第10話
「戻ってくることになるとはね……」
葵はげっそりと元気のなくなった顔を隠すこともせず、キャリーケースのハンドルをキュッと握りしめる。平日の昼間ともあれば、国内線のみの空港が大勢でごった返すことはない。
視線の先に広がる、関東とは少しだけ違った景色。彼女は半年は前になる記憶を思い返さずにはいられなかった。月内残業時間は悠然と法定規則を超えてゆき、宛て処のない鬱憤を上司から当てられる同僚の姿があり、日々心身ともに疲弊してゆく若い瞳。これらは実にどこにでもありふれた風景であり、彼女の転職を決意させたのがまさしくこの地であった。
「まあ、今日はあそこに行くわけじゃないから……」
自分に言い聞かせるように、呟く。横からふわりと食欲をそそる香りがしてくるのを振り返ると、初めての関西で浮かれ切った男二人が種々の立ち食い系食品を抱え、子供のような目をキラキラさせていた。
「豚まん食べろの意味がよ~くわかったよ!」
「空港に到着しただけでこれほど食い倒れられるのですか!」
「配送とかいっぱい手配しちゃおうかなあ!」
「お土産にしたいものもたくさんあって困ってしまいますね……」
「二人がとにかくはしゃいでるってことは伝わりましたよ」
葵は珍しく落ち着き払って、ハンドバッグの中のドロップ缶をつつく。現地に最も馴染むはずのサクマの声はここへきてずっとだんまりを決め込んでいた。
「サクマさ~ん、あたし一人でこのテンションの二人さばくの無理だってェ~いつものツッコミはどこ行っちゃったの~?」
『ワシァ今回口出さんど。はしゃいだ男二人相手しとれんわ』
「えー! ケチ! あたしだってツッコミ側じゃないんだよ!」
『自覚しとってワシを散々こき使っとったんか!? 怨霊より鬼畜生やいか、も~知らんホンマに嫌やわ』
はしゃいではいるものの、仕事はこなすタイプの一木の携帯アラームが鳴った。
「もうすぐ、事前に調べたバスの時間です」
「あ、じゃこっちですねー」
「わかるの?」
「イヤでもわかりますよ! ほんの五カ月とはいえこっち住んでたんですよー? ちょっとは覚えますって」
トシと一木にはほとんどピンとこない地名の並んだバス停に、葵はさっさと歩いてゆく。二人にもわかるのは「USJ」程度のものだった。
「えーと、阪急じゃなくて、JRの駅で乗り換えて……えーっと、そしたら、30分くらいですかねー。あ! バス来た!」
「早く終わらせて、観光したいねえ」
「もしかして……お土産系の食品も、ホテルでなら食べられるのでは?」
「一木くん天才! よーし頑張っちゃうぞ!」
『全力だけは出すんとちゃうぞ! ワシ消えてまうがな!』
バスの中も空港同様、ほとんど誰も乗り込むことはなかった。
「どうも……よろしくお願いいたします……」
「失礼。少々お待ちを」
半分以上青ざめた顔をしている男性からトシはくるりと振り返り、一木を見上げる。「見えています」のハンドサインである、眼鏡のツルを指先で二回叩く仕草を見て、トシは無理な作り笑いを浮かべた。
「すみません、何でもないです。あのう……どうも調子が優れないようですけれど、どうも……」
「おおおお願いします本当、本当! 大変なんですよ! このままでは店舗運営の危機です!」
「わ、ちょ、だ、落ち着いてくださいぃ……」
駅からそう遠くないカラオケ店である、然程規模は大きくないが、大都市のベッドタウンであるこの場所には必要な場だ。
「ほ、ほんとに落ち着いて。大丈夫、大丈夫ですよ、僕らこれでもプロですからあ……」
相変わらず人慣れしないトシはいまにも逃げ出したそうに見えたが、店長にガッシリと腕を掴まれてしまっているのでかなわない。
「そうですよ店長さん、ご安心なさってください」
「あのう、立ち話じゃ店長さんも疲れちゃうでしょう? 詳細お聞かせください」
一木と葵とが上手く誘導し、店長は従業員用の控室へと三人を案内した。中で交代待ちをしていたアルバイトの女性がビクッ!と体を震わせてから軽いお辞儀をしたのが印象に残る。
「……彼女も、体験してるんです」
「ご相談メールにあった『怪奇現象』ですか。わたくし共としても興味深い事例なんです。それで……店長さんに是非ともお訊ねしたいのが、このお店より以前の、この土地の利用状況です。わかるだけで構いませんから」
前日の打ち合わせでは、一木はともかくトシも葵も首をかしげるという事例だった。
「ある一部屋だけ、とかではないんだねえ。ランダムに何部屋か、ってことかな」
「勝手に鍵がかかる。悪戯っぽい現象はともかく、毎日ランダムにそれが起こるんじゃあ説明しようにもできないですよねー。鍵も古くなってるワケじゃなし、マスターキー使えば開くわけだし?」
「珍しいのですか」
