二
金剛寺麗香の言った「超悪女」、それが、冷泉ひびきだ。確かに、彼女が落とせなかった男はいない。たとえ彼女持ちでもだ。
男はちょろい。小学一年にしてそう思った。男の子はみんな、可愛らしく着飾る女の子には遠慮し、男っぽい外見の子には気楽に寄ってくる。だから少年ぽくしていれば男などほいほい釣れてモテモテなのだ。その真理を、五歳にして悟った。
ただし、この行動には盲点があった。気安く近づけるということは、色気づいた奴に痴漢されやすいということだ。だから、普段はクールを装って周りを威嚇しておき、気に入った男にだけ胸でもどこでも触らしてやる。
実はこれは、女なら誰でもやっていることなのだが、それを無意識にやっていて自覚がないところが、ひびきと違っていた。
可愛い、美しいという格好は男を引き寄せるためではない。女っぽさは、実は女の甲冑(かっちゅう)である。化粧はプロテクター、香水は煙幕である(あるいは女同士の連帯、つながり、確認のための合言葉、もしくは暗号)。スカートのフリルやプリーツは、「これを触ったら犯罪だぞ」と男に教える。こうして普段はうかつに近寄れないようにしてバカ男からの痴漢行為から身を守り、気に入った男だけを彼女の「領域」に入れる。
そういう「ヨロイ」を世の女はみんな無自覚に使いこなしているが、ひびきはその防具を極端に弱め、普段から出来るだけ男が来やすいように、少しだけ門をあけておいた。いちおう痴漢対策として周囲に威嚇はしておくが、あくまで叩くのはそういう無礼者だけであり、普通の男にとって、ひびきはきわめて近寄りやすい女だった。
普通の女と比べ、ひびきははるかに怖くなかった。なんせ見た目が男と変わりないのだ。ひびきは、全ての男が気が小さいと知っていた。男のもろさ、男が女に自分から話しかけるときの恐怖、傷つきやすさを知っていた。だから男にモテたければ、たんに脅さなければいいのである。
ひびきは、やっていることの根本は普通の女と変わりなかったが、やり方がまるで違っていた。男を安心させ、釣りやすくしてゲットするためには、男装が最も有効だったのである。女が女の格好で気を引くよりも、女が男の格好で近づき、耳元で殺し文句を囁くほうが、男の欲望をはるかに強く刺激することも、経験で分かった。それを実践するうち、いつしかまれに見る危険な「男たらし」、「悪女」の汚名をいただくようになった。
だがひびきは、周囲になんと思われようが、まるで気にしなかった。自分の男に迷惑がかかると激怒してどんな手でも使って対処したが、世間体などにはまるで興味がなく、周りから非難されようが、どうでもよかった。
実際、女が怒ってくるのは自分への妬みだと思っていた。
(なんだよ、モテたかったら、僕のようにすればいいだろ)
(それが出来ない、そうする勇気がないなら、黙って僕に男を譲ればいいんだよ……)
次第に彼女の中で女嫌いが膨れ上がっていた。街中できゃっきゃ騒ぐ女子高生を見るたび、バカ女ども、と心で軽蔑した。
だが、金剛寺麗香のことは妙に引っかかった。自分を見るたびにあれだけバカにしてくる女だから、こっちからも嫌って当然のはずだが、それでも完全に切って捨てられない、何かのしこりみたいなものを感じた。
だが、ギャーギャー非難されたいわけじゃないから、基本的には迷惑だった。いくら男を連続で五人取ったからって、あんなにキレることはないだろう。「男をほかの女に取られる」などという経験は生まれてからしたことがないので、そうされる気持ちが分からなかった。
