第13話 真美


「こ、こ、小瀬川真美まみです。三十一歳です。地元の商業高校卒業後、家事手伝いをしていました」


 挨拶もなく、紹介を始める小瀬川。俺以上に面接慣れしていないのだろう、声は震え、しかも蚊が鳴くような声だ。

 本当に面接に来たという認識があるのかと思ってしまう。

 正直、このステージで一番期待していないのは彼女である。

 それにしても、小瀬川が自分よりも年齢が四つも下なことに、思わず驚いてしまう。自分よりも随分老け込んでいて、年上だと思っていたからだ。それに、十八歳から家事手伝いをしていたという。家事手伝いというと基本的にニートや引きこもりのようなものだと思っていたのだが、彼女の様子的にニートしていたとは到底思えなかった。

 彼女の短い紹介の後、沈黙が続く。アナウンサーは少し待った後、話し始めた。


「小瀬川さん、趣味はありますか?」

「趣味は、特にないです」


 沈黙。


「特技はありますか?」


 沈黙。


「す、すみません、と、得意と言えるものが、思いつかなくて」

 小瀬川は随分悩んだのだろう、今にも泣きそうな声だ。目の前に居る三人の審査員はあまりのことで、困ったようにお互いの顔を見た。ササキエルなんて、呆れ返ったように資料を見ることをやめていた。

 先程の鈴木と対照的すぎる状況に皆戸惑っている。

 俺も思わず手元の資料で小瀬川の資料を見るが、あまりにもスカスカで内容も正直無いに等しい。自己PRも「特になし」とだけ。

 バイトの履歴書でももう少し記載量があるはずだ。

 なにも記述がない中、希望額には百万円と記載されていた。

 希望理由は、「それくらいの価値があると死ぬ時くらいは思いたい」というふんわりとしたものだ。

 皆に戸惑いの雰囲気がある中、アナウンサーだけは違った。


「今まで家事手伝いだったそうですが、家事は毎日担当を?」

「そ、それくらいしか、私にはできないので」

「いつ頃から担当?」

「は、はい、小学生の頃からずっと」

「すごいですね! 家事はお好きで?」

「いえ……」

 小瀬川はぐいぐいと来るアナウンサー。どうにかして、撮れ高をあげようとしていた。けれど、小瀬川はぐいぐい来れば来るほど、どんどんと引いていき、言葉数も少なくなっていく。ちらりとアナウンサーを見ると、彼はすでに躍起になっているのがわかった。そんなに詰めても彼女は口を閉ざすだけ。

 もう、面接を終わりにして、次の水戸部に進むべきだ。そう思っていた俺の予想を裏切るように、審査員の一人が口を開いた。


「小瀬川さん、何故家事手伝いの道を選んだのだい?」

 余裕ある口調、それはアジマエルであった。確かに気になるところであり、自己PRに記載するべきところだと思う。小瀬川に何があったのだろうか。


「……亡くなった祖父の介護です、昔からので」

 介護。昨今、よくニュースになっている。俺的には家族が居るだけ羨ましいと思う気持ちがあるが、彼女の言い方はまるで自分が介護のために存在しているみたいな言い方だった。


「介護、高校卒業から?」

 アジマエルがそう尋ねると、彼女は頭を横に振った。

「小学校四年生の頃には、もう。祖母も衰えていましたし」


 小学校四年生の女子が介護を。俺ですら、その頃は施設だと馬鹿にはされていたが、大変な思いをしていたわけでは無い。介護は、大人でも大変だと昔いた現場監督が言っていたのを思い出した。


「ご両親は?」

 アジマエルの質問は尤もであり、

「母は基本家にいませんし、父については、正確にはわからないんですよね……」

 小瀬川はそう言うと困ったように小さく笑った。今の話だけで、彼女の家庭は相当複雑なのだろう。

 俺でも自分の両親の顔は覚えているし、戸籍を見れば二人の名前も載っている。


「では、ずっと介護と家事をだけを?」

「一応私を育ててくれたおばあちゃんのため、ってずっとがんばってきました。でも、徘徊もありましたし、最後は寝たきりになってしまいましたし」

 アナウンサーの質問に、小瀬川は先程とは違って落ち着いたように話す。多分だが、質問が具体的なものだからだろうか。

 それとも、本当に彼女の人生には介護しかなかったからなのだろうか。

 アジマエルは、ただ彼女を真っ直ぐ見ていた。


「その間の収入は?」

「年金と、おばあちゃんたちの貯金でどうにか。でも、どっちも亡くなって、僅かなものも、全部もう無くなってしまいましたが」

 嫌な響きに、俺は思わず小瀬川の方を向いた。小瀬川の表情はあの周りに怯えた顔ではなく、ただ悲しみに満ちた表情をしていた。老け込んで、疲れた顔をしているが、よく見れば整った顔を彼女はしている。


「お母様のこととは、聞かせてもらえるかな?」

「はい、なんか不倫していたらしく、慰謝料請求されたんです。もう、三回目とかなので、驚きはしないんですけどね」


 がくりと顎が外れるように、俺の口が開いた。

 開いた口が塞がらないとは、このことだろう。


「お母様の、慰謝料を何故?」

「母は私と一緒で働いたことが無いんです、お金がない人が慰謝料を払えるわけがないので、これで最後だと母には伝えました」

 これで、最後と母親に告げた彼女が、今この番組に出演している。その重みは計り知れないものだ。でも、彼女は言葉とは反対に優しく微笑んでいた。


「質問しても良いかしら」

 そんな小瀬川に、ナナミエルは声を掛けた。小瀬川はそれに受けるように、「は、はい」と返事をする。ナナミエルは思ったよりも冷静に、小瀬川を見ていた。


「この百万円、一体だれに渡すつもりなのかしら? まさか母親ではないわよね?」

 ナナミエルの質問に、俺もハッとさせられる。俺たちが死んだとて、その金を受け取ることはできない。今彼女の話的に肉親なのは母親だけ。父親も消息不明ということになる。

 そして、先程の話から彼女の母親にお金を渡すはずはない。小瀬川はその質問に少し驚いた後、目を瞑り、顔を伏せた。


「も、勿論、母ではありません。これは……私に『真美』と名付けた人に渡します」

 言い切った後、また気になる事を小瀬川が話す。名付けた人に渡すとはどういうことなのだろうか。


「それって、名付け親ってことかしら? また何故?」

 ナナミエルの質問、小瀬川はしばし沈黙した後、深呼吸をして答えた。


「私と母のせいで、その人の人生を変えてしまった、罪滅ぼしです」

 ずしりとした言葉に、俺は目を見開く。


「それは……何を……」

「す、すみません、それは相手へのこともあるので」

 小瀬川は、申し訳ないと言わんばかりにナナミエルに向かって頭を下げる。そのお辞儀の深さに、それ以上の追求を止めた。

 彼女は追求しても答えないだろうと、審査員三人もわかったのだろう。


「じゃあ、もう、次でいいでしょ。聞けることは聞いたし。なぁ、アナウンサー」

 書類をもう見始めながら、ササキエルはアナウンサーに次へと促した。

「そうですね、ありがとうございます、小瀬川さん」

「あ、ありがとうございます」

 アナウンサーもそれを受けて、小瀬川に終わりを告げる。小瀬川はほっとしたのか、何回もお辞儀をした後、そっと椅子に腰を掛けた。

 それをアナウンサーが確認した後、次へ進む。


「では、次は水戸部さん、お願い致します」

「はい、承知いたしました」

 次の水戸部は、優しそうでありながらも、しっかりとした返事だ。ただ、年だからか、椅子からの立ち上がりはゆっくりであった。


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