第29話 補助への勧誘

 稲葉さんは短い顎髭を撫でている。

「なるほど。君は根本的に競技に向いていない、と言いたいわけか」

「はい。もしアルバイトが認められなければ退学するしかありませんからね」


「秋山さん、どうやら私たちが久美から聞いたことから考えていた以上に、彼は厳しい立場にいるようです。単に競技者としてのレベルが高いだけでは乗り越えられないほどに」

 秋山コーチも腕を組んで首をかしいでいる。


たつみくんにスポンサーでも付けば話は別なんだろうけど。都立高校生にスポンサーを付けるわけにもいかないし」

 これで興味をなくしてくれれば話は早いのだが。まあ頑固な大人はなにかしら理由を見つけてくるだろう。

 だが、当面はこれでしのげるはずだ。


「体操部の特待生として扱えば、学校から練習費などを肩代わりしてもらえるような制度はないのですか?」

「確かに体操部の推薦入学も枠はありますが、一般入試の生徒を推薦扱いにはできません。逆に推薦入学で大会の成績が悪くなって一般扱いになるケースはあるのですが」

「私立高のような制度は期待できないわけですね」

 これは時間がかかりそうだな。

「授業に戻りますのでここで失礼致します」

 一言残してしなとともにその場を後にし、体操場へと再び入った。


「いいのか、あの場にいなくても。もしかしたらなにかいいアイデアが浮かぶかもよ」

「それで妙案が浮かぶくらいなら、とっくに僕がやっていると思わないか?」

 仁科にそう切り替えした。

「そう言われればそうだよな。校則をすべてチェックしているようなタイプで、見逃せない制度があったら申請しているはずだ」

「つまりそういう制度はなかった、ということ」

「じゃあせんまいを退学するって話も現実味があるのか?」

「ああ、実際に家計は火の車だからね」

「辞められるのは勘弁してほしいなあ。うちから金銭的に支援しようか?」

「借金が嫌いな性格だってことは知っているよな。つまりそういうことだよ」

 体操場に入ると駆け足で練習している生徒たちの輪に戻っていった。


「先生、話は終わりましたので続きをお願いします」

 よしむね先生が俺たちにまだ首跳ね起きができない生徒へコツを教えるよう指示を出した。

 まだできないクラスメートへ声をかける。


「“首跳ね起き”という名前に惑わされないで。必要なのは首の力でも腕の力でもないんだ。腰を高く持ち上げて、脚の重みを振り子のように利用してその場で一気に足から着地すること」

 クラスメートが頑張って脚を振り回しているが、背中から落ちそうになって抱えて補助する。


「ちょっと体に触るよ。まず横になって。そう。で、両手を肩の上に置いて、太ももを顔に近づける。そう。そのときに腰をできるだけ高い位置に置くんだ。そう、そんな感じ。で、この腰の高さを維持したまま脚を一気に振り上げる。そのとき腰を中心に回っているようなイメージで。脚は一気に振り切るんだ。それでやってみよう」

 筋肉が細くてひ弱に思える生徒だったが、僕の指示したとおりに実施すると、もう少しで立てそうなところまで持っていくことができた。

 後ろに倒れそうなところをすかさずフォローする。


「今の感じだね。あとひと息脚を思いきり振り切るんだ。もう一回やってみよう」

 すると二回目で立ち上がれた。

「よし、成功だね。先生に報告してきなよ。じゃあ次の人いこうか」

 その様子を見ていた義統先生が近寄ってくる。


「巽くんは教えるのがうまいな。仁科くんも君のアドバイスでできたんだったよな」

「彼はちょっと教えるだけですぐできるようになるので、僕の力ではないですね」

「巽くんは体育教師になれそうだな。さっきの実技には体操部もびっくりだったからな」

 金銭の都合で体操教師にはなれないのだが、いちおう調子を合わせておいた。

 そして次のクラスメートの補助にまわった。




「体育の義統先生から聞いたんだけど、巽くんって人に教えるのもうまいそうね」

 秋山コーチの言葉を稲葉さんが継いだ。

「それでいろいろ考えたんだが、君に補助として練習に付き合ってほしいんだけど、どうかな?」

「まず体操を指導する資格がありません。体育教師でもありませんからね。ただ人に教えるだけでは生活は楽になりません。だから無理です」


「補助に資格は要らないから。それに補助として参加してくれれば報酬も出せると思うから」

 なるほど、金を稼がせてやるから参加しろ、ということか。


「お断りします。補助をするのに資格が要らないのは理解しましたが、補助をすればお金がもらえるは立派な仕事です。せんまい側が許可するとは思えませんね。今回協力するのは“特段の事情”とは言えないですから。なにせ補助をするのは専門家の仕事だろうと考えるのが筋だからです」

 稲葉さんと秋山コーチが無い知恵を絞っただろうことは窺えるが、正直詰めが甘い。


「妙案だと思ったんだけどなあ」

「報酬があれば参加してくれると思っていたのだけど」

「校則をもっとよく読んでください。できもしないことをいくら考えても徒労に終わるだけですよ」

「どうにかして君の才能を開花させたいんだけど」

「それならヒーローショーで花開くと思いますよ。なにも体操で才能を発揮する必要はありません」


「もったいなさすぎるな。君は金メダルが獲れる逸材だと思っているんだが」

「金メダルだけが人生じゃありませんからね。ヒーローショーで子どもの声援を受けるのだっていい人生だと思いますよ」

「巽くん、本当にヒーローショーに出て稼ぎたいの?」

「それが僕のこれまでを最も有効活用した仕事だと思いますので」


「いつか君の人生について聞いてみたいものだな。きっと他の人にはない練習を積んできたのだろうから。とくに若い子にとって励みになるだろう」

「なりませんね」

 即答する。


「僕の人生は失敗の連続です。毎日何百回と失敗して、それを一年間毎日続けてようやく前転跳びらしきものができたんです。そこからどこででもできるようになるまでさらに一年を要しています。その後バク転とバク宙の練習を始めるも、先枚に入学するまで完成しなかったんですから」

「才能は才能でも“努力の才能”と言いたいわけか」

 細かいことは抜きにした。


「選手に何年も失敗し続けて一年後にようやくできるようになったらいいね、と教えるんですか? そんなことをしているうちに選手寿命が尽きると思いませんか。とくに女子選手はだいたい高校卒業で引退する選手が多いですよね。長くても大学まででは? それに僕には致命的な欠陥がありますから」



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