第11話

「お~失恋ちゃんやん! 仕事はどや、順調なんか? え、なんやこっち来とったんかいな! なんや~勿体ない、社長はんと副社長はん見たかったわ。は? マダムシンコ……? おお、うん。は!? 20個!? むっちゃ気に入っとんやん! 事務所に置いてんか。えらいこっちゃな~……いやうちは食うたことあれへんな。そんな美味いんか? ほな今度食うてみよかな……いや20個て。しかも棒の方やのうてケーキの方やろ? ほんまによう食うなおたくの社長はんら。社長はんは歳いくつなん? 50ちょい? ほんで細いんか? ほんまに人間か? 殴ってみたらええんとちゃう。な、ビンタ。かましたったらええやん。アハ! せやな、半年で転職はしたないな。ああ! せやせや、聞いてえな! うちな今度な……ママになんねん。……なんや察しがええな~おもんな……ご名答! Vのガワの発注きててんよ。や、でもほんまにすごいで。三体! 三体同時に! いやあ~……絵者さんやって長なってきたけど、えらいこっちゃで。有名センセやってさすがに、どんな企業案件でもさすがに三体同時は聞かんやろ。いややなァもう、褒め殺しィ。その応援はウチに効く! ほんまにやめえ! 調子こくやろ! ほーんまに、そればっかりはずっと変わらんなー。いやいや、嬉しいで。あ、ほんでな、モノは相談やねんけど、う~んとな、三体、これな、なるたけ同じモチーフ? イメージ? で統一してほしいねんて。どないしよかなー。うーん、なんやかなァ。え、名前? あー、それはガワ見てから決めんねやって。ちゅーかウチのデザインで名前決めるって……ふふ、ちょっと嬉しい。性別とかもこだわらんのやって。中の人が中性的なんかな? 最近はVもよう進化しよって、ついてくんもやっとやわ。て、な、ワケやねんけど、なんかええネタあれへん? え、何? あー! あー、『見ざる聞かざる言わざる』! おー! ええやんええやん! そういうんやわ! や~アハハ! やっぱ持つべきモンは友やな! 頭の回る友に限るわ! 大事せなあかんなァ~こりゃ。よっし、そうと決まりゃ早速作業やな! うん、そっちも仕事、気張りや。応援しとんで。ん! ほなね」



 一木がPC画面と凄まじい睨み合いをする日々が続いている。応接室ではトシと葵が依頼者の相談を、15分枠に5分の休憩を挟み、三時間は通しで対応している。

 このままではトシが空腹で倒れるか否かといったところで、一木が応接室に入ってきた。隈の酷さだけ見ればトシと初めて会った頃に近い。

「一旦……ご予約のお客様は、本日は終了です。すみません限界です。おなかが……すき、まし、た……」

「僕も、げ、限界」

 迷いなくドロップ缶のテープを取るトシ。むしろ慌てていたのはサクマの方だった。

「何しとん自分!!」

「ごはんかってきて」

「喉カッスカスやいか! おう小娘、荷物持ちせえ!」

 怨霊らしさは微塵も感じられない。大きめのエコバッグを二つと予備の一つとを葵に投げ渡し、トシの姿でトシの財布を掴むと事務所を出て行く。

「サクマさん待って~!」

 こんな日々が一週間は続いている。ひとえに実績の為せる業だろう。しかしある程度理解のできるようになってきた一木は大量の相談メールに目を通しているうちに気付いたことがあった。

「業務妨害を受けています」

「う~ん……う~~~ん……」

 空腹と、ただでさえ慣れない客商売でヘトヘトのトシには決定的な追い打ちである。

「実際に、本気でご相談にいらしているお客様が大半です。それは我々のここ数ヶ月の実績によるものですから、まあ、正当な評価といえます。しかしあのメールは一概にそうとは言えません。池之下さんには申し訳ないですが、精査をお願いした方が良いかと」

