第5話 ロンダート

 中学に入ってからも毎日バク転の練習に励んでいた。

 体が大きくなってきたのか、脚力と背筋力がついてきたようで後ろへ回るスピードが増してきた。

 しかし、どうにもうまく手が突けない。

 なまじスピードが増したぶん、頭から落下する勢いも速くなってダメージがけっこう効いてくる。


たつみ、お前、なんか変だぞ」

 仁科にしながこう言ってくるのは、決まってなにかに気づいたときだ。


「なんて言うのか、俺の知っているバク転はもっと高かったような気がする。お前、速く回ろうとしすぎて、高く跳べていないんじゃないのかな?」


 なるほど。言われてみれば確かに脳天から落ちる理由というのは、客観的に分析すると二種類あるだろう。


 僕は体を回転させるスピードが足りないから、回りきれなくて脳天から落下しているのだと思っていた。

 これがひとつ目の理由。


 しかし仁科は「高さが足りない」と言った。

 余裕を持って高く回ろうとすれば、回転速度はゆっくりになるが、自然落下する時間は稼げるのだ。

 つまり同じ回転力でも頭から落下する可能性は下がるのではないか。

 これがふたつ目の理由だ。


 やはりひとりで取り組んでいるだけではどうにも限界がある。

 本格的に体操を教えてくれる人がいないとしても、悪そうなところを指摘してくれる人くらいいたほうが冷静に分析できてよいのだろう。


 そこで高く跳ぶつもりでバク転をやってみる。

 すると頭と手と足が同時に着地する「土下座」の姿勢にまでもっていけるようになった。

 これでいくらかバク転らしくなってきたようだ。

 以前はずっと脳天から落ちていたのだから、バク転としては「回りすぎ」だが、バク宙としては「回転不足」というところだろうか。


 今まで失敗するときは回転不足で脳天から落ちていたので、このままバク転の練習をするより、先にバク宙を完成させたほうがよいような気がしてきた。


「なあ仁科。ちょっと方針転換することにしたんだけど」

「バク転をあきらめるって言うのか?」

「いや、そうじゃない。先にバク宙を完成させようと思って」

 その言葉に仁科は眉間に指を当ててなにか考えているようだ。


「まあ確かに、これ以上バク転の練習で脳天から砂に突っ込んでいたら、さすがに危険だろうしな。体が大きくなっているから頭へのダメージも小学生の頃と同じとはまではいかないだろうし。危険度の少ないバク宙から先にっていう変更なら俺も支持するわ」


 仁科が納得してくれたので、目標を変えてこれからはバク宙つまり後方宙返りの練習に切り替えることにした。

 高さをもっと出せば、もう少し着地までに回転できているだろう。

 先ほどよりももっと高く跳ぶつもりで地面を蹴って後方へ回ってみる。

 しかし「土下座」の姿勢になるのは変わりなかった。

 ただ、頭から落下することはなかったので、安全性をとるならやはりバク宙を先に練習するべきだろう。


「仁科の言うとおり、バク宙のほうが頭から落ちないだけ安全だな。着地がちょっと不格好だけど、頭からぶざまに落ちるよりは数倍見栄えもいいしな」

 もう一度回ってみたが、やはり土下座になってしまう。

「ハハハ。ジャンピング土下座ってところだな」


 仁科が笑って見守っているが、確かに今やっているのは後ろへ跳びながら土下座をしているのに違いなかった。

「毎日ダッシュしているからもう少し高く跳べそうなものなのに。この程度だと人より少し高く跳べる程度でしかないんだよな。なにかが間違っているのかな?」


 毎日のダッシュで脚力には絶対の自信がある。

 それが高くジャンプするのにどれだけ生かされているのか。

 ダッシュする動作と跳躍する動作は「脚を使う」という点では同じだが、使う筋肉が若干異なるのではないか。

 もし同じであれば、僕はとっくにバク転を成功させているはずだから。


 しかしダッシュから前転跳びをするのはすっかり板についてきて、どんな場所でも確実に成功させる自信がある。やはりこのスピードは活かすべきだろう。

 ではどうすれば、ダッシュのスピードをバク宙に活かせるのだろうか。

 そう考えながら仁科と帰宅の途についた。




 家に帰ってきてから、オリンピックの体操演技を録画したものを観ていて気がついた。

 どの選手も、バク転から演技を始めていないのだ。

 前へ向かってダッシュしてから体をひねってバク転してから宙返りを行なっていたのだ。


 中学校へ進むときに母親に体操の教科書を買ってもらっていて、それをもう一度詳しく読んでみると、果たして書いてあった。


 ロンダート。

 おそらくこのロンダートという技を使ってダッシュの勢いをバク転につなげているのだろう。

 さらに気づくところはないか、録画を何度も観返すと、どの選手もロンダートから直接宙返りを行なっていなかった。

 これはロンダートから直接宙返りをするよりも、バク転から宙返りをするほうが勢いがあるということなのかもしれない。

 まあロンダートから直接宙返りをすると減点されるからなのかもしれないのだが、教科書にはそこまで詳しくは書かれていない。

 だがロンダートをすればダッシュのスピードを跳躍の高さにつなげられるのではないか。

 だとすれば、僕もまずはロンダートの練習から始めるべきだろう。

 幸いロンダートは前転跳びに半分ひねりを加えた技であり、前転跳びの要領で練習できることがわかった。


 これならいけるかも。

 さっそく公園に行ってロンダートの練習を始めた。

 今回は自信のある前転跳びの派生だから砂場でなくても実施できるだろう。

 まず着手するときから体を四分の一ひねって横を向き、倒立姿勢を経てさらに四分の一ひねって着地する。

 ゆっくりだったがこれでロンダートの完成だ。


 今度はダッシュしてから素早く実施してみる。

 だがロンダートの着地で後ろを向くため、勢い余って進行方向へ吹き飛ばされるのが玉にキズだ。

 であれば、ロンダートの直後に高く跳び上がる練習を繰り返せば、思いどおりに高く舞い上がれるかもしれない。




 当面の課題が出来た。

 あとはどこまでイメージどおりに実施できるかだ。

 学校の砂場でもロンダートから高く跳び上がる練習を繰り返すことにした。


 どこまで高く跳べばよいのかは正直僕にもわからない。

 でも、できるだけ高く跳べるに越したことはないだろう。

 抱え込み姿勢で跳びすぎているのであれば、回転効率の悪い屈伸姿勢や伸身姿勢などで宙返りをすればよいのだから。

 そう割り切って、とにかく高く跳ぶことだけを考えてロンダートの練習に励むことにした。


 しかしその姿を誰かに見られているとは思ってもみなかったのだが。



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