第16話 持田


 今、ある種焼け野原に立たされた俺は、思わず立ち上がる。

 何故、そんな事をしたのかは正直俺もわからない困惑している。

 司会に飛び込んできた目の前の審査員たちも、いきなりの行動に少し仰け反っていた。


 どうすればいいのだろうか、真っ白になりそうな頭。とりあえず、今までの人たちがどうしていたかを振り絞った。


「きょ、今日は、貴重なお時間をいただきありがとうございます」

 とりあえず、頭を下げる。腰の角度は直角に、もうこのまま勢いでいくしかない。心は決まった。

 すっと、頭上げる。


「持田宗一郎。三十五歳です。地元の公立中学卒業後から少し前まで、土建会社にて、土工の仕事をしておりました。ただ、工事現場での事故で膝を故障してから、車の運転や作業がほぼ出来なくなり、その月に退職しました」

 まっすぐ前を見て、三人の審査員に伝えた。

 前の四人に比べて、俺の人生はとても薄い。


「趣味はネットカフェで映画鑑賞、特技は工事現場の車は運転できます」

 平凡でつまらない自己紹介。どこにもインパクトの無いからか、審査員の身体から力が抜けているのがわかる。


 でも、それでいい。

 本来俺はここに何しに来たのだ。

 そう、何を恐れるのだ。


「中学校を、高校へは通われなかったと」

 アナウンサーの言葉に、俺はすぐに頷く。

「はい、児童養護施設育ちでしたし、俺、元々勉強が得意じゃなくて、なら働くかと」

「後悔はしなかったのですか?」


「してますよ、そりゃ。高校に通う大事さは、重々感じてます」

 なかなかにボディにくる質問。でも、俺の人生で誤ったのはここなのかもしれない。惰性でもいいから、高校に行くべきだった。

 土建業を辞めて、再就職をしようと、職安に通う度に思い知らされる。


 学歴は、この国で言う大きな資格の一つ。

 それによって、就職できる仕事も限られてしまう。肉体労働しかなかった俺から、肉体の健康がなくなればどうにもならない。


 だから、もし俺が高校に通っていたら、もっと人生違かったのかもしれないと考えてしまう。


 けど、もう後悔しても遅い。


「なるほど、児童養護施設育ちとなると、ご家族はいないと?」

 アジマエルが俺に尋ねる。その質問はいつかの最初の面接でもされた内容だ。


「居ません。両親は亡くなり、妹は親戚に引き取られてから一度も会ってないです」

「そうでしたか」

 何度だって、あの時の幼い赤ちゃんを思い出しては、唯一の肉親を思い浮かべる。


「妹さんに生きて会いたいとは、思わないのですか??」

 ナナミエルからも、いつかの面接の時にされた質問を繰り返し聞かれる。


「妹に迷惑かけたくないですから。今の俺はもう、学もない、金もない、職歴も死んで、持ってる免許も、もうほぼ使えない。ただの足手まといなんですよ」

 何度答えても虚しくなる答えだ。彼女に会えたらと思ったことは沢山ある。でも、答えは変わらない。


「では、この希望額百万円は、妹さんへ?」

 ササキエルが少し張りのある声で俺に尋ねる。鈴木の時のように、どうにか詰めようと思ってるのだろう。今まで、詰めるにも詰められない人たちばかりだっただろう。


「はい、その予定です」

「では聞くが、死ぬことで百万円に見合うほど、価値のある男なのか?」

 やはり、来たか。


 俺は、すうっと、呼吸を吸い込んだ。

 そして、音共に吐き出した。


「その価値はありません」


 真っ直ぐ見つめる先には、動きを止めるササキエル。まさかの答えではあろう。

 なぜなら、皆この金額を欲しい理由が少なからずあった。

 でも、俺は金を妹にあげるために、死にに来たのではない。


「価値はないのに、書いたのか? 流石、学がないのかもしれんな」

 ササキエルは、あからさまに馬鹿にするニュアンスで話すが、俺は寧ろ引っかかってくれてなによりだ。


「この希望額はスタッフにどういう質問の意図か聞いたら、貰えるならどれくらいほしいかとのことだったので、ぽっと出で思い付いた金額を書いただけですが。誰だってパッと、思いつく現実的な大金でしょ?」

