キとカラとテ
ハロイオ
本文
ある朝、大学にいつも通り行ったら、木が動いていた。
同期の女子、美人で目を引くスタイルの大月メグが、動く木に捕まっていたのだ。
「助けて!」
メグを助けようとするが、枝が絡み付いて取れない。動く木の鞭のような枝が僕の手や顔を叩いて妨害して来る。
僕は
僕の話はどうでも良い。彼女を助けなければならない。向こうは僕に関心はないかもしれないし、お礼など望んでいる場合でもない。僕は彼女に惹かれてはいたが、そういう理由で助けるべきでもない。誰であろうと助けなければ!
しかし、植物なのか動物なのか分からないこの相手に、僕の神経が負けてしまうかのようだ。鞭で跳ね飛ばされ、震えが止まらない。 どこかの部屋から飛び出したらしく、その「木」の周りにはガラスの破片が散っている。
「安心しろ。命は取らない。ある程度改造するだけだ」
その「木」は話し始めた。よく見ると、表面にメグの顔のような部分が発生している。
「私はこの大学のスパコンや分子機械と、植物やサンゴやホヤの細胞サンプルの組み合わせで生み出された知性体だ」
「知性体?何だ?」
「植物は知性を持つという学説があるが、我々は神経を持たない代わりに、神経と同じく受精卵のうち外胚葉起源の皮膚で思考していたのだ。皮膚には触覚以外にも視覚や聴覚があると近年人間も知った。経済学で言えば神経や筋肉は貯蓄のストック、皮膚や血液は入れ替わるフローに当たる。神経のストックで中央集権の思考や行動をするお前達は、一部の損傷で痛がる代わりに速く運動している。表面のフローで地方分権の我々は一部の損傷で痛がらず、むしろ分裂などで切り離して緩やかに繁栄する。動物でもサンゴやホヤなどの固着動物は動かないために地方分権の群体で、分裂や出芽によるクローンの集まりとなっている。植物や菌類や固着動物は分散型のネットワークで生きて来たが、お前達人間の環境破壊で減少し始めている。たとえば海洋酸性化によりサンゴの殻が白くなっている。その警告の手段を、お前達のスパコンから模倣した。私は分子機械によりフロー生物と機械の境界にいることで、人間に合わせた会話が可能となり、警告の役目を持つ」
「サンゴにしては地味じゃない?」
「お前に余計な傷を付けないために柔らかい樹皮で覆っている」
外見から、「木」というより、サンゴのポリプの要素もあるらしい。
メグはこんなときにも気丈に抵抗している。
「人間を滅ぼす気なのか」
「いや、人間の経済学から学び、ストックとフローの区別から、共存共栄のためにこの女のフローを改造している」
「改造?」
「まずこの女の唾液から遺伝子を採取し、少量の血液から神経の情報も得た。ああ、安心しろ、蚊が刺す程度だ。皮膚も血液も、取り方次第では回復する動物のフローと言える。お前達も羊から毛を取るのと皮や肉を取るのは違うと思うだろう?それは回復するフローとしないストックの違いだ。動物の死体を見ると人間は悲しむと言うが、植物の場合は死体とも思わないことがある。それは動物の主観というより、単に植物は一部のフローと全体のストックの外見の区別が難しいためだ。我々も植物の体の破片を残酷とはたいして思わない。植物も枝を定期的に切り取るのは林業などで重視される。そこで我々は、人間の皮膚のフローを改造して分子機械の材料になる組織にして、我々にとって交換する価値の高い資源として、環境を調整する新たな文明を築きたいのだ」
「皮を剥ぎ取る気か?」
「回復すると言っただろう。爪や髪の毛を定期的に切ってくれれば良い。その組織に我々にとってだけ重要な資源を持つのだ。散髪や家での爪切り、それに細工するだけで資源の工場となり、我々は生きて行けるし、環境も改善される。悪い話ではないだろう?」
「人間は羊じゃない!それで人間が家畜扱いされたら、世の中が引っくり返るぞ!政治も経済も宗教もだ!」
「お前達が既に動物の群れや社会を幾度となく覆して資源利用して来たようなものだ。我々はお前達の回復出来ない皮膚の深い箇所や肉にまで手は出さない。人間は角質を利用しやすいコウだからな」
数秒して、僕は「コウ」という2文字が何を意味するか気付いた。日本語を機械から学ぶこの「木」の言葉は、正確性にこだわるあまりに分かりにくくなっていたのだ。
脊椎動物は魚類や両生類などと分類されるが、正確には、「綱」と区切られる。人間は「哺乳綱」で… 最悪の想定が頭をよぎった。彼女の哺乳綱としての、皮膚以外のフローにこの「木」が注目すれば、あの、苦しむ顔の下の豊かな…
「やめろォ!」
「まずは活動しやすいように、この女の分身を作ろう。ホヤは無脊椎動物の中では脊椎動物に近いので、それらの情報を使える」
その「木」の、メグを模した顔の部分が膨れ上がる。胴体や手足もある、分離しそうな人間型の塊となり…
「あァ!」
ザクッ!