「死ね、コノヤロー!」
「ぐはああっ!」
頬を思いっきりグーでぶん殴られ、後ろへすっ飛んで壁にしたたか背を打ち、地に崩れ落ちた。口を触ると、中が切れていて、指に血がついた。
誰も来ない旧校舎の裏庭、例のごとくラブレターで呼び出されたと思ったら、激怒の形相の二人の男子生徒が仁王立ちで待っていた。こんなへんぴな場所だからおかしいとは思ったが、たんに恥ずかしいんだろう、とのん気に考えたのが甘かった。
ひびきは壁に背をこすりながらなんとか起き上がったが、足はふらついた。
二人のうち、片方はよく知っていた。去年、まだ新入生だった頃に半年も付き合った相手だ。
確か名前は――。
「ええと……君、誰だっけ?」
ここに来たときそう聞くと、彼は苦々しく顔をしかめた。短い前髪を額に垂らした細面の痩せ型で、普段はこれ以上にないくらいに優しい笑みを浮かべる男だが、今では誰かさんのために眉間に皺が寄り、絞った雑巾のような悲痛な顔である。
「やっぱり僕のことなんか、きれいさっぱり忘れちゃったんだな」
「ええと相原――いや神崎――」
しれっととぼけた顔で顎に指を当てて空を見るので、相手はますますイラついた顔になった。
「藤岡だよ! 全然ちがうだろ!」
「あーそうそう、藤岡辰巳くんだ」
「純也だ! 君は人名を覚える気がないな!」
「しょうがないだろう、男の知り合いが多すぎて。名前なんかいちいち記憶できないよ」
肩をすくめるひびきの前に、もう一人のゴツいのが一歩踏み出た。こちらは藤岡純也より体格がよく、背も高い。顔は整ってはいるが、まぶたが厚く眉が細く目も細く、あごが張って類人猿っぽい。しかもそれが激怒に駆られているので、迫力が違った。
だが、ひびきは気にする様子もない。
「ええと、君は見たことないね。完全に忘れてたんなら、ごめんよ」
「ふん、話どおり、サイテーなヤローのようだな」
彼は気を落ち着けるように腕組みし、外見にふさわしいドスのきいた声で言った。
「心配すんな、俺はてめえなんかと付き合ったこたぁねえ。百億つまれたって願い下げだ。 俺は西郷(さいごう)毅(つよし)。聞いたことねえか? 西郷だ。まあ薄情の塊のてめえなら、とうに忘れてるだろうがよ」
「西郷? 最近、見たか聞いたかしたな。
……あ、思い出した。手紙の子だ」
数日前、校舎裏で振った女の子の苗字である。確か自分を『女好きだから男装してる』と勘違いした、あれだ。
「そう、西郷みつるだ。そして俺は、みつるの兄だ」と男。
そうだ、みつるなんて名前だから性別が分からず、出向いてみる羽目になったのだ。女と分かれば行かないのに、なんて紛らわしい。そして行って断れば、逆恨みして泣かれた。
そういういざこざのせいで、この件はひびきも鮮明に覚えていた。さすがに相手の名前までは忘れていたが。
その告白玉砕女王の西郷みつるの兄だという西郷毅は、厚いまぶたの下に切り込む細い目で、ひびきを忌々しそうに見つめて言った。
「みつるを振ったのは、まあ仕方ねえことだし許そう。だが、なんでそのあと殴った?」
「殴る?」
目を丸くするひびき。
「おいおい、僕は殴るなんて物騒なことは――」
「しらばっくれるな!」と指差して怒鳴る。「みつるはな、てめえにぶん殴られたって、顔に蒼あざ作って泣いて帰ってきたんだぞ! いくらしつこいからって、なにも暴力ふるうこたぁねえだろう!」
