第28話 体操への勧誘
「それより、ふたりとも体操部に入りなさい。才能があるんだから」
「入りませんよ。なぜ命令されなきゃならないんですか? 部活動はあくまでも生徒の意志で行なうべきもので、強制されるいわれはありませんよ。僕たちは体操で推薦入学したわけでもないんですから」
「あ、俺、トランポリン部に入りますから」
「トランポリン!? あなたたち、私をバカにしているの?」
「いえ、俺は試しに跳んだトランポリンが楽しかったので、また遊べたらって思っているだけですよ」
「じゃあなぜ体操部に入らないのよ。体操部だってトランポリンを使うわ」
「体操部って練習がきつそうですからね。体操部員の体を見ていればわかりますよ。俺、あそこまで体を絞らなきゃいけないなら、絶対に体操部へなんて入りませんからね」
「僕もきついのは嫌なので。教わったバク転とバク宙を自分の体に合わせてどこでもできるようにして、ヒーローショーのアルバイトをしようと思っています」
「ヒーローショーのアルバイトですって!? やっぱり私たちをバカにしているじゃないの」
ヒーローショーのどこがいけないのだろうか。
「うちは母子家庭なんで、学費を払うのでも精いっぱいなんですよ。アルバイトでもしないとそのうちここへも通えなくなりますからね」
「じゃあバク転とバク宙を習ったのって──」
「はい、趣味と実益のためです」
秋山コーチは頭を抱えている。
まあ授業に影響力を発揮して狙いを定めていただろうから、思惑どおりにいかなくて悩んでいるのだろう。まあ僕には関係のないことだけど。
「話がこれまでなら授業に戻ります。それでは」
その言葉に彼女はかなり慌てている。そんな様子を見てから、僕たちは体操場の中へと戻ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って。あなたたちのバク転とバク宙を今見せてもらえないかしら」
「それも命令ですか?」
攻撃的な鋭い視線を飛ばした。
「高村が言っていたほど、あなたたちに才能があるのか。私の目で確かめたいのよ」
「あなたの好奇心のためだけにはやれませんよ」
個人の興味のためだけに生徒を縛ろうとする。まるで話にならないな。
「じゃあ私が見たいって言ったらどうするかね、巽くん、仁科くん」
この声は聞き覚えがある。
「稲葉さん、なぜここにいるんですか?」
「なに、ちょっとした好奇心を満たすために来ただけだ。君たちの実力ってやつを見たくてね」
いつものように眼光が鋭いな。この目で数々の名選手を見出だしたのだろう。
「どこから話を聞いていたのか知りませんが、僕には体操教室へ通うだけの資金はありませんよ」
「それは聞いていたよ。特待生として扱ってもいい。月謝は無料だ」
「その言いぶんだと、試合への参加費は取られそうですね」
「そこまでの面倒は見られないからな」
「じゃあお断りします。ヒーローショーのアルバイトを探すだけでもひと苦労すると思いますので」
「高校側がアルバイトを認めると思っているのかい?」
その言葉を脅しで使うのか。
「生徒に特段の事情があると学校側が判断した場合に限り、アルバイトを認める、という校則がありますので、その点は心配していません」
「なんだ、そこまで頭が切れるとは思わなかったよ」
やはり高校生を子ども扱いしていたのか。
「じゃあ仁科くんだけでもどうだい?」
「俺はきつい練習が嫌いなのでお断りします。できるようになって将来モテればいいだけのことなので」
「うちの久美がふたりを気にしているとしても?」
「石井さんを好きなのは仁科なのでどうですかね? トランポリン部に入るつもりだし、他の高校に行った女子の気を引いても詮無いことだと思いますよ。相手はバク転もバク宙も当たり前なんですから、今さらモテるとも思えませんしね」
仁科に話を振ってみた。
「まあ石井さんの彼氏になろうとしたら、ハードルが高そうですからね。初恋は破れるものだって言いますよね」
「お前、初恋なわけないだろうに。保育園の頃に好きな子いたじゃないか」
「それを暴露してどうすんだよ」
鋭いツッコミが返ってきた。まだ平常心を保っているようだな。
「とにかく、僕も仁科も体操をするつもりはありませんので。そこは間違えないでください。それでは授業に戻りますので失礼致します」
「まあそう性急に決めなくてもいいだろう、
まだなにか言いたそうだが、それに付き合って体育の授業が終わったら嫌だ。不毛な言い争いはさっさと切り上げて、体を動かしに行きたいところだ。
「こちらも譲歩しようと思っているんだ。私は一週間だけここの女子部員へ指導することになってね。そこに体験入部してみないかい? 教えるのは私と栄、秋山コーチの三名だ。久美も連れてくる予定だしな」
「それで喜びそうなのって仁科だけですね。どうする仁科、体験入部して旧交を温めてみるか?」
「腕立て伏せとか腹筋とかきついことをしないのなら、俺は別にいいっすよ。技だけ教えてもらえればいいんで」
「まあ君はじゅうぶん鍛えている体つきだからな。それでかまわないよ。で、巽くんはどうする?」
「自分はパスします。アルバイトを始めるにしても学校の許可を得て、アルバイト先を探すのに時間がかかりますから。とてもじゃないけど体操なんてやっている余裕はありませんよ」
「それは残念だね。私は君の実力を高く評価しているつもりなんだが」
「評価はそちらが決めることで、僕が決めるものではないですからね」
「なぜ君はそんなに刹那的なんだい? もっと青春を謳歌したいとは思わないのか?」
「生きていくためには中卒で就職する手もあったんです。でも最低限バク転とバク宙は習いたかったので、入学金は痛かったですがここを受けました。形は悪いですがなんとかバク転とバク宙は教わりましたし。家庭としてもこれ以上の出費は許されないので、そろそろここも辞めて親元からも離れて、ヒーローショーのアルバイトでもして自活しなければならないんですよ。生きていくことを放棄して青春を謳歌するなんてキリギリスのすることです」
「私たちは体操でしのぎを削っているのだがね? それも君から見ればキリギリスの贅沢な遊びに見えるってわけか」
「そのとおりです」
断言した。変に未練を残すと、また無駄なのに誘いに来るだろう。
「巽くん、あなたね。私たちだって体操で生きていくためにどれだけ努力していると思っているの!」
「それでは秋山さんに伺いますが、体操で生きていくのにどれだけの出費をしていますか? 学校で教えているだろうからコーチ料くらいはもらっていますよね。稲葉さんにしても、体操教室で多くの生徒から月謝をもらって活動しているはずです。では生徒はどうですか。誰かからお金をもらってやっていますか? コーチに月謝を支払って技を教えてもらっているのでしょう? やはり金持ちの娯楽と見られても致し方ないのでは?」
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