるための理由も気力もない。見つける気持ちもない。もう、ただただ、終わりにしたいのです」

 小瀬川の主張が静かに、でも確実に天使たちに届くだろう。

「これが、私達の『私たちの人生に足りなかったもの』についてのプレゼンテーションです。ありがとうございます」


 小瀬川が頭を下げるのに合わせて、俺たちも頭を下げる。パチパチと天使たちから拍手が聞こえてきた。顔を上げると、何故かナナミエルが立っていた。


「お二方、あの短時間でよく仕上げてきました。私達でグループ分けをしたのですが、とても良かったですわ。質問はないですが、どうしても伝えたくて」

「「ありがとうございます!」」

 思わぬ賛辞に、二人して同時に御礼の言葉を発した。そんなに褒められる内容だっただろうか。正直とても不思議な状況だ。

 他の人達も反論する様子はなく、ナナミエルの言葉に頷いている。

 思えば、あの三人はどうしたのだろうか。


「それでは、審判を行います。お二人は一度楽屋に戻り……」

「いや、そんな時間も惜しい。さっさとを連れてきてくれ」

 俺たちの番から進行しようとしたところ、あの知らない男が苛立った声を上げる。小瀬川はその怒気に驚いたのか、びくりと肩を震わせて、震え始めた。

 その様子を見て、俺は模造紙を畳みつつも、彼女の前に出た。


「ええ、審判する時間なんて要らないわ、

「ああ、そうだな」

「わかりました、では、三人をお呼びしましょう。アジマエル、ナナミエル、ツガワエル。それでよいですか?」

 アナウンサーからの確認に、随分厳しい雰囲気の天使たちは、皆大きく頷いた。


 一体、何があったのか。

 暫くして、ディスプレイと二人がこのセットにやってきた。

 俺はその二人を見て、愕然とする。

 何せ、まず水戸部は顔に引っかき傷らしきものと頬にガーゼ、そして、堂園は鼻にテーピングが巻かれていたからだ。

 

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