「そりゃ嘘だな」と腕組みして一瞥する。
「う、嘘だとお?!」
否定されて、完全にぶち切れた。
「みつるが俺に嘘つくわけがねえ! てめえこそ誤魔化してやがんだろ! ほんとのこと言え!」
「ほんともなにも、僕に彼女を殴った記憶がないんだから、仕方ない」
肩をすくめ、バカにしたような上目づかいで続ける。
「どうせフラれた腹いせに、自分で自分の顔を殴ってあざを作ったのさ。見たところ、君は相当のシスコンのようだし、妹に舐められてるんじゃないか? 思い出せよ、どうせほかにも騙されてることが山ほどあるだろ」
「黙りやがれ!」
叫ぶと、ついにそのこぶしが飛び、冒頭の惨事になったのである。
「おい藤岡、そいつ押さえろ」
かつての恋人に羽交い絞めされ、ひびきは蒼あざの付いた痛々しい顔でにらんだ。
「なんだよ、殴ったんだから、気が済んだろ」
「まだだ」と腕組みし、張ったあごを突き出して、尊大に言う西郷毅。「てめえをここでレ○プする」
「ほ、ほんとにやるの?!」
目をむいて声を震わせる藤岡純也に、狂犬のような目を向ける暴漢。
「今さらビビってんじゃねえ! このクソ女は俺と妹をおとしめただけじゃねえ、みつると俺の過去の全てを嘲笑いやがったんだ! もう勘弁ならねえ!」
「ひ、ひびき」
羽交い絞めにしながら、必死に説得する純也。
「謝ったほうがいいぞ。奴は本気だ」
しかし、ひびきは目を細めて毅をにらみ、きわめて冷笑的な口調で言った。
「ふん、クソ女にチ○コ入れたら、チ○コが腐るんじゃないのか?」
「口の減らねえアマだな」
眉間に青筋を立てて指をにぎにぎする。
「腐るかどうか、やってみようじゃねえか」
しかし彼が近づくより早く、ひびきは純也の腹に思いっきり肘鉄をかまして飛びのいた。ひっくり返る優男に舌打ちし、ひびきに飛びかかり、押さえつける毅。横目でにらんで叫ぶひびき。
「口から血を垂らした女にやって楽しいかっ!」
「うるせえ!」と、うつ伏せのひびきに馬乗りになる。抵抗が弱まると、多少は余裕の笑みが浮かんだ。
「どうだ、怖いか。なんなら、遠藤を呼んだらどうだ」
その名にぴくんとした。そうだ、晃のことをすっかり忘れてた。恋人だってのに。
「ほれ、電話しろよ」とスマホを渡す。「番号ぐらい覚えてんだろ。とっとと呼べ。泣いて助けを乞え。『たすけて、あきらくーん』ってよ。奴が来るまで、このまま待っててやる。目の前で、てめえを滅茶苦茶にしてやるからよ」
「……」
「なに黙ってんだよ、おい。そうか、ビビりすぎて声も出ねえか」
ひびきがただじっと下を向いて動かないので、勝ち誇って言いたい放題の男。
「てめえもしょせんは女だな。どうだ、土下座して謝れば、レ○プは許してやってもいいぜ。か弱い冷泉ひびきちゃんにゃ、王子様もあきれて来る様子もねえな、へへへへ」
笑って腹筋が緩んだそのとき、ひびきがいきなり身をひるがえし、毅の腰が宙に浮いた。あっとなった瞬間、ひびきの鉄拳が彼のあごに飛び込んだ。あおむけにぶっ飛ぶ男。
「ぐはあああー!」
うめいていったんは地面に伸びたが、すぐにトカゲのように這ってきて、逃げだすひびきに追いすがる。
「しつこいぞ!」
「こうなったら、意地でも犯してやる!」と、ひびきのズボンのベルトをつかむ。
「うわああ! やめろおー!」
「はーい、そこまでよ!」
甲高い女の声に、毅がぎょっとして振り向けば、赤いリボンの派手な縦ロール髪と、長い黒髪の女生徒が腕組みして立っていた。
だが彼は悪びれることなく、指さして逆ギレることしかなかった。
「なっ、なんだっ! てめえらにゃ、かんけーねー! あっち行ってろ!」
「まあ、性犯罪者が偉そうに指図する気?」
金剛寺麗香は腕組みのまま、これ以上ないくらいの侮蔑に満ちた視線で言った。隣で親友の如月(きさらぎ)葵(あおい)も、汚物でも見るような目を向けている。
「関係あるから来たんだよ。
……ほら、こっち来な」
葵が背後に隠れていた少女を引っ張り出すと、毅はあごが外れそうになった。
「み、みつる……?! どうしてここに……?!」
驚がくする兄に、右頬に痛々しくガーゼのシップをした妹は、暗く潤んだ瞳で、しゃくりあげながら子供のように言った。
「うっうっ、お兄ちゃん、ごめんなさい。私、冷泉さんに殴られたんじゃないの。自分で自分のほっぺ殴ったの……」
「そ、そんな……嘘だろ?!」
ほとんど腰を抜かしたが、それでもなんとか地に両手を着いて懇願する兄。
「たのむ、嘘だと言ってくれ、みつる!」
「だ、だって、ほんとだもん! ごめんなさーい! うわあーん!」
「みつる、待ってくれええー!」
泣いて走り出す妹を、泣いて追いかける毅。
二人が消えると、見ていた純也が泣き出した。
「あ、あいつにアッパー食らわしたひびき! カッコよすぎだぜチクショー!」
涙を袖で拭き拭き、あえぐように叫ぶ。
「また惚れちゃったじゃないか! あきらめたと思ったのに!『もう飽きた』なんて、あんなに冷酷非情に言われたってのに! 会えば、これだ!
ああチキショー、君ほどひどい女はいないぜ! どうすりゃいいんだあああ! うわあああーん!」
泣いて退場するその背を見てあきれ、ぽつりと言う葵。
「二人の男を同時に泣かすとは、さすが超悪女」
ひびきは地に片足を投げ出したまま、しばらくうつむいていた。前を向いて、少々驚いた。
麗香がしゃがんで顔を覗き込んでいる。
「派手に殴られたわね」と、ポットの水で湿らした白いハンカチを出すと、顔を背けて拒む。
「なによ、痛いんでしょ。ほっとくと化膿するわよ?」
「……どうして僕のことを」
「どうしてって」
「その……
嫌いなんじゃないのか?」
「そりゃ、恋人を取られたことは、今でも恨んでるわよ」
「じゃ、ほっとけばいいじゃないか。いい気味だろ」
「いやよ」
きっぱり言い、真剣な目でじっと見つめる。
「あなたのことは嫌だけど、あなたがひどい目に遭うのを知ってて、ほっとくほうが、もっと嫌なの」
そう言ってハンカチを差し出すと、今度は大人しく血を拭くに任せた。
「……しかし、よくあいつが嘘を認めたな」
「そりゃ、あんだけ派手に顔を殴ってりゃね」
苦笑して後ろを見ると、葵も困ったように笑って言った。
「顔のあざの捏造は、学園内で目撃者が十人。そのあと『冷泉に殴られた』と言いふらした相手が二十人。その中に、捏造の目撃者が全員含まれていた。そんなに騒いじゃ、嫌でもこっちの耳に入るよ。その前に、真っ先に三年生の兄に言いつけに行ったようだけど」
「あの子をシメたら、『お兄ちゃんに、あの女をレ○プしてもらうんだ、けけけけ』なんて笑うのよ。それでここへ引っ張ってきたってワケ」
うんざりと言う麗香に、ひびきは暗い顔を向けた。
「それは……申し訳ないことをしたな……。
僕が悪いんだ」
これには驚く麗香。
「はあ? あんた、あんな目に遭わされて、よく――」
ふと気づき、押し黙る。
そういえば、さっきから全然立ち上がろうとしない。
なぜ?
