第30話 幕間
チャーリーが眼をさます少し前のこと ――――――
書類を提出してくると出ていったオリビアを見送り、ボールドウィン室長は後ろをふりかえった。
「免疫のない子にとって、結界消滅はさすがにびっくりが過ぎましたかねえ」
椅子の上で完全にノビている絵描きの娘を見て苦笑いを浮かべる。
次いで報告書を書く青年へ視線を転じた。
「チャーリーくんを男の子と間違えてしまったこと、まだ気にしてるんですか?」
「べつに」
そういいつつ、どことなくきまりの悪そうなアレクである。
仮に知っていたところで青年の態度が変わるわけではないが、
(扱いはもう少し考えるべきだったかもしれない、と思ってしまうあたり、アレクくんも人が好いんですよねえ)
当人が聞けば盛大に眉間のしわを深くしそうなことをほのぼのと考えながら、老紳士は話題を変えることにした。
「今日一日チャーリーくんと一緒に動いてみて、どうでしたか?」
「こっち側の人間として育てられてないことは確かですが、それをのぞけば、うちが欲しがってる要素はひと通りおさえてますね」
憑依者の
結界の中に入れること。
さらには
生粋の魔法使いでもここまで兼ね備えている者は昨今少ない。
「ふつうそれだけ素養を備えていれば、どこかの一族の先祖帰りを疑うレベルなのですが」
執務机に積み上げられた本のうち一冊を手に取る。
本はひとりでにひらくと、風もないのにぱらぱらとページがめくれた。
「この地下室で保管している魔法使いの家系に関する情報をさらってみましたが、ヘイズという名の家は見つかりませんでした」
「偽名っつーことですかね」
「もちろん可能性のひとつでしょう。チャーリーくんのもつ力は主に『眼』に特化しているところがあります。似た能力をもつ一族を調べつつ、書架に眠る過去資料や文献も洗い直してみます。本庁にも打診して情報取集支援を頼みましょう」
銀灰色の口髭をなでながら、その双眸はするどく遠くを見つめている。
めずらしい、とアレクは思った。
普段はなにごとも楽観的にかまえる室長が、大きな事件にのぞむ時のような慎重な顔をしている。
「眼といえば……室長はあいつの瞳が、ときどき妙な反応をみせるのを知ってますか」
「いいえ、どのような反応ですか?」
「近くで意識して見ないとわかりづらいんですが、燐光みたいっつーか ―――― 本人の心の高ぶりに呼応するように、いろんな色の光彩が浮かび上がるって感じですね。光の加減かとも思ったんですが……」
ルスティカ劇場から戻ってきた時の会話で感じた、かすかな深い気の気配。
「あれはたぶん ―――― 精霊の力です」
「精霊の祝福を受けた瞳……『
老紳士の招きに応じた古書が本棚から飛び出し、あるページをひらいた。
『その瞳、精霊女王に授けられしものにして、この世の本質を見通すものなり。
虹彩の煌めきは千変万化し、螺鈿のごとく輝きをはなつものなり ――――――』
「魔法が栄華をほこったはるか昔から
数少ない文献によれば、魔女の美しい紅の瞳は精霊の加護で満ちあふれていたのだという。
ボールドウィン室長の視線がローテーブルの上に落ちる。
「チャーリーくんのメガネを確認してみたのですが ―――― あれは魔道具ですね」
「は?」
「
「しかし、あいつは」
「チャーリーくん自身はなにも知らされていないのでしょう」
片手をあげて、腰をあげかけたアレクを制する。
「はじまりの魔女と同じ瞳を有しているにせよ、いないにせよ、魔法を司る
そのためには当面のあいだ、この娘を手もとにとどめておかなくてはならない。
「幸い、精霊眼の件がなくてもチャーリーくんの力量なら立派にうちの戦力になってくれそうですしね。聞くところによれば、日々の暮らしをおくるだけでもなかなか難儀をしているのだとか」
加えてなんだかんだと流されやすいチャーリーの性分である。
「強くおせばなんとかなりそうですね!」
ほがらかに勝利宣言をするちょび髭上司に、部下はものいいたげな顔をした。
「だいじょうぶ。心配しなくても
いつもの人の良さそうな微笑を浮かべた老紳士は「さて、チャーリーくんが眼をさます頃にはみなさん空腹でしょうから、夕食を調達してくるとしましょう」といいおくと、上機嫌な足取りで部屋を後にした。
残されたアレクが、なにも知らずに寝こける絵描き娘を一瞥する。
そして深いため息をひとつ落としたのだった。
はじまりの魔女の歪つを見つめる瞳は誰のもの そら @sora-n
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