第36話 見栄えのする試技

 放課後の教室に秋山コーチが現れた。

「なんですか? 僕は体操部には入りませんよ」

「それはわかったからもういいの。ただ、君が欠陥だと言っている身体的特徴を持っている人が身近にいてね。その人から特製のバク転とバク宙を教えてもらうっていうのはどうかしら?」

「関節外しながら足の上げ下げをしている身近な人っていましたっけ?」


「まあその人から自分の体にあったバク転とバク宙を教えてもらいましょうよ。そうすれば君の怪我を心配する必要もなくなるし、活動も素直に応援できるから」

 でもそんな人が身近にいたのだろうか。もしかして僕をまだ体操部に引き込みたいだけなんじゃないのか。

「教えてくれるって人くらい紹介していただけませんか?」


「実は連れてきているのよ。義統先生、以後は頼みます」

 秋山コーチが扉から出ると、代わりに体育教師の義統先生が顔を出した。

「君も股関節に問題を抱えていて、バク転とバク宙を習いたいっていう子だね」

「義統先生ってスポーツ万能じゃないですか。どこが悪いんですか?」


 先生は僕の左手をとって右の股関節の外側に当てた。

「これを感じてもらえばわかるはずだよ」

 そう言うと、義統先生は太ももを上げ下げした。すると股関節が外れたりハマったりを繰り返していることがわかった。

「これ、僕と一緒だ。でもどうして? これで体育教師なんてかなりたいへんじゃないんですか?」

 僕の手を離した義統先生は、さもたいへんそうな表情を浮かべた。


「そりゃあね。普通の成績では難しいよ。そのために体をいじめ抜いた結果、なんとか体育教師になれたくらいだからね」

 でも、まさか同じ症例の人が他にいたのでびっくりしたのは確かだ。

「僕たちのこの症状は医学では説明がつかないんだ。筋肉や骨自体に問題はなくても、腱が大腿骨に引っかかってしまってそれ以上上げられなくなる。曲げようと思ったら関節を外して腱を弾く以外にないからね」

 義統先生は僕の両目を覗き込んだ。


「僕のバク転とバク宙でよければ教えようと思っている。君の進路ではきちんとバク転とバク宙ができないとまずいからね。とりあえず体操場に移動しようか」

 義統先生は僕と秋山コーチを連れて体操場にたどり着いた。そこでは女子代表の高村弓香さんが待っていた。


「それじゃあ僕がバク転とバク宙の手本を見せるから、できそうかどうか見極めてみるんだ。できそうなイメージが湧かなければ教えようもないからね」

「義統くん、巽くんが見ただけでコツがつかめる眼力の持ち主だっていつ見抜いたの?」

 当人は事もなげだ。

「最初の授業のときに気になってね。しばらく観察していたってところだよ」

「それだけで見抜けるんだ。体育教師って実はとんでもない人たちなのね。あなたのバク転とバク宙ならきっと舞台映えすると思うからお願いしたいんだけど」


「それもこれも、僕の試技で巽くんが目覚めるかどうかだよ。それじゃあ松本コーチに断って場所を借りようか」

「いや、松本コーチは許可しませんよ。自分たちの練習が最上だと思っていますから」

「まあ任せてよ。ちょっと交渉してくるから」

 義統先生はあれこれ松本コーチと話し合い、何度かお辞儀して帰ってきた。


「お待たせ。僕の試技と君の練習十回は取り付けてきた。さっそくやるから、ウォームアップしながら見ているんだよ」

 立った状態からのバク転をひとつしてそこから二連続、三連続と増やしている。他の人との違いは一目瞭然で、後方へのジャンプ時に上体を思いっきり反らし、潰れそうなくらいまで低く着手して、そこから腕と胴体と脚のバネを使って大きく跳びはねて着地する。