こいつほどのイケメン女子が……。
ひびきは再びうつむき、声を震わせた。
「ごめん――金剛寺、君には一番ひどいことを――」
腕に顔をうずめ、悲痛にしゃくりあげる。
「純也にも、あいつにも、あいつにも……それから――」
「もう、お黙んなさい」
麗香は膝立ちのままひびきを抱きしめた。肩が涙で濡れた。
それを見ながら、葵はやっと気づいた。
――そうか、今ごろ怖くなったんだな。
そして、聖母のような顔になった。
――なんか、かわいい……。
弱っていたからとはいえ、麗香に自分の非を謝ったのだし、まあいいかとは思ったが、やはり気の抜けない相手だと、葵は改めて思った。
帰り道、麗香はやたらさっぱりした顔で、「これで、晃くんを安心してあいつにやれるわ」と悟ったように言っていたし、さすが無数の男女を惚れさせてきたジゴロだけある。
まだ高校生だというのに、たまに「疲れたOLみたい」と言われるほどに冷めた自分ですら、一瞬、少女のときめきを感じてうっとりしてしまったほどだ。
ヤバい。
想像以上にヤバい奴だぞ、あの冷泉ひびきは。
「じゃあ麗香、あいつのこと許すんだ」
葵がコンビニで買った棒アイスを渡してそう言いながら、店頭のベンチに座ると、麗香は早くも袋を破りつつ隣に腰をおろした。買い食いは本来お嬢様のすることではないが、葵となら、そのくらいは平気でする。
「完全に許したわけではないけど」とアイスにパクつく。「あれじゃモテるのも無理ないわ、って認めるわ。あ、別に魅力的だとかは思ってないからね。客観的に見て、よ。あいつはきっと、男女を問わずメロメロにするような天性の才能がある奴なのよ」
「たとえば、喧嘩が強い男に憧れる男がいてもさぁ」と遠い目でアイスを舐める葵。「ゲイでもない限り、恋愛感情は持たないわけでしょ? ところが、あいつは悪い奴に敢然と立ち向かって殴り倒す、男のようなカッコよさを持ちながら、でも本質はあくまでも可愛い女なわけよ。こりゃ惚れるよね」
「まあ、あんまりモテるのも大変だって分かったし、私にはあんまり関係ないことだわ」
「えー、麗香、モテモテじゃない」
言われて、とたんに真っ赤になるお嬢。
「な、なに言ってるの、葵の方がラブレターすごいじゃない」
「そういや、そうだ。なんでかな」
答えが薄々分かっていながら、口には出さなかった。相変わらず遠くを見ながら、しばらく黙る。
「葵……?」
麗香がけげんな顔で見ると、葵は遠い目のまま、ぽつりと言った。
「男装……しようかな……」
「えええええ――?!」
叫んで、残りのアイスが落ちた。
結局、ただの冗談だとは言ったが、麗香は帰り道もずっと引っかかっていた。葵もモテたいのだろうか。しかし彼女は自分よりずっとひびきに対し批判的だ。見た目を真似したがるとは思えない。
やはり冗談だろうか。でも、そのわりには、そんな軽い雰囲気ではなかった。うーん、分からない。
辺りはとっぷりと暮れて、小さな公園のベンチに月光がさし、ブルーの板が白く浮かび上がって神秘的だった。何気なく中に入って座ろうとして、はっと立ち上がる。しかし、入ってきたそれが知り合いと分かると、目を閉じて腰かけた。
だが相手は彼女の前に来ても、突っ立っているだけで何も言わない。品のある声で、浮かれるように「おやおや、女の子ひとりが、こんな時間に危ないよ」ぐらい言いそうなものなのだが、やはり、ついさっきのことがあるので、まだ気にしているのだろうか。
らしくない。
そりゃ、夕方わかれたときはいつもと別人の様子だったが、こんな時間まで引っ張ることはなかろう。悪女の中の悪女、超悪女が聞いてあきれる。って、こっちが勝手に言ってるだけだけど。
「……と、隣、いいかな……」
ずっと黙っていると、ひびきが口をひらいた。聞く前に、もう座ってそうなキャラなのに。
「いいわよ」と身を引くと、隣に腰をおろした。
沈黙。
長いので、気まずくなってくる。
「……大丈夫?」と聞いた。
「ああ……あのことなら、もうすっかり」
「……あらそう」
また沈黙。
どうも話しづらい雰囲気だ。まるでお見合い。
ところがなんと、相手にとっては、お見合いみたいなものだったらしい。
「そ、その……言い忘れたことがあってさ」
「なに?」
「助けてくれて……」
きわめて言いにくそうに言葉を切り、ぼそっとしぼり出す。
「ありがとう」
「いいわよ、勝手にやったんだし」
「あと、まともに謝ってないよね。ごめん」
「なんのこと?
