第44話 講演依頼

 ひととおり殺陣の練習が済んだところで、他の人が来るまで僕と渡会わたらいさんは稲葉コーチ、栄コーチと話をした。


「働かなければ高校へ通えませんし、体操教室に通うにはお金と時間がかかりますよね。そんな余裕があるのならアルバイトをして学費を稼ぐのが高校生としての本分だと思います」


 稲葉コーチはそれでも幾ばくか未練はあるようだ。

「あれだけ大きなバク転とバク宙は絶対に武器になるはずなんだがなあ。今はロンダートから直接宙返りに入ることも多くなったしね」

「そうなんですか。でも柔軟性やバランスの演技なんかはできませんから、跳躍一本でできる種目もほとんどありませんよね。よくて跳馬でしょうが、あれも跳び方をふたつ変えなければならないから、ロンダートから後転跳びで着手して突き放すなんて僕にはできませんからね」


「殺陣さばきを見せてもらったが、体の不具合を感じさせない見事なものだと思うんだがな。あれなら床での演技もなんとかこなせそうだが」

 僕は首を左右に振った。

「いえ、体操の演技に求められるレベルには達していないはずです。脚だってあまり上がっていませんし。単にバク転とバク宙が大きければいいというものでもないでしょう」


 それまで聞いていた栄コーチが割って入った。

「確かに柔軟性がないと器械体操は危険極まりないですものね。たつみくんがストレッチをしないほうがよい体なのでしたら、器械体操は諦めるべきでしょう。無理に押しつけて大怪我をさせたら、誰が責任をとるのかという問題もありますからね」

「栄、お前も巽くんの味方か? これじゃあ巽くんを体操界に招きたいのは俺だけってことになるじゃないか」

「実際、稲葉さんだけですよね。巽くんのジャンプに世界を感じた人って」


 渡会さんが疑問に思ったようだ。

「たしか巽くんの前転跳びとロンダートからの跳び上がりを見て、稲葉コーチは惚れ込んだんですよね? あれって高校でバク転とバク宙を教わる前から自力で身につけたって聞いたけど」

「はい、前転跳びは小学生の頃から独学です。一年ほど毎日続けてようやく跳べるようになりました。そこから土の上や砂利道、コンクリート、アスファルトなどどこでもできるようになるまでに数年かかりました」

「じゃあ巽くんの前転跳びは十年以上磨き続けたわけだ。じゃあロンダートからの跳び上がりはいつ頃から始めたのかな?」

「中学に入る頃からだったと記憶しています」

「ということは三年くらいか。毎日練習したんだよね?」

「はい、風邪をひいたときに休んだくらいで、健康なときは毎日練習に明け暮れましたね」


「その意欲をうちの生徒にも教えてほしいくらいだが。今の子どもは教えられたことしかしないからな。自分でその先に挑もうという意欲に欠けている。よければ今度青天で講演をしてほしいくらいだ」

「謝礼が出るのであれば考えてもいいですよ。お金にならないことをしている余裕はありませんので。だから早くヒーローショーに出て稼がないといけないんです」

「講演を依頼するかは、君の技を子どもたちがどう評価するかだな」


 栄コーチがスマートフォンを取り出した。

「巽くん、今から前転跳びとロンダートからのジャンプをビデオで撮らせてくれないかしら。それを子どもたちに見せて食いついてくるようなら、後日講演を正式に依頼しますから」

「なるほど、栄も考えたな。うちの子たちにはよい刺激になると思うからな。ついでだから、君がマスターしたバク転とバク宙も録画させてくれ。いろいろ分析したいからな」

「タダではやりませんよ。とくにバク転とバク宙はまだ憶えたばかりで、本職の人の手本には向かないでしょうからね」


「まあ子どもたちの刺激になればいいさ。謝礼は手持ちから出してもいい。前転跳びとロンダートからの跳び上がりで一万、バク転とバク宙で一万でどうだ?」

「その額なら僕がやりたいくらいですね」

 渡会さんが名乗りを上げた。まあ確かにたかが演技に一万をポンと出せる人はほとんどいないからな。

「渡会、お前の試技に魅力はない。体操教室で習うものそのままじゃないか。だが巽くんのは一から自力で作り出した前転跳びとロンダートからの跳び上がりだ。異質なものだからこそ生徒も興味を惹かれるんだ」


「金額はそちらに任せますが、事務所に所属しているので勝手に受けられないんですよ。いちおう僕も事務所に雇われている身ですから」

「そうだったな。所長に伺いを立ててみるか」

「稲葉コーチ、僕からもお願いします。巽くんほどの実力があれば、きっと誰かの役に立つはずです。僕たちはショーとしてヒーローをしていますが、彼なら困った人を助けられる本物のヒーローになれるはずです」


「本物のヒーロー、ね。そんなものがこの世にいたら、悪はどうなるんだ。ヒーローはスポーツの中にいる、とは思わんか?」

 稲葉コーチはこちらが嫌がるような質問をしてきた。

「確かに今のヒーローといえばスボーツ選手が多いですよね。役者でヒーローなんてほとんど見ませんし。特撮ヒーローものも数が減ってきて、僕たちも十年以上前のウイングレンジャーのショーをやっているくらいですからね」


「今の子どもたちに十年前のヒーローは刺さるものか?」

「テレビにいないからといって、ヒーローが否定されるとは思えません。今はインターネットの動画サイトで、過去の番組をいくらでも観られます。まだまだヒーローショーの需要はあると思いますよ」

 渡会さんがきっぱりと言い切った。


「僕もそう思います。いつの時代にもヒーローはいたはずです。それが特撮ヒーローだけでなく、時代劇のヒーローだったり、刑事のヒーローだったり。子どもが憧れる存在はいつの時代にもいたはずですからね」

 僕の言葉を稲葉コーチが継いだ。

「そう言われればそうか。俺も刑事ドラマの主役に憧れたクチだからな。同じ型式のエアガンを親に買ってもらって、友達と撃ち合っていたっけ」

 渡会さんはここが攻めどきとみたようだ。


「特撮ヒーローもそういう誰かのヒーローの一形態だと思います。どこにでもいそうな刑事じゃなく、人知れず悪と戦うヒーローにも需要はあるんです。僕たちはそういうヒーローを提示して、子どもたちに夢を与えるのが仕事なんです。そのあたり、ご理解いただけたらと思います」


「スポーツ以外にもヒーローはいるというわけか」


「僕はウイングレンジャーが好きでしたけど、彼らの演技と同じものを体操選手が行なっているのを見て、あれば本当にできる動きなんだと理解しましたからね。だから体操選手を取り立てて嫌っているわけじゃないんです。ただ僕自身のヒーローの序列としては、ウイングレンジャーが体操選手よりも上位ですからね」



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