第三章 稲葉、襲来
第17話 ピット
「
「あ、浅岡キャプテン、おはようございます」
「驚いたなあ。昨日預けただけなのにもうふたりとも宙返りをマスターするなんて。
仁科はこれ以上ないほどにんまりとした表情を浮かべる。
「仁科はスポーツ万能なんですよ。野球もサッカーもバスケもやる競技すべてエース級ですから」
「それでトランポリンまでとなると、まさに天才だね」
「おそらく今日中にバク転もこなせると思いますよ。連続バク転の完成を目指すかどうかは本人の意気込み次第ですけどね」
仁科は鼻高々な様子だ。
「ふたりともかなりの才能だよね。新入生の中でもこれだけの才能は持った人はいなかったな」
「僕は小学二年からやっていましたからね。正しいやり方さえ教えられれば、そりゃできますよ」
「ところで、巽くんはもうバク宙を教わりたいかい?」
ちょっと返答が難しい質問だな。
早くバク宙を教わりたいけど、連続バク転をきっちり形にしたい気持ちもある。
「そうですね。二連続のバク転が曲がりなりにもできたので、三連続でできるようになるのと、ロンダートからのバク宙まで今日中にいけたらと思います。さすがに僕の体じゃ連続バク転からのバク宙はできないでしょうから」
「まあ二回連続ができれば三連続もすぐできる思うし、バク転と宙返りとの違いがわかりやすくなると思うから君はそれでいこう」
「お願い致します」
浅岡さんが仁科に向き直る。
「仁科くんは連続バク転を仕上げたい意欲はあるかな?」
「そうっすね。連続バク転からのバク宙っていう巽のやりたかったものをやってみたいです」
「バク宙って立った状態から行なうのは難しいんだけど、ふたりの筋力があればそんなに時間はかからないはずだよ。でもふたりともバク転ができるんだから、まずはやりやすいバク転からの宙返りをしてみようか。今日も仁科くんから交互に練習をしよう」
「はい」
仁科と声を揃えた。
「それじゃあ仁科くんはバク転一回からバク宙の練習だ。今日はピットを使うからね」
「ピット?」
「ああ、普通の人にはわからないか。あそこのウレタンが敷き詰められている穴があるだろう。あれをピットって言うんだ」
「へえ、でも穴だと立てませんよね?」
「最初は立つ必要なんてないんだ。まずは宙返りで回転するイメージを作ればいいから」
「ってことはまわりっぱなしでいいんですか?」
「いや、本番だと思って立つつもりで着地してみて。それで回転が足りているか回りすぎていないかのチェックもできるから」
「なるほどね。じゃあ俺からいきます」
僕は浅岡キャプテンと補助に入る。
「仁科くんはバク転をしてからそのままピットに落ちるくらい大きく跳躍して。トランポリンの宙返りの要領で軸からベクトルをズラせば体は勝手に回転し始めるから」
「わかりました」
後ろを向いた仁科がバク転をして着地したらすぐに大きく跳躍しようとしてバランスを崩してそのままピットへ落下していった。
「仁科くんだいじょうぶ?」
「あ、平気っす! ちょっと足が滑ったみたいで高く跳べませんでした」
今感じたことをそのまま口にしてみようか。
「あの、まずロンダートから直接バク宙につなげたほうがよくありませんか? 僕もそれで高さを出す練習をしていたので」
「ああ、確かに巽くんの言うとおりか。勢いをつけたロンダートのほうが高さは出しやすいから」
「巽ー、そういうことは実施前に言ってくれよ」
「悪い、仁科。お前の動きを見てようやく気づけたところだから」
「じゃあ仁科くんはロンダートの練習から始めよう。バク転ができれば簡単だから」
「はい。じゃあ次は巽くんの番ということで」
「いえ、先にロンダートを完成させましょう。仁科、僕のロンダートをよく見てコツをつかんでみてよ」
そういうと、僕は二人の前でロンダートを実施する。
「ダッシュして正面から横を向いてバク転の着地、そこから高くジャンプする……。なるほど、確かに高さが出しやすいな、これ」
「じゃあ次に仁科のロンダートね。まさか見ていませんでしたってことはないよね」
「だいじょうぶ。確かにバク転ができればやれそうなのはわかったから。じゃあいきます!」
仁科はダッシュして上体を倒して九十度ひねり、横向きに着手してさらに九十度ひねって後ろを向いた。
「そこで強く蹴って大きく跳ぶ!」
体が大きく跳び上がり、体が縦に回転を始めた。しかし開始が早くてこのままでは高さが出ずに落下してしまう。仁科がピットの中へ沈んでいく。
「どうだったかな、今のバク宙は」
「思っていたよりも低いですね。あれだと回転不足で頭から落ちそうです」
「ハハハ、まあ仁科くんはロンダートも初めてだからね。それなのに恐れず初めての宙返りに挑戦してみた。今のも初心者としては上出来だよ」
「仁科、トランポリンを思い出してみてよ。きちんと高くジャンプするときに軸をズラしただろ? 今のは回転しようとする意識が強すぎただけ。きちんと高くジャンプしてから回転を始めなきゃ」
「俺に能書きを垂れるってことは、お前はできるってことだよな」
「イメージは出来ているよ」
「じゃあやってもらおうか」
仁科が薄めでにんまりした顔をしている。
「まあ見てなって」
僕もにんまりと両の口角を引き上げて応えた。
「じゃ、巽、いきます」
ピットへ向かってダッシュして、ロンダートを始めた。
そこから強く床を蹴りつけた。体の軸を上昇するベクトルならズラして跳び上がると、ゆっくりと体が後ろに回転を始めた。
頂点で頭が下を向いてあとは体を解きながら着地場所を目で確認しながら下りてくるだけだった。そしてそのままピットの中に体を沈めていった。
「巽、すげえ! 一発でロンダートからのバク宙に成功しやがったよ!」
はしゃぐ声を耳にして、成功したことに気づいたが、さらに実施している途中で気づいたことがあった。
ピットから這い出ると、浅岡キャプテンも考え込んでいた。
「キャプテン。もしかすると二回宙返りができそうだと思っていませんか?」
その声にびっくりした浅岡さんがこちらに視線を投げてくる。
「あ、ああ。あれだけ高ければ二回宙もできそうだけど、ものには順序があるからね」
「順序、ですか?」
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