第7話 転機

「見よう見まねじゃ無理、か。まあなんとなくわかっていたけど、直言されるとは思わなかった」

たつみくん、あなた才能はあるのよ。さっきまでのバク宙の練習を見ていてもそれがよくわかるから」

 あんな失敗ジャンプのどこに才能を感じるのだろうか。


「とりあえず、うちの先生にこの映像を観せるから、アドバイスくらいはもらえると思うけど」

「石井さんってB組だよね? 担任の先生って体操経験があるの?」

「体操教室の先生よ。私も教わっているから」

 石井さんって体操教室の生徒だったのか。道理で言うことに説得力があるわけだ。


「うちの先生だったら、一発であなたにバク転とバク宙を教えられると思うんだけど」

「先ほども言いましたよね。体操教室に通うお金なんてありませんよ」

 また口元に右手を添えて考えている。


「私が直接見せられたらいいんだけど、体操教室以外で練習しないようにきつく言われているから……」

「見ていないところでケガをされたら責任問題もあるってことか」

「そういうこと。他人の練習を助けるのもダメなの。浅い知識でその人に大ケガをさせる可能性があるから」

 右手で隠れている口元がへの字に歪んでいる。なにかやりきれないものやもどかしさみたいなものがあるのかな?


「まあひとりでやれる範囲で頑張ってみますよ。どうせ趣味のようなものなんだし」

「成功させたらこれ以上ないほどの趣味よね」


「石井さんの言うとおり。前転跳びを最初にまわれたときは、とにかく喜んでいたな。そして何度も繰り返したくなった。一年間ずっと挑み続けていたからね。達成感はひとしおだった」

「やっぱりせっかくの才能が無駄になっているのよね」


「体操選手からすればたいした才能ではないと思うけどね。僕は自分の体をコントロールして自在に動かせるってことが嬉しいだけなんだから」

 石井さんはまだスマートフォンを見ている。


「あ、もうこんな時間か。今日も体操教室に行かないといけないから、今日はこれで失礼するわ。この映像、先生に見せてみるから。なにかアドバイスをもらえるかもしれないし」

「別にアドバイスは要らないよ。さっきも言ったように、自分の体をコントロールするのが好きなだけなんだから」

「それじゃあ、今日はここで」

 彼女はぶっきらぼうに言って踵を返すと、傘からはみ出て制服が濡れてもお構いなしに駆けていった。


 石井さん、体操教室に通っているならすでにバク転もバク宙もできるんだろうな。

 だからいつまで経ってもできない僕の姿を見てもどかしかったのかもしれない。


 僕は帰るまでまだ時間があるから、下校時間になるまではロンダートから高く跳ぶ練習を続けることにした。


 ◇◇◇


 翌日の昼休み、しなが僕に詰め寄ってきた。まあだいたい言わんとすることはわかるけど。


「巽、お前、昨日石井さんと話したんだって? 俺のことは伝えたのか?」

「いや、そういう話はしていないんだ。ただバク転とバク宙について、それに前転跳びを撮影して先生に見せるんだって言っていたよ」


「先生に見せるって、お前教育的指導の対象にされるのか? いいじゃないか、個人の趣味でやっていることなんだから」

「学校の先生じゃないんだってさ。なんでも通っている体操教室の先生に見せるらしい」

 仁科がぜん食いついてきた。


「体操教室って、確か近場にそんなところなかったよな?」

「ああ、電車を乗り継いで通っているんだってさ」

「場所を詳しく聞いておいたか?」

「いや、どうせ体操教室には通えないから、それ以上深入りはしなかったよ。彼女の環境は高嶺の花だったってことで」

 仁科はあれこれ考えにふけったようだ。


「よし、今度場所を聞いてこい。俺が入会してコツを聞き出してくるぜ」

「どうやら素人にあれこれ教えちゃダメらしいんだ。それはすでに聞いてある。体操教室以外で練習するのもご法度だって」

「でも久美ちゃんに近づくチャンスだからな。俺は彼女とお近づきになれればいいんだよ。お前ほど才能もないんだしな」


 そういえば、もし体操教室の先生が僕の動画を見て「才能なし」と断じられたら、これから先練習に打ち込むのがバカらしくなるかもしれないな。

 ただの前転跳びをマスターするのに丸一年かかっているし、それからバク転の練習を三年以上続けているのに一回も成功していない。

 やはり才能はないのかもしれないな。


 仁科と話をしていると、クラスの女子が僕の席に近づいてきた。

「巽くん、B組の石井さんが廊下で呼んでいるんだけど」

「えっ、石井さん? 俺ちょっと言ってくるわ」

 その言葉に反応した仁科が慌てて廊下へ出ていく。そして二、三、話をしてすぐ僕のところまで肩を落として戻ってきた。


「用があるのはお前だけだってさ。俺は親友だから一緒に話したいって言ったんだけどな」

「それならお前も一緒に行こう。僕は仁科に隠し事をするつもりもないし」

 その言葉に仁科は僕にすがりついてきた。

「やはり、持つべきものは物わかりのいい親友だ!」


 ふたりで廊下に出ると、石井さんはやや迷惑そうな視線を投げてきた。

「石井さん、こちらは僕の幼馴染みで親友の仁科。僕の練習を見守ってくれているんだ」

「それは知っています。あなたが砂場で練習している隣にいつもいらっしゃるようですし」

「石井久美さん、改めまして。仁科と申します」


「巽くん、ふたりで話せないかしら?」

「こいつは僕も同然です。仁科に内緒で話をするつもりはありませんので」

 ひとつため息をついて、仕方ないと漏らした。

「わかったわ。内容が内容だから、人に聞かれないところへ移りましょう」


「それなら当然校庭の砂場だな。ささっ石井さん、早く向かいましょう」

 気を取り直した仁科は僕たちを率先して歩き出した。


 砂場に着くと石井さんは口を開いた。

「昨日あれから体操教室に行って先生に見てもらったんだけど」

「まあ素人の趣味だからプロから見ればボロクソなんでしょう」

 僕は軽く毒づいた。

 プロの目で見れば素人に毛の生えた程度であり、見るべきものなんてありはしないだろう。


「それがね、『この子、本当にうちに通えないの?』って聞かれたわ」

「まあ笑うネタには事欠きませんからね。いい道化師になれるって意味でしょう」

「違うわよ」

 またピシャリと言葉を切った。

 こういう話し方だから彼女、敵を作りやすいんだろうけど。


「男子を見ている先生にも見てもらったんだけど、あの前転跳びを誰からも教わらずにひとりでマスターしたって聞いたら『もったいない!』だって」


 どうやらプロの目から見ても、あの前転跳びは評価に値するのか。

 それがわかっただけでも収穫ではあるな。

 これでバク転とバク宙の練習にも身が入るってもんだ。


「巽くん、本当にうちの教室に来られないの?」

 石井さんの瞳には力がこもっているように感じられた。



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