ああ男のことね……」
いったん遠い目をして、続ける。
「いいのよ、あなたになら、取られてもしょうがないわ。男をゲットする才能じゃ、どう頑張ってもかなわないからね。
まったく、かっこいいうえに、可愛いなんてずるいわ」
そして横目で見る。
「いいわ、男ぐらい、あなたになら譲ってあげる。ほかの変なのに渡すよりは、ずっとマシだから。でも、覚えておいて」
顔を向け、まっすぐ射るような瞳で見る。
「かっこよさなら、私のほうが勝ちだからね」
「……確かにそうだ」
ひびきがやっと微笑すると、麗香も笑った。
「やっぱり、あなたはその顔のほうがいいわ」
「これからは、君の男は取らないと誓うよ。寄ってきても断る」
「ダメよ、そんなの」
眉を吊り上げるお嬢様。
「私の男ならなおさら、向こうの判断で寄ってきたんなら、もらいなさいよ。変に気を使われるほうが嫌だわ。愛されたときは、ちゃんと愛をもらいなさい」
ひびきは、あっけにとられて見つめた。
「君ってほんと、どこまでもイカしてるんだな」
ここまで言われると、麗香でなくても照れる。
「な、なによ、くどいてるの?」
「ちがうよ」
爽やかに笑うひびき。
「率直な意見さ」
「でも、あなただって、襲われたら殴り倒すじゃないの」
「そのぐらい、君だってするだろ。それに……」
腕組みして夜空を見る。星がいくつか瞬いている。
「僕じゃ、結局ビビっちゃってダメだ。あのまま、君が来なかったらと思うと、ぞっとする。ほんと、君くらいの心臓が欲しいよ」
「ハートなら、わけてあげてもよろしくってよ?」
急に両膝に手を置き、もじもじしだすひびき。
「実は、そのう……言い忘れたことが、もうひとつ、あるんだ」
「なんなのよ、これ以上」
「その……僕と……」
顔を向け、真剣に見つめる。至近距離で見れば見るほど、壮絶にいい顔だと思った。だが、その超絶美顔は、なかなか言葉を続けない。
「僕と……」
「僕と?」
「その…」
いったん下を向き、くるりと決意の顔を向けて言った。
「友達に、なってくれないかな」
「お断りします」
驚くひびきに、麗香は前を向き、目を閉じて言った。
「知り合いくらいならいいけど、これ以上あなたと関わると、ヤバそうなんだもの。それに、あなたのこと、好きなわけじゃないから」
横目で見ると、ひびきはうつむいて薄笑いしていた。心外だ。
「なによ、襲われるよりショック受けたみたいじゃない」
「まあ、ショックだね」
ひびきは寂しげな笑みを向けた。このかげりに満ちた顔がまた美しく、いちいちはっとする。
が、そうとは露知らぬ様子で、またうつむいた。
「僕……」
いったん途切れ、また、ぽつりと言う。
「フラれたの、初めてなんだ」
「そう」
お嬢は眉をひそめ、背をぽんと叩いて微笑んだ。
「おめでとう。赤飯ね」
月が優しく笑うように二人を照らしていた。(終)
超悪女 ラッキー平山 @yaminokaz
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