第五章 ヒーローショーに向けて
第33話 アルバイトの条件
「アルバイトの許可申請が通ったわよ。条件付きで」
宮里先生が浮かない表情をしている。
「条件付き、とは?」
「ヒーローショーのアルバイトをするなら、体操部でバク転とバク宙の練習をすること、だそうよ」
「その条件を出したのはもしかして……」
「そう、秋山コーチよ」
「あの人は教員ではないですよね。なぜ職員会議に出ているのですか? 明らかに越権行為だと思うのですが」
腕組みをして不満そうだ。
「仕方ないわね。うちは体操場を持っているから、体操部の発言権が強いのよ」
「ただその条件であれば妥協してもいいですよ。単にバク転とバク宙の練習だけをしていればよいのであれば。それしかしないのであれば試合に引っ張り出されるなんてこともありませんからね。どうせ砂場や土の上で練習しようと思っていたところですから」
でもちょっとした引っかかりがあった。
「逆にこちらからも条件を出していいですか?」
「なにかしら?」
「バク転とバク宙以外の練習をさせないこと、です。体操部の条件にはなにやら陰謀の匂いがしますので」
「陰謀、ね。確かにその要素もありそうだわ」
「やはりそう感じますか。僕も、練習させるだけでなく、なにか大きなことを企んでいるように思えます」
「大きなこと、ね……。体操部としては是が非でも引っ張り込みたいところでしょうし」
「遊んでいる暇はないんです。とりあえず先ほどの条件を明日の職員会議で提出してみてください。体操部の反応が知りたいので」
「わかったわ。明日諮ってみます。それにしても、陰謀を感じ取る嗅覚って、本物のヒーローみたいね」
「本物のヒーローはテレビの中にしかいませんよ。僕がやりたいのはそれを子どもたちに感じさせることですから」
「単なるヒーロー好きってわけじゃなさそうね」
宮里先生とは意見が合いそうだ。
「事情が事情だから、高校無償化制度か給付型奨学金の申請でもしてみる? うまくいけばアルバイトせずに卒業まで面倒見てもらえるけど」
「それらが出ても、昼食代や修学旅行などの積立金なんかは別途かかりますよね。授業で使うタブレット端末がどうなるかはわかりませんけど。そういったものを含めて支給してくれるならいいのですが」
「あくまでも授業料の無償化だから、昼食費や修学旅行などの行事の積立金、教材としてのタブレット端末などは支給されないわね。それらを含めるとなると、やはりアルバイトするしかないんだけど」
まあ高校無償化は申請しておいて損はないだろう。少なくとも授業料だけでもただになれば生活はいくらか楽になるはずだ。
「それでは高校無償化の申請手続きをお願いできますか。あと、条件のことを秋山コーチにお願いします。それが通れば以後煩わされないでしょうからね」
今日も校庭の砂場でバク転とバク宙の練習をしている。しかしなかなかうまく折り合いがつかない。やはり自分の肩関節と股関節ではどうしても教科書どおりのものはできそうにない。
そこに秋山コーチがつかつかと歩み寄ってくる。
「バク転とバク宙の練習は体操場で行なうよう、生活指導の宮里さんから伝えていたはずよ?」
「着ぐるみ姿で実施するんですから、条件の悪いところで練習しないと意味がないんですよ」
その言葉にちょっとカリカリしているようだな。
「でも他の生徒が真似を始めたら、あなた責任をとれるのかしら?」
「真似する人なんていないと思いますよ。小学生の頃から練習していますけど、誰もいませんでしたからね」
「高校生はかっこいいことが好きなんじゃないかしら?」
「うーん。そんなにかっこいいとは思いませんけどね。たかがバク転とバク宙ですし。こんな技は体操部で見飽きている生徒がほとんどじゃないですか?」
「とにかく、職員会議で決まったことなので従わなければ罰を受けてもらうわよ」
「その件ですが、こちらからも条件があります。明日の職員会議にかけてもらうようお願いしました」
その言葉に左の眉がピクリと動いた。
「へえ、どんなことなのかしら」
「手のうちは明かせませんよ」
「巽くん、必要以上に体操部を悪者扱いしていないかしら?」
「これでも過小評価だと思いますよ。校外のコーチである稲葉さんに毒されているようですからね。その意味では松本コーチのほうが素直な反応だと思いますけどね。トランポリンもできないやつは体操部には要らないってね」
「松本コーチは順序を間違えているのよ。ある程度マット運動ができない人にトランポリンは跳べないわ」
「そうでしょうか。松本コーチは即戦力以外は体操部に必要ない、という考えですよね。そんな人の下でバク転とバク宙だけを延々練習したところで、煙たがられるだけですよ。その意味ではトランポリン部へ行く仁科のほうが正しい選択だと思いますよ」
「それでもバク転とバク宙は体操部で習ったほうが安全なはずよ」
「どこでやろうと手助けは受けられないのですから、砂場でも問題ないと思いますけどね。一度つかんだコツを忘れないためには、いつでもどこでも練習しないといけませんから」
「毎日頭から落ちていて、それでも垂直跳び百センチなのよね」
「毎日ジャンプの練習だけはしていましたからね」
「あなただいたい百七十センチくらいよね? それで百センチって異常よ」
「そうでしょうか。聞いたところによると、体操で百七十センチは大きすぎるらしいですよね。体操選手は小さい頃から筋肉トレーニングをして関節を圧迫しているから身長が伸びない。まあその体格で行なうことを想定した器具のサイズなんでしょうけど」
「確かに器具のサイズは百六十センチくらいに合わせてあるけど」
「欠格者に体操を教えてどうなるものか。まったく意味がないとは思いませんか?」
「でも稲葉さんはあなたの才能を買っているわよ」
「才能と競技レベルが必ずしも一致しない、というのは長いコーチ歴から導き出せないものなんですかね」
「あなたも才能ほどレベルは高くない、と言いたいようね」
「それはそうでしょう。もし比例するなら、今頃体操部で活躍しているはずですから」
「でも体操を習うお金がなかった」
「そういうことです。だから才能と競技レベルはまったくの別物なんですよ」
「私もあなたの才能は見過ごせないんだけど、家庭環境からして体操を続けさせるのは難しい。でもスポンサーというか支援者が現れてくれたら。それでも体操をやるのは無理なのかしら」
「逆に聞きますが、ヒーローショーで稼ぎたいのに、練習に手枷足枷をハメるというのは、僕の安全性を考慮していませんよね。僕は単にバク転とバク宙を練習したいだけですから、それだけのために体操部に拘束されたくはないんですよ」
「体操部なら正しいバク転とバク宙を教われる、とは思わないの?」
「ヒーローショーの事務所にも練習施設はあると思いますし、どうせ着ぐるみに入れば正しいも正しくないもないんです。要は着ぐるみでバク転とバク宙ができるかどうかです。まあ当面は敵戦闘員役でしょうけどね」
最後にちくりと釘を差しいおいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます