第46話 事前準備
夕方、桂木デパート屋上の一角にある、今どき珍しい屋外ステージで「飛翔戦隊ウイングレンジャー」のヒーローショーが開催される。
そのときまでステージを借りた事務所は、チームの実地練習をすることになった。
さすがにテープだけで仕切られた事務所の練習場とは違い、柱や壁があったり穴が空いていたりと、実際にステージに立たないとわからない問題が多い。
チームの皆は何度もこのステージを使用しており、すでに勝手知ったるものである。
「
「なんでしょうか」
「巽くんって本番は初めてだよね。当然ここも初めて」
「はい。たぶんですけど十年前の小学生の頃からもここでヒーローショーを観た経験はなかったはずです」
「初めての舞台に来たら、まずステージ周りをしっかりと確認するといいよ。舞台の中央はどこで、そこから前方に何歩、後方に何歩。左右が何歩で、ステージの傾斜、柱や壁などの位置を確認するといい。準備は他の人に任せていいから」
確かにステージに上がるのは初めての経験だ。実際ステージを把握しないと演技のしようもない。しかし疑問もある。
「ステージの傾斜ってなんですか?」
「ああ、演劇では『八百屋舞台』といって舞台全体が見渡せるようにステージに軽く傾斜がつけられているんだよ。そうすれば最前列も後列の人もステージの奥が見えるからね」
「へえそうなんですね。じゃあバク転やバク宙をするときも違和感があるかもしれませんね」
「さすが巽くん、察しがいいね」
まいったな。傾斜のある地面でバク転やバク宙をした経験はないんだけど。
「そこで、僕が補助をするから君はステージのあちこちでバク転とバク宙を何度もやってみようか。君が主に演じるのは下手の奥だけど、他の人になにかトラブルがあったらそちらにまわってほしいからね」
保険をかけておきたいということか。確かに限られた人数でヒーローショーを開催するには、代役を用意するのが当たり前なのだろう。
「じゃあまずは中心のここからゆっくりステージの広さを体得しようか。君のバク転とバク宙は大きいから、ある程度タイトにステージの大きさを見積もらないといけないからね。まずは目視で、次は目をつぶって。よし、やってみようか」
まず前方へまっすぐ歩いていき、縁の一歩手前で止まる。そこから後ずさりして元の位置まで戻ってくる。次は後ろへ向かい、左、右、四隅へと移動する。そして目を閉じて歩幅を計っていく。
感覚がズレているようならそれを都度直しながらである。これがなかなかに難しい。そもそも平地ならいざしらず、ステージはかるく傾斜しているため、まっすぐ歩いているつもりでも大きく膨らんでしまうことが多いようだった。
このステージで他の演者とぶつからないようにバク転やバク宙をしながら殺陣をやらなければならないので、難易度はさらに上がるだろう。
だから皆、僕がステージで歩いているだけでも文句を言わないのだろう。
初めてステージを踏む僕にとって、皆の邪魔にならないように立ち回ることが最優先されるからだ。
もちろん全体のバランスにも気を配らなければならないが、初めて演じる人にあまり負担をかけないよう、かえって周りの人に気遣ってもらうことになるだろう。
「まあ今日一日で憶えてもらうわけじゃないから、あんまり考えすぎないで、体で憶えようか。じゃあステージ中央からバク転とバク宙をやろうか。一回の試技でどこまで移動するのかを確認すると、ステージの距離感を把握しやすいからね」
歩いて体が温まってきたので、まずはステージ奥に向かってバク宙を跳んでみることにした。
なるほど。高く跳んだつもりだったけど、少し詰まる印象があるな。だがこの程度なら修正は可能だ。中心まで戻って納得のいくまでバク宙を繰り返す。そうしてからステージ手前に向かってバク宙をする。
今度は体の開きがやや早いような状態になるな。地面がやや下っているので、着地までの感覚に微妙な狂いが生じるようだ。
ステージが傾いている以上、それを織り込んだ実施が求められるのだから、確かに体操経験者が力を発揮しやすい仕事といえるだろう。
バク宙で慣れてきたらバク転に切り替えて、実践での動きを体に叩き込んでいく。
「やっぱり巽くんって才能あるよね。体操経験者でもステージの傾斜に慣れるまでかなり時間がかかるものなんだけど。君はすぐに対応しているからね」
「これを憶えないかぎりメンバーやスーツアクターさんに多大な迷惑がかかりますからね。いちおうとはいえ、プロのアクターとして認められる試練だと割り切っていますよ。ただイメージと現実の違いをうまく織り込めるようにならないと、ですね」
「そうだね。僕たちプロのスーツアクターは、どんなに難しいことでもできて当然と見られているからね。観客は失敗しないかっこいいヒーローじゃなければ駄目なんだ」
失敗しないかっこいいヒーローが目当てなんだな。やはり失敗して事故なんかを起こしてしまうと、台無しになるのだろう。
「やはりプロってたいへんなんですね」
「まあね。以前レッドウイングを担当していた人は、ステージ上で派手に転んでしまってね。それで各方面からお叱りを受けることになって。居心地が悪くなったのでうちを辞めて、新しいヒーローショーの事務所を開設したくらいだからね」
「厳しいですね」
ひとつのミスがヒーロー生命を短くするわけか。
「安心していいよ。初心者は雑魚の戦闘員役しかさせないから。やられる役は多少不格好なくらいが、ヒーローを引き立てるからちょうどいいんだ」
「まあ僕たちに求められているのは、観客の夢を叶えることだから。どんなに難しくてもできて当たり前。ちょっとでもしくじると酷評されるんだ。どうだい、意外と割に合わない仕事だよね」
それだけの覚悟を持てということなんだろう。
「ひととおりステージの感覚を憶えたら、僕の殺陣を憶えるように。どの戦闘員が出られなくても、代役が務まるようにならないと一人前とは言えないからね。攻撃する側を観察しているとどのポジションの戦闘員でも務まるからね」
「わかりました。それでは通し稽古をするときに渡会さんの演技を見て、他の戦闘員の動きを憶えたいと思います」
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