第43話 ヒーローの殺陣

「稲葉さん、僕の右股関節の外側に手を当ててもらえますか?」

 突然体に触れるとは思っていなかったようで、少し驚いたようだ。

 伸びてきた稲葉さんの左手を右脚の付け根の外側に押し当てる。

「それでは脚を上げ下げしますね」


 いつもどおり脚を上げると股関節が外れ、下げるときに股関節がハマった。

 そのことに稲葉さんはたいそう驚いたようだった。何度もリクエストがあり、気の済むまで脚の上げ下げを繰り返す。


「こんな人間がいるとは思わなかった……」

 稲葉コーチは驚きを通り越してぜんとした様子だった。

「栄コーチも確かめてみますか?」

 脚の付け根から手を離した稲葉さんの次に栄コーチにも股関節の不具合を確かめてもらった。こちらもとても驚いたようだった。


「この体でバク転とバク宙を習うことがどれだけたいへんか。わかっていただけたかと思います。だから同じ特徴を持つよしむる先生が少し形を変えた独自のバク転とバク宙を教えてくれたのはぎょうこうでした」


 僕とふたりのやりとりを見ていた渡会さんが声をかけてくれた。

「話はそのくらいにして練習を続けよう。次はバク転ね」

 アイドルがやるようなスタンドからのバク転は構造上できない。だが、義統先生は高く遠く跳んで、着手と同時に体を引きつけるようにジャンプした。結果として普通の選手よりも高くて遠い、大きなバク転をしてみせた。


「これほどスケールの大きいバク宙とバク転ができるのに、体操競技には向かないなんてな。神様ってやつはあまりにも不平等だと思わないか。なあ栄?」

 稲葉コーチは苦々しい表情を浮かべながら僕の演技を見守っているようだ。

 夢を見せてしまったのは確かだろうが、体操はやらないと言い続けたのだから、こちらが悪いとは思えない。

 自身の眼力を元に見た、勝手な夢である。


「でもこれだけ見栄えのするバク転とバク宙は初めて見たわ。ヒーローショーとはいえ、体操競技よりも下というわけでもありませんし」

「渡会もうちを辞めてからここに居場所を見つけたんだしな。巽くんは最初からヒーロー志望だったから、こちらが天職なんだろう。これだけの才能がもったいないんだが」

 そんな話を聞きながら、バク転を五本練習する。


「じゃあ僕がレッドウイングをやるから、左上段回し蹴りにタイミングを合わせてバク転ね」

「殺陣の練習か。渡会の演技も見せてもらおうか。青天出身として恥ずかしくない演技を見せてもらいたいところだが」

「稲葉コーチ、僕は演技なんてまだまだですよ。ここでじゅうぶん下積みしてテレビのスーツアクターになりたいですからね」


「スーツアクターか。子どもだましだな」

「子どもに夢を与えれば、将来のジムナストも生まれると思うんです。中には巽くんのように、独学でマスターしようとする子も出てくる。そこを青天で拾い上げればじゅうぶん仕事になりますよね?」

「言われてみればそのとおりだがな。巽くんはウイングなんたらでバク転とバク宙を憶えようと躍起にやっていたわけだし」

 僕に話を振られたようだ。


「ウイングレンジャーですね。飛翔戦隊ウイングレンジャー」

「僕がそのウイングレンジャーのリーダー、レッドウイング役です」

「へえ、いちおう主役をやっているのか。どれほど立ち回りがうまいか見せてもらおうか」


 どうやら稲葉コーチは僕に執着するのをやめたようだ。純粋に特撮ヒーローの演技を見たがっているのだろう。

「これでも事務所のバイトリーダーですよ、僕は」

「ふん、三年前まで青天では芽も出なかったのにな」


「男子三日会わざれば刮目して見よ、と言いますよね」

「三年じゃなく三日と来たか。自分でハードルを上げやがったな」

 渡会さんは右手で頬を掻くと、ステージの中央に立った。


「無駄話はこのくらいにして、巽くんさっき提案した殺陣をやろうか。えっと、左上段回し蹴りにタイミングを合わせてバク転ね。着地したらすぐに突進してきて、僕が合わせたら後ろに跳んで受け身をとる。よし、やってみよう!」

「はい! お願いします!」

 渡会さんとふたりでリズムをとるように軽くジャンプを繰り返す。ウォームアップにもなるし、殺陣のテンポを合わせるのに重要だ。


「よし、いくよ!」

 渡会さんの掛け声を聞くと、同時に左上段回し蹴りが飛んでくる。さもこれに当たったかのタイミングでバク転をする。そして着地と同時に渡会さんへ素早く突進した。すると左の前蹴りに当たって、その勢いで後方へジャンプして受け身をとった。

「ほう、なかなか迫力があるな。振り付けは女子の領分だから、栄はどう見る?」

「そうですね。リズムもテンポも申し分ないですわ。これなら見ている子どもも沸きそうですね」


「でも、渡会より巽くんの動きのほうがキレがよかったな」

「うーん、どうでしょう。渡会くんは体操に忠実な体さばきだと思いますけど、巽くんは我流だけど演技の大きさは抜群ね。これなら難度の低い団体演技向きかもしれませんし」

「団体演技か。だが、ひとりだけ大きな演技をすると釣り合いがとれないな」


「これなら、技の見栄えがする巽くんにレッドウイングとやらをやってみればかなり映えると思うんだが」

 事務所命令で、当面は戦闘員を務めることになっている。だが、稲葉コーチは自らの提案を通そうとしている。


 渡会さんがそれに気づいたようだ。

「次は巽くんがレッドウイングで、僕が戦闘員をするよ。双方経験すれば、呼吸のとり方も身につくだろうしね」

仮面マスクは変えずに、立場だけを変えようか」

 えっとたしか左上段回し蹴りで戦闘員を吹き飛ばして、体勢を整えたら左前蹴りの順だったよな。

「ヒーロー役は当てるつもりで攻撃してね。僕はやられ役に慣れているからギリギリまで引きつけて、さも当たったかのような演技ができるから」


 ヒーローの演技が練習とはいえ叶うのは望むところだが、いかんせん殺陣まわりがまだまだなので、綺麗な攻撃になるかどうか。

「これで巽くんがヒーローにふさわしいかわかる」

 ヒーローにふさわしいか、か。これはかなり難題になるかもしれない。


「あ、言い忘れましたけど、女子代表の高村さんが僕と同じバク転とバク宙を義統先生から教わっていますから、詳しい実施についてはふたりに聞いてください」

「弓香もできるのか。秋山コーチに聞けば見せてもらえそうだな」


「それじゃあ明日せんまいにお邪魔して体操経験者の実施を確認しましょう」

「弓香の体操を崩された可能性もあるのか。秋山コーチが付いているのでだいじょうぶだとは思うんだがな」



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