 なるほど、あれなら股関節が満足に使えなくてもバク転になる。なにより動きが大きいので見た目が派手だ。ヒーローショーでもいい武器になるだろう。

 そう考えていると、義統先生がロンダートからの連続バク転からの後方伸身宙返りを見せてくれた。


「どうだい、役に立ちそうかな? まずはバク転を中心にやってみたけど」

「はい! これならできそうです!」

 興奮が隠しきれなかった。ずっとできないと思い込んでいた心がかなり救われた思いだ。


「体はもう温まった頃だよね? 時間もないしぱぱっとやってしまおうか」

 頭の中で今の試技を何度も反芻する。あの体勢なら視界はああ見えているに違いない。どの時点で上体を最大限に反らせ、一気にバネをきかせられるか。納得のいくまで繰り返した。


「では、いきます!」

 立った状態からバク転をひとつ、そして二連続、三連続と繰り返してみた。

「大きなバク転ね。でも確かに見栄えはするわね。義統くん、あなたこのバク転で教員免許がとれたわけ?」

「そっ。正しい姿勢でなくても、正しい姿勢かどうかの合格点は八十%だからね」

「なるほど、八割ならきちんと回れるだけでとれそうね」


「巽くん、戻ってきて」

 義統先生の声が聞こえた。

「はい、わかりました!」

 駆け足で義統先生のところまで戻ってくる。


「バク転だけをあと九回繰り返せるけど、先にそれをやってしまうと体力がもたないはずだから、次はバク宙を見せるよ。呼吸を整えてよく見ているようにね」

「ねえ弓香、あなたもこのバク転、習ってみる? きっと今までとは異なる跳び方になるとは思うんだけど」

 高村さんが首を傾げて考えているようだ。

「そうですね。いろんな跳び方を経験しておけば、引き出しが増えると思いますので、できれば私にもやらせてください」


「義統くん、弓香を参加させてもいいかしら?」

「僕はかまいませんよ。現役の全日本選抜の選手に役立つかは保証できませんが」

「じゃあ弓香、あなたも挑戦してみて。ウォームアップとストレッチは済んでいるのよね?」

「はい。では義統先生式をやってみますね」

 すると淀むことなく、義統先生のバク転をしっかり真似していた。これは僕と同じく、見たものを理解する能力があるようだ。


「どう? 驚いたかしら。弓香もあなたと同じ能力者ってわけ。だからあなたを見ただけで才能に気づけたのよ」

 そういうことか。見たものを理解する能力を真近で見ていれば、バレやすいのだ。これはたいへんな学校に来てしまったと思えた。


「それじゃあ次はバク宙ね。その場、二連続、三連続、ロンダートからの後方伸身宙返りの順で行なうから。一度でしっかりと憶えるように」

 義統先生はその場でのバク宙、二連続、三連続とやってくれた。そしてロンダートからの後方伸身宙返り。


 やはり普通の競技レベルよりも数段見栄えがよい。

 これは垂直跳びの要領で高くジャンプし、胸というより首か頭を中心に回転しているように見える。

 淺岡キャプテンに教えられたのは腰を中心にまわるものだから、そのあたりにダイナミックさが隠されているのかもしれなかった。


「じゃあ義統くん、君のタイミングで始めようか」

 呼吸を整えて覚悟を決める。

「いきます」

 バク宙も義統先生のものをしっかりと盗んでものにしていく。それだけ手本の質がよいのである。


「できた!」

 今度も駆け足で義統先生のところへ戻った。

 するとすぐに高村さんが同じ試技を披露した。

 やはり全日本選抜ともなると惚れ惚れするほど見栄えがいい。僕はこのやり方でしか跳べないが、彼女は普通の跳び方にプラスしてこの技が使えるのだ。

 見栄えと実用を組み合わせたバク転とバク宙が手に入れば、競技レベルは増すかもしれない。


 高村さんが戻ってくると、僕と義統先生と秋山コーチが拍手で迎えた。

「それじゃあふたり交互にバク転とバク宙を憶えてみようか。なに、ふたりならすぐにできるはずだよ。九回も要らないかもね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る