「確かに、困るよねえ……僕もできる限り手伝うよ」

 その頃、事務所最寄りのコンビニでとにかくおにぎりと2リットルの紙パック等をカゴに放り込みながら、サクマは大きな大きなため息をついた。

「なんッでワシがこんな……」

「仕方ないじゃ~ん急に仕事量が増えちゃったんだもん」

「まともな仕事が増えてんねやったらええやいか。こういうんはイタズラされまくってまうんが多いっちゅーんにのう」

「も~……別にいいことだけどさ、なんで急に増えたのかな~」

 ついでにスイーツ類もカゴに入れる葵に、サクマがケロリとした顔で答える。

「ああホレ、若造がブッ潰したんがおったろ、山のヤツ、のう。あいつの話持ってきよったなんやっけ、配信者らいばあちゅうねんな? あいつらがようけアゲとったで」

「……なんでそんなこと知ってんの?」

「いや、なに、ワシものう、『ぶい』ちゅうんあったらええなと思てん」

「サクマさん割と現代的だよね」

「あ? あんなァ」

 慣れた手つきでクレジットカード支払いを済ませ、ついでに煙草も購入しつつ、サクマは呆れた声で文句を言う。

「時代に置いてかれてどないすんねん。世紀の大怨霊様がそんなんやったら示しがつかへんやろ」

「示し、って……いやあのさ、ずっと気になってたんだけどね?」

「何や」

「あたしサクマさんのこと知らないんだよ」

 二人の間にごく僅かだが沈黙が流れた。

「は、え? 何のことや」

「あーほらあたしはさ、ほら、大体そっちの事情ってのには、学問として通じてるとこあるわけじゃん。だから怨霊だなんだで有名なひとたちってのはそれなりに知識があるわけね?」

「ああ……そういう」

「なのにサクマさんのはさ、こう、経緯もなーんにも知らないじゃん。あたしの知識不足は可能性低いけど」

「おうサラッと自慢しよるのう」

「かといってサクマさんがめっちゃ弱いのに見得張ってるわけでもないじゃん」

 これにはサクマは微妙に口角を上げるくらいのものだった。

「なんやかんやでここまで仕事仲間してきちゃったわけだけどさあ、そういえばトシさんのこともよく知らないし……あ、でもサクマさんはトシさんとは知り合いだったんだっけ?」

「おう、まあの……別に教えたってもええけど、ドン引きするで自分」

「おいおい~あたしを誰だと思ってンのよ! ちょっとやそっとじゃ反応しねーぜベイベ!」

「聞かんかったことにしといたるわ。おーう坊主共! エサ買うてきたど」

「ああ~ありがとうございます米です米! トシさん米がきました!」

 空腹のちょうど限界値だったらしい、一木が真顔のまま異様なテンションで二人(というよりかは二人の買ってきた食事)を迎え入れた。

「やあ助かった。ありがとう二人とも。死ぬかと」

「縁起でもないこと言わないでください? トシさんに倒れられたらいよいよ立ち行かなくなりますから」

「アルバイトの募集でもかけてみますか。メール査読の……」

「それもいいけど、どうせなら内情わかる人材が良いんじゃないですかねー。いざとなったら自衛はできます程度の!」

 「新品の掃除機」と後にサクマに渾名される二人の食いっぷりはさておき、迷惑メールフォルダをパンクさせるほど大量のメールはYT清掃創立初の重大な問題だった。セキュリティ関連が危うい。

「とりあえず私はセキュリティ面の調査を続けます。お二人はまだまだお忙しい日々が続きますが……よろしくお願いします」

「大丈夫! 落ち着いたらまたご飯行きましょうねえ!」

「焼肉のさ……食べ放題とか……行きたいよねえ……」

「トシさんッ的確に胃袋狙ってこないでよっ」



『言わんのんか』

「何をだい」

『……』

 喫煙所代わりの非常階段で、トシはぼんやりと煙草を吸い続けている。サクマがあまり口を利かなくなってきたのはトシの視線がどことなく数十年前の若かりし頃のものに近いように感じるが故であった。