 そう、俺は履歴書を書いたことがほぼない。だなら、これがどういう意味なのかを逐一田中や今崎に尋ねていたのだ。

 そうやってスタッフに聞いた前提と、ササキエルの前提がズレてるなら、それはそっちで調整してほしい内容だ。


「正直、俺は妹に金を残しに来たわけじゃないんです。迷惑かけずにさっさと死んで、ついでに妹に少しばかりのお小遣いになればと思ってきてるんです」

 色々混乱したけれど、結局のところ俺はここに、死にに来たのだ。そりゃ、他の人達と考えるところが違う。俺は本当の、自殺志願者なのだから。

 ササキエルの質問は正直、お門違いなのだ。


「ということは、この最初で死んでもいいと?」

「はい、金額がいくらかは知りませんけど。俺は、さっさと死にたいんです。だから、俺をここで落とすべきです」

 はっきり宣言すると、隣りにいた人たちが、ざわりと動くのがわかる。そりゃ、皆お金がほしいのだから、ステージの最後まで残りたいだろう。


 そんなライバルの一人が先に死なせろと言ってるのは、暗い喜びしかないはずだ。


「持田さん、では、今回天国の階段を登る場合、妹さんには何を伝えたいのですか?」

「そうですね、『心配はない。お元気で』とでも書こうかと思います。それくらいしか……思いつかないですね」

 もう三十年会ってない相手だ。今彼女がどういう状況かわからない。何ならば、名前も知らない相手。

 たしか、大きな口を開けて、○ーちゃんと呼んでいた、そんな記憶しかない相手に何を伝えろと。


「そんなに、持田くんは死にたいのか?」

 アジマエルは、なんだか憐れむような声で聞き返す。


「はい、ただ死ぬには金が掛かるし、妹に迷惑は掛けたくないので」

「死ぬのに、死んだあとの心配をするのか? しかも、ほぼ会ったことのない相手の」

「妹ですからね」

 例え、ほぼ他人の繫がりしかないが、俺にとってはもう一人しかいない家族。それを、心の支えに生きてきた。


「世界で一人だけでも、家族がいる。心の支えだったんです。独りじゃないって。だから、俺にとって家族は、喉から手が出るほど羨ましいものなんです」

 口に出した後、思わず他の出演者を見る。

 苦しそうに顔を歪める鈴木。

 悲しげに頭を下げる小瀬川。

 膝を握りしめる水戸部。

 そして、軽蔑した表情で見上げる堂園。


 ここからだと、小島のテレビの画面は見えない。


「でも、家族ってのは難しいんだなあと、他の人の話を聞き、初めて思いました」


 今までは「家庭はいいぞ」と勧めてくる作業員の年上たちや、「嫁の尻に敷かれてる」社長たちの話でぼんやりと幸せを描いていた。


 でも、小瀬川と水戸部の話を聞いたら、家族間でも難しい問題があるのを知ってしまった。


「なので、やっぱり俺は妹に迷惑を掛ける前に死ぬべきなんです」

 そう言って、口元だけ笑う。

 最初、焼け野原のようなスタジオ雰囲気が、俺に呑まれていた気がする。


「俺からは、以上です。貴重なお時間をいただきありがとうございました」

 力強く頭をもう一度下げる。そして、やっと椅子に座った。勢いよく座った衝撃で、怪我をした膝が酷く痛み始める。

 痛む膝を擦ると、緊張解けて、体から力が抜けていく。

 ただ、それのせいで、胃腸が酷く気持ち悪く、冷や汗がツーっと額から流れていた。

 体調が悪い。食い過ぎがここに来て最大の波で襲いかかる。


「持田さん、ありがとうございます。それでは次は、小島さんお願い致します。」

 アナウンサー、最後の自己紹介をする小島に声をかけた。

 小島の自己紹介、一番楽しみにしていたそれを見す見す逃すわけには。俺は、喉まであった中身をぐぐっと飲み込んだ。

 

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