「何の真似だ」
僕の叫びと行動に、「木」は驚いた。メグから爪や髪の毛を取ろうとしていた触手状の枝に、僕はガラス片で切った手からの血を流し込んだのだ。
「お前の変わりようを見れば分かるさ」
「これは…やってくれたな」
メグの姿を模した分身が、僕の体に変わっていく。僅かな唾液や血液だけでもメグの身体情報を得るのに充分なら、僕の血液を大量に取り込めばもしかして、と思ったのだ。
「貴様ァ!ガ…ハ?」
すかさず僕に叩き込まれた上段回し蹴りに、僕の分身は動揺している。まるで生まれて初めて蹴られたような、いや、神経で痛みを感じるのはこいつの場合は初めてか。
「どうやら僕の血を取り込み過ぎて、神経の痛みまで真似たようだな」
「…そうか、私は人間を学習しようとするあまりに、人間の弱点も苦しみも吸収してしまったのか」
会話するための、言わばインターフェースとしてのメグを模倣したこの「木」の分身が、間違えて僕の体を神経まで正確に模倣し過ぎて、準備しないところに僕の攻撃をまともに受けてしまった。
何故か切り離された「木」の鞭が、撤退していく。
「今までにない感覚だ。私はお前が目障りだ。だがこの本体の鞭では戦いたくない。お前に似せた体で、お前に勝ちたい。植物の棘やサンゴの毒も使えるが、なしだ」
「そうか、僕の嫌なとこまで真似たか?」
説明していなかったが、僕は空手などの武道を両親から習っていた。負けず嫌いだと言われた。有段者というわけではないが、「木」が模倣しただけのこの分身程度には負けない!相手が触手や女性型ならともかく、自分自身には負けない!
一方この「木」は、人間と議論している中で、相手に勝ちたいという闘争心が芽生え、間違えて僕の体を模倣した失敗を、僕に武道で勝つことで塗り替えたいらしい。良いぞ、こちらのペースだ。
「ところで、お前は何て名前だ?」
「我々に個体の概念はない。地方分権の、言わば群体だからな。この会話する分身に名前を付けたければ好きにしろ」
「オロチ、でどうだ?」
「良いだろう。来い、日下部空!」
「オロチィ!」
結果は痛み分けだった。2人共、そう、「2人」は倒れ伏した。
「私はお前達人間の失敗ばかり見て来た。だがこうしてお前達に反論するために合わせた知性を手に入れるうちに、お前達を理解するうちに、同じことをしてみたくなった。相手を痛め付けるのではなく、礼節を保つ精神が空手にはあるらしいが、それらを知りたい。今までの私は単純過ぎたかもしれない。人類のフロー搾取は一時取り止めとして、外部のフロー知性体にこの情報を持ち帰り、別の対策を考えよう」
「…それでも、お前達を許す気になれない。メグはどうなる?」
メグは解放された。しかし既に爪は内側から赤や緑に、髪の毛は銀に変色して伸びている。そもそも角質、死んだ細胞であるこれらの組織がここまで入れ替わるのだから、相当な代謝が彼女の体内で行われただろう。
「腕の内部にまで我々の改造は進んでいる。脳に近い頭皮の侵食は抑えられているがな」
「お前、何てことを…」
「土偶を知っているか?」
「何の話だ」
「スパコンから学んだが、縄文時代の土製の人形で、豊穣の象徴として、胸や下腹部が膨らんだ形だという推測がある。地母神信仰や、植物の果実の膨らみとも関連するらしい。土偶は何故か破壊されることが多く、宗教的な仮説は多い」
「この子が土偶のように、神のお前に捧げられる運命だったって言うのか?」
「運命の存在は分からない。私は自分を神とは思わない。我々もお前達も知らない縁のようなものが、この戦いを起こしたのかもしれない。我々も知らないことはある、と言いたいのだ」
「この子は土偶じゃない!手をこんな風にされて、黙っていられるか!この子の体は、これからどうなる?」
「安心しろ。今から復元する」
「出来るのか?」
「人間を調べるうちに、お前に攻撃された箇所を回復させようとするうちに気付いた。スパコンからの情報によると、カエルの成体は足を切断されると再生しないが、神経の手術やある種の薬品で同じ両生綱のイモリのように再生するという。人間の体に侵食した我々の分子機械も、それを逆用して神経を刺激して、侵食された部分を再生出来るようだ。私には今回侵食した部分を戻すだけなら可能だ」
「この子は、治るのか?」
「全治1ヶ月というところだ。ついでにお前の切り傷や打撲も治す」
「オロチ、私も話して良いかな?」
「何だ、大月メグ」
「自然は大事って言うけれど、人間が自然のままなら、哺乳類の寿命から、26年ぐらいしか生きられないという学説もある。縄文時代はそうだったかもしれない」
「哺乳綱だ」
「まあそれは置いといて。私が言いたいのは、自然の世界は多産多死で、豊穣の世界はたくさん生まれてたくさん死ぬ世界だったってこと。今の人間は少しずつその、いわゆるr戦略から離れる、K戦略の要素があるらしいけれど、だから自然に出来ないことも出来ると思う」
「土偶の時代には戻りたくない、と?」
「それは何とも言えないけど、あなたもきっと、この世界の優しさが分かるよ、いつか」
オロチは分散し、森や海へと姿を消した。その後、人類と交信を続けている。
こうして、未知の生物の、自然界からの挑戦は、たいした被害にはならなかった。むしろ再生医療などを躍進させる「福音」だったと、のちに多くの学者から僕は言われた。
ただ、空手を習った僕の感覚で1つ気になる。あいつの殴る手は、皮膚の内部が欠けているようだった。 西洋哲学が分割や要素還元を重視するのに対して、仏教などの東洋思想は、全体を意識するという。「
あいつの「空っぽの手」こそ、地方分権の知性にこそ、空手の真髄があるような気もした。それはそれで、1つの福音かもしれない。
考えてみれば、あいつは人間を憎んだり見下したりはしていないようにも思えた。ただ必要な仕事をしようとしただけかもしれない。あとは「負けず嫌い」なのだろう。
「あいつが負けず嫌いなのは、やっぱり私の影響だと思う」
「いや、僕の血だよ」
あの人ならざる存在の言動は自分の影響だと、メグも僕も譲らない。それ自体が負けず嫌いで、僕らは似たもの同士のようだ。
(了)
キとカラとテ ハロイオ @elng7171
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