第7話 辞退
一度トイレに行き、もう一度撮影スタジオへと戻る。もう少ししたら、撮影開始するだろう。パソコンの時計を眺めながら、自分の心臓を落ち着ける。
先程、一人天国の階段を登った。しかも、千円でだ。彼は祖母への恨み辛みを残して。
親族がいない俺からしたら、二十五年も勉強できる環境にいるなんて羨ましいと思ってしまう。
彼は、ティッシュをおかずとして食べたことがあるだろうか。水とくず米で、おかずは海苔が一枚あればいい方。そんな飯をしか食えない日々を送ったことがあるのだろうか。
「まあでも、他人が死にたい理由なんて、俺にはわからないか」
もしかしたら、さっきの画面には自分よりも酷い状況の人がいるかもしれない。下を見ても、上を見ても、人間なんて途方も無いものだと思う。
「……俺も次で死のうか」
次の出演料がいくらかはわからないが、番組のシステム的に千円以下になることはないだろう。
じゃあ、もし立候補出来るならさっさと死んでしまうか。
先程STHを飲んだ田川は、短く呻いた後そのままバタリと死んだ。少しばかり苦しそうだったが、見た感じすぐに死へと至りそう。
早く死んで、どこかに暮らしている妹へ、自分が死んだ報酬が行ったらいい。
俺の中で未だに赤ちゃんのままの妹を、ゆっくりと思い浮かべる。酷い言葉で押し付け合う親戚達は、
唯一の肉親の彼女が、どうか元気にやってると良い。
そんなことを考えていると、パソコンの時間は思ったよりも進んでいることに気づいた。通話アプリの画面はどうやらカメラを強制的に切られてるため、誰一人真っ暗なまま。
あれっ?
そろそろ、始まりの合図があってもおかしくないのに。一向に始まらない、仕方ないのでスタジオにいるスタッフの方を見ると、遠くで田中を含むスタッフたちがなにかコソコソと言い合っていた。安っちい天使のコスプレをした男たちが、機材を抱えたまま蠢く姿は、正直見苦しい。
暫くして、困ったように田中がこちらを見て、俺が見ていることに気づいたのか、足取り重そうにこちらに向かってくる。
「すみません、持田さん。ちょっと予定外のことが起きてしまって」
「予想外……?」
「ちょっと、六人ほど辞退者が出るっぽくて」
辞退者。思えば、辞退するには今のうちという話を司会がしていたが、そのリミットは田川が死ぬまでではなかっただろうか。さっきの話を思い出すが、あやふやではあった。
「六人の辞退者でるので、ちょっと仕組みが変わりそうなんです。もしかしたら、その関係で、このセットから移動してもらうかもしれないです」
「辞退者って、田川さんが死ぬまでじゃ?」
俺が素直に疑問を聞くと、田中は気まずそうに首の後ろを掻いた。
「あー……なんか、六人ほど怖気づいて逃げようとしたり、暴れたりらしく……」
「そんななんですか?」
「その中の一人は、錯乱して、暴行罪で引っ張られちゃったくらいには」
警察沙汰になるほど暴れたのか。俺は思わず苦笑いをしてしまう。なにせ、このエンジェルプレゼンテーションでは、最初から「自分が死ぬこと」は確定している。なのに、なぜ今更辞退するのか。と考えた時、一つの考えに辿り着いた。
ああ、なるほど、死ぬことに怖気づいたか。
「持田さんは、あの、辞退しませんよね?」
田中は心配そうに俺に問い掛ける。これ以上、 辞退者を増やしたくないという気持ちが、その不安そうな声からよくわかる。先ほど、語気強く俺にアドバイスしていたから、それのせいで辞退されたらと思っているのかもしれない。
「はい、寧ろチャンスだと思ってるんで」
田中の問いかけに、俺はニタリと笑いながら答える。何故かわからないが、謎の感情が昂りのせいで顔がニヤついてしまう。
俺は怖くない。
寧ろ、この先の何の楽しみのない人生を生きていくことのが遥かに苦痛だ。
辞退した奴らは、言わば逃げたのだ。俺は最初から覚悟していた。確かに、さっき田川が死んだ時は、あまりの周囲の軽い様子にドン引きしたところはある。でも、俺はここに死ににきた。逃げるなんてことはしない。
「ああ良かったです、さすが持田さん。その調子でお願いしますよ」
田中は安心したのか、ほっと胸を撫で下ろす。そして、スタッフたちの元へと戻っていく。すると入れ替わるようにして、今度はベテランアシスタントディレクターである今崎がこちらにやってきた。
「とりあえず、今日は放送スケジュール立て直すので、もう休んで良いので。あっ、今日ピザでもどうです?」
いつもはそばやコンビニなのに、珍しい提案をされた。俺はその提案に、ピザなんて、もうあの時以来食べていない。
「ピザはちょっと……」
「あ、じゃあ中華にしますか、高い店のやつにしましょう。初めての撮影で疲れたでしょうし、今日贅沢するくらいの予算はあるので」
言葉を濁しながら答える俺に、今崎はすぐに切り替える。
「良いですね、美味しい、エビチリとチャーハン食べたいです」
エビチリとチャーハン。少し前なら安い町中華ですらご褒美だった。ここに来た時はたぬきわかめ蕎麦を頼む時にすら、緊張していたのに。
「じゃ、注文してきますね」
今崎が離れていく、他のスタッフたちにも声を掛けているようだ。
皆、嬉しそうに声を上げて、何を頼むかと相談し始めながら、スタジオから出ていく。そんなガヤガヤしている天使たちから目を逸らし、俺はもう一度パソコンを見ると、先ほど黒く連なっていた画面がたった一画面だけになっていた。
画面の側にある名前は、ナンバー14。よく見れば、俺にも名前が振られており、ナンバー1であった。
暫くすると、その画面が真っ暗な画面からパッと明るくなる。そこには愛らしい二十歳頃の女性がそこにいた。
《あれ、私一人かな》
パソコンから戸惑った少女の声、心配そうに画面を覗き込んでいる。どうやら今日はもう撮影がないことを知らないのかもしれない。俺はそれを伝えた方がいいのではと思うが、どうやら自分は彼女の画面に映っていないのだろう。
どうすればとそのアプリケーション画面を見てみると、ビデオのようなマークにスラッシュがついている部分があった。
もしやと思い、その絵を押した。
《あ、こんにちは》
女性は驚いたように目を見開き、俺を見る。画面越しに目が合った彼女。
「こ、こんにちは、あの多分今日は終わりです」
俺はドキドキと高鳴る胸を抑えながら、彼女に言葉を伝えた。
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