一木はこういった場面では単純だからこそ奥の方にある問題を引っ張り出す質問をすることが多い。トシも葵も、そろって頭に手を当てた。これだけ見ればどこか家族じみて見えなくもないが、同じクセを持っていただけのようだ。
「珍しいですね。大抵こういうのって、同じ一部屋だけ悪戯されるってのが多いんですよ。何度鍵を変えても悪戯されるー、とか、今回はカラオケ屋さんだから、たとえば、ある一部屋だけマイクに異音が入るってクレームが相次ぐ……とか」
「ほら、前もあったでしょう。きみの社宅。あれも、あの部屋にあのひとがずっといたから、あの部屋だけに何かが起きた。まあ、きみの体質もあったけれども」
以前の家の話が出ると、一木はかなり身構える。サクマは缶の中から彼らの話に耳をそばだてているだけだが、一木の社宅はいつか詳細を訊ねてみるべきだと思っていた。単に一木をからかって遊ぶためである。
「サクマさん並の怨霊ならともかく、そこにしか居られないような、そこまで強くないヤツなんて、せいぜい一部屋くらいにしかちょっかい出せないモンだよ。これはただの経験則だけれども」
「事前に調べただけだと、このお店にめちゃくちゃなレビューがきてたりとかは、ないんですよねー。むしろ普通。地元のひとがよく行くお店ってカンジ? あたしもバスで駅前行くときに見かけてましたけど、あのときはまだ霊感ゼロだったし……」
このようなやり取りの上で、現地に来ていたのだった。
葵がそれなりにアタリをつけて来ていることはトシには想像できていた。が、改めて、知識をしなやかにつけることの重要性に気付かされる。
「この土地の……?」
「はい。前は何があったとか、そういうのだけでも大丈夫。知ってますか?」
葵は意図してこの質問をしたのだが、残念ながら望ましい答えは出なかった。
「す、すみません。知らないんです。ここは20年はやっていますが、その前はかなりの間、空きテナントだった、としか……」
「そうですかあ……」
『ほんなら現物見てみるしかあれへんやろな』
「そうですね……。トシさん、全体的にこう、どうですか」
「う~ん」
トシが先程から部屋の隅をじっと見つめて動かずにいたのを、店長はずっと恐怖に苛まれた表情で見ている。猫か何かだと思い込むことでなんとか正気を保とうとしているのか、しきりに猫サイズの空気を撫でている。
「いやあ、大したことではないんだけれど、高いところに居られるのやだな~と思って。手が届かないんだもん」
「あ、ホントだ。あたしも届かないですね」
「私がトシさんを肩車して届く高さですか?」
「え~いい歳こいて恥ずかしいよ」
サクマは缶の中で「これやから身体があった方が便利やねんなあ……」と思っていたが、言葉にはしなかった。
「脚立……使われますか……?」
「あっそっかあ! お借りします!」
店から借りた脚立。トシは着物の裾を器用にまくっていそいそと足場に乗り、ロッカーの上からこちらを見ていた顔半分をズルッと引っ張り出した。
「ゲ」
「何でしたか?」
「鼻から上だけマン」
「池之下さん、独特の名付けをされますよね」
『素直に言うてええんやで、ネーミングセンスあれへんちゅうてええんやで』
足下の会話に微笑みつつ、トシは「鼻から上だけマン」をぽいと投げ捨てる。そしてそのあたりに手を差し入れ、ガサゴソと探った。
「……なんだろう、これ」
トシの手にあったのは、黄色に塗装された木札らしきものだった。誰もが首をかしげる。今日一日で何度、首をかしげたのかわからなくなるほどだ。
「池ちゃん、これ何かそういうのの道具だったりするかなあ」
「え~、見たことないです!」
「年季が入っていますね。かなり塗装も剥げています」
「そんなものが何故うちの店に……」
再び、全員でそろって首をかしげる。その一瞬の沈黙に、「カチャン」という音が響いた。
「え」
初対面のとき以上に顔面蒼白となった店長がものすごい勢いでドアノブを動かす。鍵は外側からかけるタイプのドアだが、その鍵がかかった状態のようだった。
「うわあああーっ!」
「店長!? えっ嘘、もしかして……!」
ドアの外からバイト女性の声がする。
「マスターキー! 持って来て早く!」
「はいぃ!」
しばらく、ドアの外が騒がしくなる。
「……? おや?」
一木の耳は不思議な音を捉えていた。誰かの声でも、ましてや音楽でもないが、やたらと良く響く音だった。シンプルな、何かが何かに当たって響く音。ただ、まるで無音の環境に鳴ったような反響の仕方だった。
「てっ、てん、店長!?」
「もうだめだ~! 呪われているんだこの店は! 畳むしかない!」
「もう嫌! 業者だって、ようやく見つけたっていうのに!」
「あ、ああ~……ええ~……」
