第二章 体操部入部?
第9話 先枚高校入学
都立
するとすでに四名の新入生が入部手続きを済ませていた。
いずれも制服のブレザーの上からでも上半身の筋肉の厚さがわかるほどだ。どうやら体操経験者のようだ。
そのうちのひとりが僕たちに絡みだした。
「お前らも入部するのか? 素人が体操部なんて絶対に付いてこれないぞ」
「いいんですいいんです。僕たちはバク転とバク宙さえできるようになれば、それで……」
カエルのような顔つきをした新入生はそんな僕たちを見上げていた。
そういえば「青天体操教室」の潮くんも僕より背が低かったっけ。
聞いた話だと、体操選手は百六十五センチを超えると大きい部類に入るらしい。僕たちは百七十センチ近くあるので、ある意味で規格外のはずだ。
「けっ、モテたいだけのお気楽野郎どもが」
興味を失ったのか、屈強な新入生の輪の中に戻っていった。
すると気のよさそうな男子生徒が僕たちのところまでやってくる。
「君たちも入部希望なのかい?」
「あ、はい。新入生です。まったくの素人なんですけど入れますか? できればバク転とバク宙だけでも習いたいんですけど。それができたら辞めさせられてもかまいませんので……」
「まったくの素人か。じゃあとりあえずこの入部届に必要事項を書き込んだら僕のところに持ってきてください。経験欄は『なし』って書いてくれればいいからね」
先枚高校って弱小校だって聞いていたけど、意外と体操経験者も通っているんだな。
入部届の記入欄をすべて埋めて、先ほどの男子生徒のところへ持っていく。
「ありがとう。練習参加は授業開始日の放課後からになるんだけど、学校指定のジャージにTシャツでもいいから動きやすい服装で来てください。それじゃあこの入部届は受理したからね。はい、これ半券」
入部届の隅をちぎって渡された。
「半券って?」
「ああ、説明しないとダメだね。最初の練習日にそれを持ってきてくれれば、入部届を受け取った生徒かどうか区別がつくからさ。そうしないと代理が来たり冷やかしだったりいろいろあるんだよ」
入部届を書いて半券をもらったのが代理の人だとは考えないのだろうか。
やはり学校の体操部だとしょせんこの程度なのかもしれないな。
「あら、
唐突に後ろから名前を呼ばれて振り向くと、
「お久しぶりです、栄さん。ってあれ? なんで栄さんがここにいるんですか?」
「それはもちろん、あなたの勧誘に決まっているじゃない」
「それだけのために、都立高校の体操部に押しかけるのは越権行為だと思うんですけど」
長い髪をポニーテールに結いた姿は石井さんを連想させるな。
「確かにね。実はこの体操場、都大会の地区予選会場のひとつなのよ」
「へえ、それは知りませんでした。でも体操教室も地区大会では公立高校と同列でいいんですか? 練習時間の長い体操教室のほうが圧倒的に有利になりそうなものなのに」
「まあジュニアまで体格に大差はないから、ちゃんと試合にはなるのよ。それに体操って採点競技だから、レベルが違っていても世界標準の点数が出るから問題ないのよ」
「なるほどね」
栄さんは僕の体をまじまじと見ている。
「改めて見ると、君ってやっぱり筋肉があまり付いていないわね。まあバク転とバク宙をするくらいでよければうちの教室にくれば、君なら一日でマスターしそうなんだけど」
品定めするような視線にむず痒さを感じた。
やはりバク転やバク宙をするには筋力がなさすぎるのだろうか。ダッシュはけっこうやってきたはずなんだけど。
「あ、誤解しないでね。筋肉をつければバク転とバク宙ができるようになるわけじゃないから」
その言葉に引っかかりを感じた。
「ほら、男性アイドルグループなんかが曲の合間にバク転やバク宙をするじゃない。彼らを見ればわかるだろうけど、バク転やバク宙にはそれほど筋力は必要ないの。仁科くんはもう少し筋肉が欲しいけど、巽くんはすでに実施できていてもおかしくない体つきではあるのよね」
そういうことか。確かに回るだけならそれほど筋力は要らないだろう。
僕だって前転跳びをマスターしたのは小学三年の頃なんだから、筋力なんてたかが知れていたからな。
「で、今日は地区大会予選の申し込みと、君たちのことをお願いしに来たってわけ」
少し気が滅入ってくるな。
「勝手にハードルを上げないでくださいよ。ただでさえド素人ですでに新入生に目をつけられているんですから」
と言って先ほどのカエル顔の男子を見やる。
「あれは春日くんか。あら、吊り輪の若林くんもいるのね。君たち、レギュラーは難しいんじゃないかしら。それならうちに所属してくれれば大会にも出られるだろうけど」
「いいんですよ。僕と仁科はバク転とバク宙さえできるようになれば、退部する予定なんですから」
「え? それ本気で言っているの、巽くん」
今日もずいぶんと栄さんを驚かせているような気もするけど、体操だってタダでできるスポーツではない。
長く続けていられるほどうちにはお金はない。
だからすぐにバク転とバク宙を教わって退部しないと割りに合わないのだ。
「まいったなあ。せっかく将来の有望株ってことでここの顧問に話を通しておいたのに」
「ですから、そういうことは本人の許可をとってからにしてください。僕なんかが有望なわけないんですから」
「でもね、稲葉コーチもあなたの才能を買っていて、できればうちに引っ張ってこれないかって愚痴っているほどよ」
「えっと、たしか潮さんって言いましたっけ。あの筋骨隆々な人がいるじゃないですか。あの人のほうが僕なんかよりよっぽど才能は上ですよ」
栄さんは首を横に振る。
「確かに潮くんはうちのエースだけど、才能より努力の子なのよ。体を目いっぱい鍛えて力技の演技ができるオールラウンダーに育てたんだけど」
「やはり僕に才能はありませんね。やれるのが前転跳びとロンダートだけなんですから。さっさとバク転とバク宙をマスターして退部するまでです」
「どうしても?」
僕と仁科は始めからそのつもりだった。
勝手に大人が期待しても、それを証明し続けなければならない義務は子どもにはないのだから。
好きなことだけやれたらそれでじゅうぶんだ。
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