「言ったところで、ねえ。二人の前ではやりたくないよ。きみと違って僕はあまり力のあるのを教えたくないんだもの」

『よう言うわ』

「きみのは、まあ、仕方ないってところも大きいけれどね。きみはほったらかしたらその分力が落ちてやがて消えてしまう存在だし。でも僕はそうじゃない。この時代に肉体を持ってその時間に存在している。自覚としては、生きてる人間なんだよね」

 鮫小紋の御召は、未だ葵にすら見せたことのない上等な一着だった。サクマは一度だけその姿のトシを見たことがあったが、それが自分との大一番のときのことであるとも知っている。その大一番で何が起きたのかも頭から終りまで語り尽くすことさえできる。いま、トシがそれを着込んでいる理由はそのときと同じだろう。

「眠らせるだけで満足ですか。……誰かの御遣いの方」

「御勅役在倫科」

「随分と長いこと使役されているようだけれど言語は不完全なんだね」

 事務所へと戻るドアを開けると、机に突っ伏している一木と葵とが静かに寝息を立てていた。トシの言葉に奇妙な返答をしたのは、見覚えのまるでない男の無表情をマネキンに貼り付けたような出立ちの人影だった。陽の傾き始めた事務所には赤にも程近い光が差しこんでいたが、無表情の男には影が差さなかった。

「それとも、長すぎてついていけなくなっちゃったかな。池ちゃんの受け売りだけれど、古代と現代とじゃ発話法も全然違ったんだって。きっとそうだね」

『式……食うたらさぞ強ぉなれんねやろなァ』

「うーん、だめです。サクマさん、まだ池ちゃんのことするつもりなんだろう? だったらまだ彼女のコントロールが効くレベルでいなくっちゃね」

「命刺間図定則」

『チッ……あ~面倒じゃのお。ワシァもう知らんど!』

 袂のドロップ缶が揺れる。不貞寝をしようと椅子に勢い良く腰かけたみたいな感覚を何故か覚える。

「鏡形情知別反」

 無表情の紙のお面のようなものがぺらりと剥がれた。人体の形状をしていたが、音も立てずに形を変えてゆく。形容は、し難い。無理に言語化するのなら、「定形を持たない何かが気体でも液体でもない姿を無理矢理に可視化させている」状態とでも言おうか。

「逆にねえ、あなた方くらいの相手の方がね、楽ですよ。だって一目で違うってことがわかりますから。神様たちっていうのは本当、わかりやすい」

「首廻車定装寧」

「ああ怒ってるんですね。使命を果たせなくなっちゃったから。いやあ申し訳ない、僕がも少しまともに対応してあげられればね」

 赤っぽい色味の粒子がトシに近づいてゆく。ドロップ缶の中とはいえ、サクマは苦々しい顔をしていた。すぐ近くまで来ているは、確かに誰かしら術者に使役されている式神ではあるが、本質や元になったものがあまりに異様だった。先程は大口を叩いてみたものの、まともに対立すれば食われるのはサクマの方だ。


 全盛期ならまだしも……少なくともいまは得策やあれへんわ。


「はっきり視えるっていうのは、区別がつくっていうのは、僕にとってはありがたいことなんですよ。区別のつきづらい性分なものですから」

 身体中に赤い「何か」がまとわりついているというのに、トシは微笑んですらいる。いつもの困り笑いではなく、時折サクマ相手に見せるような勝気な笑みだ。

「さてさて、どうしてくれましょうか。僕ね、少し腹が立っているんです。あなたが如何な神性を持っていようが、おイタには相応のおイタで返しませんと」

 す、と腕が伸びる。両の手は大きく広げられると、次には乾いた破裂音を立てていた。

 波形が広がる。赤く波打つ。柏手を打った手のひらを合わせたその部分から、鼓動のように響いている。

「魚似煮沸点真」

「ふふ」

 空間の変質というのは、おそらくは「術者」として活動する者には決して扱えない技である。道理を外れた行いをするにはまず己自身が道理から外れかくあるべきなのだ。トシはまさしく、道理から外れに外れた存在であろう。

