第45話 通し稽古

「わかった。俺たちはもう君を体操選手に誘うのはあきらめる。君がヒーローに懸ける意気込みもわかったしね。たかが特撮ヒーローと思っていた俺が甘かったな」

 稲葉コーチはようやく折れてくれるようだ。渡会わたらいさんが稲葉コーチに話しかける。


「それさえおわかりいただけたら、僕たちも活動がやりやすくなります。けっして体操選手からドロップアウトした人の落ち延び先というわけじゃないんです。たつみくんのように、ヒーローショーを目標にしている人が出てくる可能性もあります」

「まあ結局バク転とバク宙は他人から習ったわけだがな」

 渡会さんの話に稲葉コーチは嫌味を言いたくなったのだろう。


「それでも満足にできるようになったのは、体育のよしむね先生のおかげなんです。男子体操部の松本コーチは教えるつもりがなく、女子体操部の秋山コーチが一時教えてくれる話にはなったんですけど、結局は同じ症状を持っている義統先生が仕込んでくれました。ヒーローショーのアルバイトができるのも、義統先生のおかげです」


「会ってみたいものだな。その義統先生とやらに。君にバク転とバク宙を教えるのは私の役目だと思っていたのだからな。そしてそのまま体操選手として育成して世界を獲る。青写真としてはじゅうぶんなものだった」

「可能性が見えたとしても、それが実施できない人もいるのですわ。巽くんくらい可能性を感じさせる逸材はなかかな見つからないですものね」

 栄コーチが稲葉コーチをなだめている。


「でもそれは巽くんの落ち度じゃないですよね。勝手に夢を見た稲葉コーチが、巽くんの未来を縛ろうとした。かたや世間で知られた人物です。その誘いを断る勇気がある。巽くんはすでに確固としたひとりのヒーローなんです」

「ヒーローか。確かにそうかもしれん。俺が夢を見るほどのヒーローだったんだろう。そのヒーローの自由を縛ろうとしていた自分が愚かだったよ」

 これでもう稲葉コーチから追いかけられる心配はなくなった。


 するとぞろぞろとスーツアクターの皆が集まってきた。そろそろ本格的な練習が始まるのだろう。

 その中でも何人かが外来のふたりにあいさつをしている。


「稲葉コーチ、栄コーチ、本日はご足労ありがとうございました。僕たちはこれから通し稽古をします。巽くんもウォームアップして準備するように。ではこれにて失礼致します」

 渡会さんが席を立つのに合わせて、僕も一礼してその場を後にした。




「皆、集まって。これから通し稽古を始めます」

 リーダーの渡会さんが場を仕切る。

「まず襲われる一般人役が舞台に上がって、レンジャー役と怪人役、戦闘員役は袖で待機。そして本番が始まって合図したら下手から戦闘員Aチームが舞台に上がって。一般人が絡まれているところに上手からレンジャーが登場。戦闘員をある程度倒したところで怪人と戦闘員Bチームが下手から現れてレンジャーを追い込んでいく。そして次第にレンジャーが優勢になって怪人だけが残る。そして必殺技で怪人を倒して終了。ここまでの流れを通して行なうよ。いつもどおり舞台の大きさは床にテープを確認すること。じゃあ準備して」


 皆が各々の役回りを確認したのち、袖で待機する。

 どうやら稲葉コーチと栄コーチは見学をしていくらしい。事務所の所長と監督の隣に座っている。

 まず一般人役の女性と子どもが舞台中央へと歩いていく。

「はい、戦闘員Aチーム、舞台に上がって」

 僕はレンジャーが登場してから舞台に上がる戦闘員Bチームだから、今はステージの動きを見ているだけだ。

 ステージでは戦闘員Aチームが母子を取り囲んでいる。


「待て、戦闘員ども!」

 スピーカーからレッドウイングの声が流れると、レンジャー役がステージに上がった。

 数瞬見合っているが、すぐにレンジャーが戦闘員を次々と倒していく。

 倒された戦闘員はそのまま上手の袖へと引き上げていく。そしてステージ裏を通って下手に戻っていく。

 流れを読みながら怪人を先頭に戦闘員Bチームがステージに上がる番がきた。僕も当然その後をついていく。


 レッドウイング役の渡会さんに向かっていき、彼の左上段回し蹴りをバク転して回避し一気に距離を詰めると前蹴りを見舞われた。後方へ跳んで受け身をとると、急いで上手の袖へ引き上げていく。こうしてAチームとBチームが入れ替わりながらレンジャーに倒されていく。

 そして怪人だけがステージに残ると、レンジャーの必殺技を受けて倒される。実際のステージではやられたと同時に火薬が打ち上がることになっている。

「カット!」

 監督から声がかかった。


「よかったぞ! 今の呼吸を忘れるな! もう一度頭からやるから、すぐに配置につくんだ!」

 指示に従って最初の配置に戻っていく途中で、栄コーチと稲葉コーチの声が聞こえてきた。

「ヒーローショーって子どもだましだと思っていましたけど、かなり真剣に取り組んでいらっしゃるのね」

「まあタンブリングをしながら受け身をとるわけだから、気を抜いたらすぐに怪我しちまうだろうな。ショーといえど体操の試合のようなものだ。見ているほうは心臓に悪いがな」

「受け身を失敗したときが怖いですね」


 事務所に入ってリーダーの渡会さんから最初に教えられたのが「受け身のとり方」だった。

 どんなにバク転やバク宙が派手でも、怪我をしたらどうにもならない。

 いちおう傷病手当いわゆる危険手当がつくとはいえ、怪我をしてショーを崩さないためだ。

 確実に受け身をとって着地して横たわるのを確認するまでは気を抜くなといわれている。体育の義統先生からも教わっているので、僕の受け身はじゅうぶんステージで使えるレベルらしい。


「週末にはショーが始まるからな。明日から本番のステージを使って練習できるから、それを意識しながらここで問題点を洗い出せ!」

 監督が発破をかける。


 いよいよ僕のデビュー公演が間近に迫ってきた。

 ここからは体調を崩さず、集中力を切らさず、万全の準備で本番を迎えることだけを考えなければならない。

 怪我をした程度では簡単には休めないきつい職場だ。

 だからこそ体操出身が多いのだが。体操の演技ではどんなに痛みがあろうと演技を続けなければならない。

 根性が据わっているから、穴をあけることもないのだと、以前所長から聞いている。

 ずぶの素人を受け入れるには、そのくらいのプロ意識を持てということなんだろう。



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