第13話 バク転の特訓

 体操マットの上でストレッチがひととおり終わると、浅岡キャプテンが指示してきた。


しなくんとたつみくん、背中合わせで立ってくれるかな? うん、そう。それじゃあまず仁科くんの練習からしてみようか。ふたりとも両手を挙げて。巽くん、仁科くんの左右の手首を握ってくれるかい」

 なんのことだかわからなかったが、言われたとおり仁科の手首を掴んだ。

「そうしたら仁科くんは体の力を抜いて両手の間を見ていてね。巽くんはそのまま腰を落として仁科くんの腰をおしりの上に乗せて」

 仁科もスポーツ万能なほうだから結構筋肉がついていて重かったが、かまわず腰を乗せた。


「それじゃあ巽くんはそのまま前に体を倒していって。仁科くんは視界がどう変化していくのかをしっかり見て憶えてね」

 ゆっくり体を前屈させて仁科の体を伸ばしている。

「うん、そう。仁科くん、そろそろ手が床につくから両手の間をしっかりと見ていて」


 仁科の両手がマットに付いた。

「巽くんはそのまま仁科くんの腰を押し出すつもりで動いて。仁科くんはその力を利用して両脚を下に振り下ろすように……」

 すると仁科は両脚をマットに着地させた。


「で、できた……のか?」

「うん、これがバク転つまり後転跳びだね。これを巽くんの補助なしで実施できるようになったら完成だ」

「よし、できるまでやろうぜ」

「いや、次は巽くんの番。交互にやらないと不公平だろう?」


 仁科は浮かれた顔をこちらに向けて、少し申し訳なさそうな表情に変わった。

「すまん、巽。初めて回れて喜んじまったよ。じゃあ次はお前の番な」


 先ほどと同じように背中合わせに立って、今度は仁科が僕の手首を握る。

 仁科の前屈に合わせて腰を持ち上げられ、視界はゆっくりと体育館入口、天井、体育館奥壁と移り変わってマットが見えて両手が付いた。

「仁科くんそこで巽くんの腰を跳ね上げて。巽くんはそれに合わせて両脚を遠くへ振り出すように」

 腰を跳ね上げられると同時に両脚を遠くへ振り下ろすと、体がまわって両脚でしっかりと着地できた。

「これがバク転……」


「そう。これがバク転だ。まずは今やってもらったことをスピードアップしてこなしていってね。できればバク転するほうはひとりでやっている気持ちになること。補助するほうはできるだけ体を小さく畳んで、実施者の邪魔をしないように。それができるようになればひとりでバク転できるようになるから」


 僕たちはバク転の入り口を教えてもらった。

 なんだ、こんな単純な練習の仕方があったのか。教科書には書いていなかったが。小学生からあれだけ砂場に頭から落ちていたのはいったいなんだったのか。

 ただ要領さえわかれば、あとは反復するのみだ。仁科と呼吸を合わせて、少しずつスピードアップしていく。

「仁科、背中合わせになったら、まず自分で手を振り子のように振って上に上げてくれ。僕がそれを掴んだら一気に持ち上げるから、両脚で床を蹴って。両手が床についたら腹筋を使って両脚を遠くへ振り下ろすようにするんだ」


「えっと、わかった。じゃあ言われたとおりにやってみるからな。きちんと両手をキャッチしてくれよ」

「僕を信じて」

「ええい、やけくそだ! いくぞ巽!」


 背中合わせになって、仁科が手を振りかぶる。それを僕がキャッチして、体を小さく丸めるようにしながら彼の両手をマットに付けて腰を跳ね上げる。

 それに合わせるように仁科が両脚を振り下ろすと綺麗に着地できた。

「で、できた……できちゃったよ、俺!」

 よっしゃー! とふたりで盛り上がった。


「うん、仁科くんは今の感覚を体に叩き込むように。今のは巽くんの補助がうまかったね。ほぼ実際の感覚に近い実施ができたはずだ」

「はい! 浅岡さんありがとうございます!」

 仁科は嬉しそうに礼を述べている。


「じゃあ次は巽くんの番だ。仁科くんは補助をよろしくね」

 今度は僕が実施する。まず背中合わせに立って、合図を送る。そして両手を振り上げて仁科が手首をキャッチする。それに合わせてマットを蹴りながら両手の間から体育館入口、天井、逆さに見える体育館奥壁と来て、マットが映る。

 すぐに両手がマットに付いて、腹筋を使って両脚を遠くへ振り下ろした。


「できた……。小学生の頃から毎日練習してきてできなかったのに……」

 あれだけ繰り返してきた練習でできなかったものが、補助ありだとしてもできた理由がよくわからなかった。


「巽くんは体が固いみたいだね。体をじゅうぶん反らせていないし、両脚を振り下ろすときも中途半端だし」

「巽の体が固い、ですか? こいつ小学生の頃からストレッチをみっちりやっているから、そんなはずはないんですけど」

「さっき見せてもらった前転跳びでもわかったんだけど、どうやら肩関節や股関節が固いんだよ。だからある程度の位置で動きが制限されてしまうんだ」



 関節が固い。まさかの指摘だったが、ストレッチを始めた頃から疑問はあった。

「もしかしてなんですけど、足を上げるときに股関節を外して、下ろすときに股関節を入れ直す、なんてことは普通の人はしないんじゃないですか?」


「股関節を外す? 初めて聞くね。僕たちは単に足を上げていって股関節なんて外さない。もちろん下ろすときも股関節は関係ないね」

「それでか……」

「巽、それでかってどういうことだ?」

「砂場で練習しているときから変だとは思っていたんだ。おそらく“恐怖心”で『また頭から落ちるんじゃないか』と怖怖跳んでいたから、体が縮こまってしまって失敗したのだと思っていたんだ」


「巽って怖いものなしだと思っていたけど、バク転が怖かったのか。それでも毎日練習できるなんて、たいした精神力だな」

「でも違っていた」

 淺岡キャプテンが言葉を継いだ。

「体つきも申し分ないし、実際ストレッチではなんの問題もないように見える。でも運動するときに不具合が生じるんだ」


「運動するとき、股関節を外したり入れたりしないといけないから、いずれ股関節が悲鳴をあげるはず。となれば、やはり部活動としての体操はできそうにありませんね」

 浅岡キャプテンは少し考え込んだ。


「巽くん、今度は僕と仁科くんが補助するから、別の方法で練習してみようか」

「別の方法?」

「そう、今度は僕と仁科くんが左右から補助するから。左右へ体がブレたらふたりで抑え込む。だから怖さを感じないように気持ちを集中させて」


「それってほとんどひとりで練習するのと同じなんじゃないですか?」

 仁科がやや心配そうに告げた。

「遅かれ早かれ君たちにはやってもらわなきゃならないからね。それなら今できそうな巽くんから先に体験してもらうよ」



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