『おまえ……そんなん、できるはずあれへんやろ。っちゅーかできたらアカンやろ。ワシ相手して、次は、式やと? 嘘も大概にせえよ』

「いちばん良く知ってるくせに。僕もよくわかってるつもりだけれどね、僕が誰よりまともじゃないことくらい」

『……どっかから吸い上げとんのとちゃうか?』

「いやいや、できなくはないけれど、しないよ。するだけ意味がないでしょう」

 陽の差しこんでいた事務所は、指摘されなければ気付かない程度ではあるが、まるで子供向け絵本の間違い探しのように、ごく微小な変化を起こしていた。それぞれのデスクで寝ていた一木と葵は来客用ソファに並んで座らされ、机の上にはドロップ缶が置かれている。いずれ来る和箪笥のために空けておいたスペースには立派な桐の箪笥が置かれ、全面鏡も安置されている。血を思わせる赤だった陽の色は落ち、月明かりのおぼろげに白んだ色味が部屋を包んでいる。

「貯貨資料主爆」

「そうですね。これが僕の心象風景ってことになるんでしょう」

『昔とは想像つかんほど変わりよったなァ。そないにガキ共が可愛えか』

「うん……そうみたい」

「超脈動上降道」

 ただの赤い霧、そう見えれば良い方で、ほとんど粒子の形状すら認められない、霞んだ、より異質な「何か」にまで貶められた式は抑揚のない発声でひたすらにトシを罵倒しているらしい。

「いけません。僕これでも怒ってるんですよ。言ったじゃあないですか、ねえ? タダでは帰しませんってば。それとも反省してくれますか? この子たちに手を出したこと」

 過去を知る唯一の存在としては、性分とはここまで変わるものかという驚きさえ持っていた。


 ワシをぶん殴った時ァ、なーんも持っとらん要らん言うて、自爆も兼ねて向って来たちゅうんに、ほんまにガキ共に……アホほど肩入れしとんわ。


 それを「馬鹿馬鹿しい」とは嗤わない怨霊は、余計な茶々入れを好まないと言うべきか、はたまた、面倒は御免だとでも言うつもりだろう。

「出て行ってもらいます。もちろん無事には帰しません。しばらく療養が必要な程度まで核を破壊します。帰巣本能があるなら帰れるんじゃあないですか」

「煙創花底積食」

「命拾いしたとでも思ってろよ」

 指が空間を優しく包むように掴み上げる。指一本ずつ、内側に折り込んで、それから、爪が肉に食い込むほどに強く、強く握りしめる。

 ミシッ、と、何かが歪むような音がして、赤い霧は完全に見えなくなった。

『……阿保やなァ。上手いこと引っ叩いたって親玉呼び出すんが道理やろ』

「ああ……そうだね。冷静なつもりでいたけれどかなり頭に血が上ってたみたいだ。思いつきもしなかったよ」

『鬼子は健在か。思えばワシと再会したときン顔もそりゃあ勝気でしゃーないモンやったわな。ハッ……のう、儂は申したはずぞ、何かにのめり込むほどのことにおまえがなれば、なってしまえば、儂等には手をつけられんと、のう』

「うん」

 風景はさあっと風に吹かれるように消え、夕陽は本格的に沈み始める頃合いに見えた。デスクに突っ伏していたはずの二人は、トシの作り出した結界の中のまま、並んでソファに座らされてそのまま眠っている。等身大の人形にさえ見える。

「……わかってる。わかってるさ。でもね……」

 ソファに座った二人の後ろに回り、トシはどこまでも突き抜けて慈愛に満ちた顔をする。二人の肩に手を置いて、机上の缶に微笑みかける。

「本当に、この子たちが……愛おしいんだ。こんな気持になったのは初めてで、僕自身、どうしたらいいのかわからない」

『ま……ワシァ知らん言うたからの。でも、まー……見物やから居たるわ』

「頼んだよ」

 夕陽は完全に傾いて、ただ、今日は新月の夜だった。




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