第六章 

第41話 スーツを着ての特訓

 翌日昼休み、体操場で体育のよしむね先生に付いてもらい、事務所で借りてきた練習用の仮面マスクを着用している。

 やはり着ぐるみ姿だと視野が狭まるので、ただのバク転やバク宙も実施が難しくなる。ショーでヒーローをやるにしても、もっと殺陣や受け身をしっかり学んでからだろう。


 義統先生は殺陣の相手役もこなしてくれ、受け身のとり方も丁寧に教えてくれた。ヒーローショーでのアルバイトがすんなり決まったのも、義統先生が僕が綺麗に実施できるバク転とバク宙を教えてくれたからだ。そして格闘技の経験もあるので、殺陣の体さばきや受け身なども見てくれる。

 もちろん男子体操部の松本コーチは迷惑そうな視線を送ってくる。だが、練習不足で怪我をされたら監督責任を問われるので、仕方なくチェックをしているのだろう。


「それじゃあバク転とバク宙、そして前転跳びをチェックしようか。仮面マスクを着けると視野が狭まるから、可能なかぎり体で憶えないと駄目だ。そうしないと怪我をしかねないからね」


 まずは小学生から実施している前転跳びに挑むことになった。元々着手は見えるけど、着地した場所は見えない技だ。これまでの経験から、ある程度視野が狭まっても、感覚で降りることは可能だ。


「やっぱり経験が豊かだから、前転跳びは問題なさそうだね。だからといってやはり慣れないと怪我をしかねないから、しっかりと体に憶え込ませよう」


 そうして次々と前転跳びを繰り返して体に憶え込ませていく。ヒーローショーのアルバイトでもしたことがあるような指導だった。

「元々スタントマン志望だったんだよ。だから宙返りや殺陣なんかにも興味があってね。それで格闘技なんかにも詳しいわけ」

 体に不具合があってもスタントマンを目指していたのだから、僕より相当肝が据わった人なのだろう。


「そろそろ体も動かせるようになったはずだし、そろそろバク転にいってみようか」

 正直、仮面マスクを付けたままバク転やバク宙をするのが怖かった。視野が狭まるため、それまでの失敗が頭に浮かんでしまうのだ。


「これはいい機会だと思うよ。ヒーローショーで暮らしていきたいのなら、目隠ししてでもバク転とバク宙ができるくらいにはならないといけないしね」

 それだけの慣れがないと、疲労から失敗することが多くなるのだそうだ。

「恐れないでいいよ。僕がちゃんと補助に入るから。まずは視野の狭まったバク転の感覚をつかもうか」


 先生が言うには、もともと踏み切ってから着手するまでは床が見えないんだから、そこまでの恐怖を克服できればだいじょうぶ、とのことだった。

 確かに前を向いて踏み切ると同時に上を向いて景色が下に流れていくのを確認してから着手する床が見えてくるのだから、やることに変わりはない。

 ただ視野が狭まっただけだから、慣れさえすればバク転はそれほど問題はなさそうだ。

 であれば、回数をこなして体で憶えるだけだ。


 今日は時間いっぱいまで義統先生に見てもらい、放課後のヒーローショー事務所ではリーダーの渡会わたらいさんに補助してもらった。


◇◇◇


仮面マスクを着けてのバク転は、体育の先生に見てもらっています。やはりひとりでなんとかしないほうがいいと言われましたので」

「そうだね。君はいろんな意味で規格外だからこそ、誰よりも基礎を積まなきゃ駄目だ。やらせればできてしまうと思うけど、それを安定してできるようになるかは話が別だから」


 やはり自分だけでやらないほうがよさそうだな。

 先生の話だと、体が出来上がってくる二十五歳まではなんとかなるだろうけど、そこを過ぎるとイメージどおりに体がついてこなくなるらしい。

 男子体操選手の限界も二十八歳くらいだと言われているので、だいたいそのあたりまでだそうだ。

 逆にいえば、二十五歳までにヒーロー役をもらえないと、雑魚だけやって終わることになるだろう。僕はヒーローを演じたくてこの事務所に飛び込んだのだ。


「じゃあバク宙の指導をお願い致します。コツってありますか?」

「そうだね。いつもより高く跳んで、着地する床をしっかり見続けて下りてみようか。そうすれば低くなって頭から落下することはないからね」


 まずは渡会さんに補助してもらって、いつもより高くバク宙をする練習を始めた。




「巽くんは本当にバク転もバク宙も大きいよね。とっても見栄えがするよ」

「実は普通の跳び方だとできないんです。そこで学校の体育の先生に頼んでこの跳び方を教えてもらったんです」

「へえ、特注のバク転とバク宙なんだ。僕もその跳び方を教えてほしいくらいだね」


「僕以外にもうひとり教わったんです。女子代表の高村さんっていうんですけど」

「君って、たしか都立せんまいだよね? ってことは全日本選抜の高村弓香さんかな?」

「ええ、そうです」

「でも彼女の跳躍はそれほど高くなかったと思いますけど」

 渡会さんが首をひねっている。


「憶えたてですからね。次の試合から見られると思いますけど……」

「彼女の演技がレベルアップすれば、君のところの体育教師って相当の凄腕ってことになるよね」

「少なくとも、十年できなかった僕に一日で仕込んだんですから、それだけでもじゅうぶん凄腕だと思いますよ」

「そのようだね。君のは普通のバク転やバク宙よりも大きいから見栄えもするし、ヒーローショーでも目を惹くだろうからね。本当、ヒーロー役に向いているよ」


「今は戦闘員に過ぎませんけど、いつかはやってみたいですね。それが僕の悲願でもありますからね」

「それでウイングレンジャーをやっているうちの事務所に来てくれたのだから、やっぱりヒーロー役をやりたいんだよね?」

「はい、昔からレッドウイングになりたかったんです。空を飛んでいるほどの高い宙返りとかっこいい殺陣に魅了されました」

「実は僕もレッドウイングをやりたくて事務所に入ったんでよ。体操経験者でそれを活かせる職場って、体育教師か体操教室などの指導者か、ヒーローショーとかスタントマンとかの裏方くらいしかないしね。役者デビューする人はまずいないよ」


「体操経験がないのにヒーローショーって、かなりの高望みだったんでしようか?」

「いや、最初から目指すところがヒーローショーっていうのも、ない話じゃないからね。うちにも何人かいるし。まあ君と同じで今は戦闘員役なんだけど」


「ということは、ヒーローをやるには十人くらい追い抜かなきゃならないんですね」

「そういうことだね。まあ観客にヒーローを感じさせる演技ができれば、すぐにでもヒーロー役がまわってくるんだよ」



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