第40話 事務所の練習場【第五章終わり】

 休み時間に体操場へ行き、演技の流れを体に叩き込んでいく。

 バク転とバク宙、やられ演技の受け身などを練習していく。そしてすぐ次の授業に臨んだ。

 そのたび浅岡キャプテンに体操場を開けてもらったのだから、感謝のしようもない。


 放課後はヒーローショーの事務所へ通って「殺陣」を徹底的に鍛えてもらった。当てカンや避けカンを鍛えるにはとにかく場数を踏むしかない。

 交通費は事務所持ちにしてもらったので、安心して通えているし道場での稽古にも身が入った。


 デビュー三日前から、事務所の道場で本番の敵戦闘員スーツを着ての通し稽古が始まった。

「巽、大きく下がりすぎだ! ジャンプ力を調節して下がりすぎないように。本番だったら下に落ちちまうぞ!」

「はい!」


 戦闘員スーツを着ているので視界が狭まって遮られる。

 しかもステージは狭くて本気で吹っ飛ぶとすぐ落下してしまうだろう。

 このあたりの感覚を掴むのが難しい。


 しかもステージの大きさはどこも一定ではなく、各会場ごとに全員の動きが異なるらしい。

 毎回、即興で戦闘シーンを作り上げなければならないのだから、ヒーローショーの出演者の才能には感嘆するものがある。


 休憩中メンバーと話をしてみると、元体操選手がかなりの数いるようだ。キャプテンの渡会わたらいさんは青天体操教室出身らしい。ということは、あの稲葉さんに鍛えられたクチか。世間は意外と狭いものだ。

 しかも国体にも出場したことがあるようだ。


 休憩時間に渡会さんと話すことができた。

「渡会さんは国体に出た経験があるんですか」

「ああ、当時は稲葉コーチからマンツーマンで教えてもらっていてね。全日本選抜にもなったけど、僕はそこで才能がピタリと止まってね。コーチがあれやこれや手を尽くしてくれたけど、僕は限界を感じたんだ。これ以上、手を煩わせても僕には限界を突破するだけの才能はないんだと思い知ったよ」


「へえ、稲葉さんって意外と献身的なんですね。もっと横暴な人だと思っていましたけど」

「あれ、巽くんも稲葉コーチのこと知っているんだ。ちょっと意外だな。接点があるようには見えなかったけど」

「中学時代に同学年の女子に青天体操教室へ連れていかれたんですよ。そこで知り合いました」

「あの人、物腰は柔らかいんだけど、我が強いんだよね。一度見込んだらとことん面倒を見ようとするんだ」


 確かにいまだに僕を体操界に引き入れようと画策しているようだしなあ。

 でもかつての弟子が勤めているところで厄介になっているとは思いもしないだろうな。本当、世間は狭いものだ。


「巽くんくらい動けるとあの人がすぐ目をつけそうなものなんだけど、技を披露したことはないの?」

「技とも言えないものを披露したことならありますよ。前転跳びとかロンダートからただ跳び上がるだけとか」

「前転跳びはわかるけど、ロンダートからただ跳び上がるだけって。それ、ちょっと見せてもらえないかな?」

「いいですよ。とてもくだらないんですけど」


 立ち上がって畳の上でそれを行なってみた。

 ロンダートから跳び上がったとたん、天井があっという間に近づいてきた。

「危ない!」

 天井に手を突いてそのまま真下に落下する。ここって意外と天井が低いんだな。


「巽くん、だいじょうぶかい?」

「あ、はい。ただ予想以上に天井が低かったので焦りましたけど」

「いちおう他のビルよりも高く作ってあるらしいんだけど、それでも天井に激突するくらい高いのか。これは稲葉コーチなら欲しがるだろうなあ」

「実際誘われましたけど断りました。ヒーローショーをやるんだって言って」

「ははは。それは稲葉コーチも驚いただろうね。世界レベルのジャンプ力を見せつけられて、誘ったら断られた。初めての経験かも」

「そうかもしれません。でも僕としてはヒーローになりたいのであって、金メダリストになりたいわけじゃないので」


「そんなにヒーローが好きだったんだ」

「はい。テレビで『ウイングレンジャー』を観て、バク転やバク宙をしている姿に憧れたんです。で、自分でもできないか。毎日砂場と土の上で何度も練習しました。もう何度脳天から落ちたかわかりませんが、それでも毎日休まずに挑みましたね。でも結局ひとりでできたのは前転跳びまででした」

「誰からも習わずに前転跳びができるようなっただけでもすごいと思うよ。指導者と練習環境と筋肉が整っていればそんなに苦労はしないんだけど」


「バク転とバク宙は高校に入ってから憶えました」

「ってまだ四月なんだけどね」

「なんとか無理を言って、バク転とバク宙さえ教えてもらえば退部しますってことで」

「それですぐにコツをつかんだわけだ」

「体操部はやはり専門家ですよね。アクロバットの基本が詰まっていました。視界に映らない後ろに向かって跳ぶのが苦手だったんですけど、バク転の練習で後ろにまわる視界が見えるようになったら、今までが嘘のようにバク転もバク宙もできるようになりました」


「やはり君は体操に向いているかもね」

「今だと後方宙返りにひねりも入れられますよ」

「え!? バク宙を習ったのって最近なんだよね。それでもうひねれるの?」

「やってみましょうか?」

「見てみたいね。それで稲葉コーチが惚れ込んだ理由がわかるかもしれない」

 また畳の上に移動する。

「天井低いけどだいじょうぶ?」

「あ、はい。さっきのはただ高さだけを追求したからあれだけ跳びましたけど、ひねりを入れようとすると自然と低くなりますから」


 ロンダートから一気にジャンプすると同時にひねり始めた。伸身宙返りにひねれるだけひねってみる。二回ひねったところで着地点を見て降りる。

「これまたすごいものを見せてもらったよ! 本気でまわったらいくつ回れるんだろう。君は高さだけじゃないね。適応力がとんでもないレベルだ。体操をやらせたら、確かに世界を獲れそうな逸材だなあ」

 そろそろ休憩時間が終わるので、メンバーが道場に入ってくる。


「巽くん、ウォームアップは要らないね。逆に少し休んでいて。クールダウンしながら僕たちの練習を見ていてよ。とくにレッドウイングの動きから目を離さないようにね」

 渡会さんが皆を集めて指示を出していく。

 そうして次々と殺陣が流れていき、ヒーロー役が見得を切る。

 子どもが沸くところだし、僕もそういう決めポーズをやってみたい誘惑に駆られる。やはり体操なんかよりヒーローのほうが何倍もやりがいを感じるな。



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