第3話 後転跳びの関門

 ゆうくんと外で遊ぶときは彼が自転車で移動する際、つねにダッシュで付き添った。少しでも脚力を強めるためだ。


こうちゃんしんどくない?」

「うん、だいじょうぶ。とにかく脚力が強くならないとバク転もうまくいかないと思うから」


 勇くんと遊べるのが楽しくて、ダッシュで疲れたなんて感じたこともなかった。駄菓子屋に行ったり本屋に行ったりするのも、いつもダッシュだった。

 勇くんの自転車と速さ比べをするときもあるくらいだ。


「近くに体操教室があるといいんだけどね。ぼくお母さんに聞いたことあるんだけど、近くにはないんだって言ってた」

 勇くんは残念そうだった。


「ぼくも聞いてみたけどダメだった。うちの小学校に体操部でもあればいいんだけど、そんな都合のよいものがあるわけもないし」


 誰かに教えてもらえたら習得しやすいはずなのだが、できそうな環境が揃っていなかった。

 今思えば、小学校の先生でも体育でアクロバットができる人はいたのかもしれない。でもまだ小学生だからそこまで頭がまわっていなくて。

 だから未熟な頭脳で今できることをするしかない、という結論に達したんだ。


「体操教室は無理でも、体操部くらい中学校にあればいいんだけどね。ぼくと孝ちゃんが進学する公立中だとないらしいんだよね。私立中なら体操部のある学校だって見つかるんだろうけど」

「それだけのために私立っていうのもどうかと思う。うちは母子家庭だし」

「孝ちゃん才能があるからもったいないよ。なんとかして体操ができる環境を整えられないのかな?」

「やはり地元に体操教室でもないと無理なんだと思う」

 こればかりは環境なので小学生がどうこうできるものでもなかった。


「自力でなんとかしろってことなんだろうな」

 置かれた立場で全力を尽くす以外、小学生にできることなんてありはしない。


「とりあえず、日々ダッシュするしかないかな。ダッシュ力があれば少なくとも前転跳びは安定するだろうし」

「でもヒーローといえばバク転にバク宙だよね。孝ちゃんにはやっぱりバク転とバク宙が必要なんだと思う」


「それは自分でも思ってた。だから失敗しても挫けず何度でも頭から落ちるしかないかな」

「それじゃ孝ちゃんいずれ大ケガしちゃうよ」


 まあ確かに頭から落ちたらクラクラするからなあ。

 あれでなにもなしとは考えづらいし。

 もう少しやり方を工夫できたらいいんだけど、しょせん小学生の浅知恵だ。確実にバク転やバク宙ができるようになる方法になんて行き当たるはずもない。


「勇くん、そろそろ塾の時間だよね。ぼく学校の砂場で練習してから帰るから」

 言い終わるとそのまま小学校へ向かってダッシュで走り出した。


 環境が整ったところで、ぼくに才能がなければできっこない。それなら自力でできるようになるまで頑張るしかない。前転跳びのようにいつかポロッとできてしまうことだってあるのだから。




 砂場に到着すると、縁に乗って後ろ斜め上に向かって足で蹴った。体を反らせて地面を探すが見つからずに脳天から落ちるだけだった。

 ジャンプ力以外に足りないものがあるのかもしれない。

 たとえば柔軟性とか。

 もっと体を反らせられたら、地面を見ながらしっかりと両手を着けられるだろう。


 そこで、立った状態のまま後ろへ体を反らせて砂場に両手を着く練習を始めることにした。しかし砂が見える前に頭もろとも背中から砂場に叩きつけられた。


 やはり柔軟性が足りていないのかな。

 後ろにのけぞりながら砂に両手を突き立てたいのだが。もっと体を柔らかくしてみよう。


 今日はいったん帰宅して、うちの中でブリッジを練習することにした。

 体を横たえて両手を肩まで近づけ、両足をおしりのあたりまで引きつける。そして四肢に力を込めて胴体を上へと持ち上げていく。

 ブリッジの姿勢を維持して目線で地面を探してみるが、見えなかった。

 これは体が固いせいかもしれない。


 筋力を付けることだけ考えていて、柔軟性まで頭がまわっていなかった。

 テレビで見た「体操選手」はひじょうに体が柔らかかったはずだ。今のぼくはとてもではないが柔らかいとはいえない。むしろ体は固いほうだろう。


 それからは柔軟性を得るために、お風呂あがりにストレッチを始めることにした。肩関節、股関節を中心に筋を伸ばしていく。そして前屈をして背筋を、後ろへ反らせて腹筋をそれぞれ伸ばしてみる。

 柔軟性は一日やって改善するものではないという。

 毎日繰り返してようやく身につくものであり、一日休めば取り戻すのに三日はかかるとも聞いた。

 帰宅してからは宿題を手早く終わらせ、ブリッジの練習をしてから就寝した。




 日中運動しかしていないのに、学校の成績は落とさなかった。むしろ授業にも集中して臨めているので、記憶力はよいほうだ。

 血流も多いほうだから、一度憶えたことも忘れることはまずなかった。

 あるとしたらバク転の練習で頭から落ちたときに忘れるかもしれない。まあその場合は忘れるというより「記憶が飛ぶ」のだが。


 だから先生も遅くまで校庭の砂場でなにやらやっていても声をかけることもなく大目に見てもらえていたのだろう。


 今にして思えば、危険極まりないことを小学生ひとりに勝手にやらせていたのだから、最悪の場合は小学校側も管理者責任を問われる危険性もあったのではないか。

 そう考えると小学校の先生方もそこまで深く考えていなかったのではないだろうか。


 どうせ小学生だしそのうち飽きるかあきらめるだろうと高をくくっていたのかもしれない。

 でもぼくは楽しくて行なっていたのであきらめるなんて微塵も思っていなかった。とにかくひとつでもヒントをつかむために、繰り返し失敗を続けていたのだから。

 買いかぶりだとしても、もしかしたらひとりで成功させるかも、なんて考えていた先生がいたのかもしれない。

 現に前転跳びには成功しているのだから実績もある。

 とにかく小学校の先生が放任主義だったことがよかったのか悪かったのか。この時点でわかる者などいなかった。




 それから毎日、砂場でバク転の練習をして頭から落ち、帰ったらお風呂で砂を落としてから全身をストレッチする日々が続いた。

 こんな状況でもいつかは成功できるとのんきに考えていたのだ。


 しかし小学生のうちに成功することはなく、ぼくたちは学区の公立中学校へと入学していく。



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