第39話 体操場での練習

 体操場の片隅で、バク転とバク宙の練習を終え、受け身の練習を始めた。

 後ろや横に倒れ込んだり、後方宙返りの高さを押さえて回転してから伏せてみたり。

 そうしていると、体操部の浅岡キャプテンが近づいてきた。


「ずいぶん熱心にやってるね、巽くん」

「あ、はい。ヒーローショーの敵戦闘員役での出演日が決まったので、それに向けて指示されていた受け身の練習をしています」

「それでか。なんか高さが足りないとか軸がズレているとか思って指摘しにきたんだけど」

「すみません。あの戦闘員、動きが悪いなと思われたくないんです」

「ちなみに出演日と会場を教えてもらっていいかな?」

「それなら生徒指導の宮里先生に伝えてありますけど。来週土曜、桂木デパートの屋上だそうです」


「来週土曜か。ちょうど地区大会の前日だね。今どきデパートの屋上でヒーローショーをやっているところがあったんだね。応援に行けたらいいんだけど、松本コーチが許してくれそうにないから。なるべく行けるように取り図ってみるけど。とにかくケガだけはしないようにね」

「ありがとうございます」


「受け身なら柔道部を紹介しようか? あちらは投げられ慣れているから、ケガをしない受け身を学べると思うけど」

「いえ、アルバイト先の練習場で実際に投げられて憶えたほうが早そうです」

「いちおう秋山コーチに君のデビュー日を伝えておくけどいいかな?」

「まあかまいませんが。もれなく稲葉さんが付いてきそうですよね」

「それは否定しないよ。でもしっかり仕事している姿を見れば、ふたりともあきらめてくれるかも」

「そうですね。でもバイト先で殺陣をみっちり教えてもらわないと」


「そうか。立ち回りがあるんだったね。顔は出ないけど君もひとりの役者なんだ」

「顔には自信がありませんからね。顔を出さなければヒーロー役もやれるなんて、夢のような話ですよ」

「本当にヒーローが好きなんだね。その情熱が体操に向いていたら、稲葉さんや秋山コーチあたりに誘われたときにすぐ飛びついたと思うんだけど」

「そのあたりで脈なしって見極めてもらえたらよかったんですけどね」


「鮮烈すぎたのかもね。失敗ジャンプの高さには僕もびっくりしたくらいだし。指導経験のある人が見たら“逸材”と見込んでも無理はないかな」

「あの程度なら浅岡さんだってできるんじゃないですか?」

「まあバク転の連続からのジャンプなら引けはとらないと思うけど、君の場合ロンダートからの直接ジャンプだったからね。それであの高さはなかなか出せないよ」


「まあ僕の場合は着ぐるみに入ってバク転やバク宙ができないといけないので、ある程度高さが出ないと失敗してケガをしかねないので」

「僕らは限りなく素肌に近い体操着で演技するから、着ぐるみに入ってって言われたら怖さがあるかな」

「それだけじゃなく視界も限られるんですよ。だから目隠しをしながらバク転やバク宙ができるくらいじゃないと、ケガをするんです」

「うちの部員は目隠しでバク転やバク宙なんてできないよ」

「ショーはそのくらい難しいってことです」


「だから君は最初からヒーロー志望だったわけか。体操だとオーバースペックだけど、ヒーローショーならぴたりとハマるわけだ」

「どこまでやればいいのか、まったくわからない状態で練習するしかなかったですからね。今はスタントやスーツアクターの学校もありますが、通うお金もありませんでしたしね」

「それであれだけ跳べたら言うことなしだね」


 まあ自分ではどれだけ跳べているのか、実感がないんだよな。どこへ行っても高さを褒められるんだけど。

「実は垂直跳びにはコツがあるんですよ。それが後方伸身宙返りの元になっているんです」

「どんなコツ?」

「まず立ちますよね。で爪先側に体重を乗せて屈みます。そしてジャンプする際にはかかと側へと体重を移動させてから再度爪先側へ傾けて一気にジャンプします。この体重移動をすると上に向かう力が無理なく出るので百センチも跳べるってわけです」


「それが垂直跳びのコツか」

「はい。体操部員なら慣れれば皆さん記録を伸ばせると思います」

「その体重移動をうまく行なえば、タンブリングでも今よりも高く跳べそうだね」

「コーチと僕の宙返りの高さ云々の話になったら、コツは教えてもらっていますってことにしておいてください」

「わかった。今まで以上に高く跳べるだろうから、僕たちの競技レベルも上がりそうだね。これで秋山コーチと稲葉さんが納得してくれればいいんだけど」


「全日本選抜のコーチですから、ひとりのパフォーマンスだけを気にしていてもしょうがないと理解してくれるのが理想なんですけどね」

「まあ光る才能を見つけて手を入れるのが、良いコーチの条件なんだろうね」

「それで潰される才能っていうのもありそうですね。本来は別の競技に向いているのに、目をつけられたばかりにその競技に縛られてしまう」

「そういう見方もできるのか」


「たとえばMLBの大谷翔平選手なんか、優れた投手コーチならバッティングは捨てさせて投げるのだけ鍛えるだろうし、優れた打撃コーチならピッチングを捨てさせて打つのだけ教えるでしょうし。王貞治さんだって最初投手だったのに打撃で見いだされてファーストへコンバートされたんですよね。もしかしたら王さんが第二のベーブ・ルースだったのかもしれないのに」

「まあそれは大谷選手が結果を出したから見えてくる問題点だよね」

「それでも才能だけでは測れないパフォーマンスもありますよね。二刀流を否定する人が多かったけど、おそらく稲葉さんも秋山コーチも否定すると思うんですよ。ふたりとも『あなたは体操選手に向いている』から他は捨てろというタイプでしょうからね」


「才能っていう言葉もどうなのかなって感じだよね。世界レベルのジャンプ力ってだけで君を追い回しているのだから。生きるためには働かなきゃならないのに、才能があるから体操をやれって指図するわけだし」

「ヒーローショーのアドバイスをもらうぶんには聞く気はあるんだよね?」

「それなら事務所の先輩に聞きますよ。そちらのほうが専門家なので」


「専門家か。まあ僕にしても秋山コーチや稲葉さんにしても、体操の専門家であってヒーローショーの専門家ではないしね」

「なので、今は干渉してほしくなくて」

「そういうことなら秋山コーチには黙っていようか?」

「できればお願いします。まあ宮里先生が聞かれたら答えてしまうとは思うのですけど」



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