トシのキャパを完全にオーバーした状態だ。おろおろとうろたえるしかできないトシはそそくさと一木という支柱に隠れてしまった。
「僕では対処できないよう……」
「池之下、いっきまーす! はいはい大丈夫! 大丈夫ですからあ! とりあえず落ち着いてくださいよー! ほら! お水飲んで! ね!」
大雑把ではあるが、勝手にドリンクサーバから水を二つ用意し、取り乱す二人に押し付ける。トシは「煙草吸いたいよう」などと泣き言を漏らすばかりだが、一木が相変わらずの体幹で微動だにしないことで離れた場所から店長とバイト女性とが落ち着きを取り戻してゆく様を静観でき、同様に落ち着いていった。
「す、すみません……お見苦しいところを……失礼しました」
「お気持ちわかりますよ。急にこられたらそりゃあびっくりしますよね。で、あの……さっき『ようやく業者見つけた』って、じゃあ、さっきみたいなのって、割と以前からあったんですか?」
「三年くらいずっとですよ! こんなに頻繁になったのは本当最近ですけど……」
「三年もですか。ご不安だったでしょう」
八年を事故物件で暮らした一木にはそれほどの年月にも感じないだろうが、八年を事故物件で暮らした一木だからこそわかちあえる他者の苦しみがある。
「業者さん、探すのとっても大変で。まあ、詐欺の可能性も大いにありますし、慎重になりすぎていたのかもしれませんが……でも、ようやく見つけた業者が、三年待ちだったんですよ……」
「ええーこの状況からまた三年ですか。それはちょっと、いやかなりキツいですよねー……」
一木はこのとき、まだ知り得ぬ「同業者」の存在に驚愕していた。同業他社、つまりは競合会社というものなど存在しないと思って立ち上げた事業だったが故に、現場であるというのに衝撃を受けて硬直していた。
『いつの世も胡散臭いヤツらがようけ湧きよるわ。ケッ!』
「そりゃサクマさんからしたら僕らは天敵みたいなものだよねえ」
『おう小僧、さっき拾うたモン見してみい』
「え? これかい?」
今日は一木のビジネスバッグに詰め込まれていたドロップ缶。一木はテレビショッピングの司会者のように缶を持ち、トシに向ける。トシは缶にかざすように黄色の板を差し出した。
ギ―――……。
一斉に、開いていた個室のドアたちが閉まってゆく。そして、
バタン! ……カチャン!
「あああ……」
「うわちょっと待って店長さーん! バイトさーん! ええッ!? これもう……何!?」
状況把握で精一杯の葵に代わり、一木は気絶してしまった店長とバイト女性ををカウンター裏に静かに寝かせる。
「意識は失っていますが、呼吸は安定しています。命に別状はないでしょう」
「困ったね。ていうか最近は困ってばかりだね。どうも僕だけで手を出すには時間がかかりすぎるものばかり相手にしている気がするよ」
解決それ自体は可能と言っているも同義のトシの言葉だか、臨時休業扱いのカラオケ店はみるみるうちに禍々しい雰囲気に包まれてゆく。
「涼しくなりましたね。エアコンの設定温度も悪戯するものなのでしょうか」
「違うと思うなあ。しかし、そうか。きみでも涼しいと感じるほどなんだね」
「なーんか、そのものが視えないぶん怖さはないですけど、気持ち悪ぅ~い」
ここでもう一度、一木の耳には確かにあの音が届いていた。
「! また……」
「え、何かあったかい」
「お二人とも、いま、何か聞こえませんでしたか。こう……カシャン、って音です」
「え? ええ? 聞こえてませんけど……」
『はあ~なるほどな。わかったわ』
カウンターに安置され、一見すればレジ横の菓子コーナーから取ったばかりのようにも見えるドロップ缶から気怠そうなサクマの声がした。
『若造にしか聞こえへんのはまあ、若造の体質やろ。掃除機みたいに吸いよってからにのう。ほんでのう、小僧、おう、それや。そら報知器やったんやろなァ。呪具でも術具でもあれへんから、小娘が知らんでもしゃあないわな』
「報知器……?」
『こいつでな、音出して、報せんねん。ほな看守が来て、何やて聞くんやわ』
「看守……!? ちょっと待ってくれサクマさん。つまりこれは、本来なら刑務所にあるはずの物ってことなのかい!?」
今度の音は、三人そろって耳に届いた。
カショ……
「あっ……そうだ古地図、見れるかな……!?」
葵は手から落としそうにしながら携帯でとあるウェブページを開いた。ネットは問題なくつながるようだ。登録さえされていれば、現在地の現代地図と古地図とを見開きで閲覧できるというサイトで、学生時代の葵は地誌学の講義で大いに利用したものだった。
「もし、サクマさんの言ってることと、あたしが考えてることが同じなら……」
『八割そうやろなあ』
「池ちゃん、これ、どう見るんだい」
「……」
下図のプルダウンで地理院地図を選択し、葵は缶に向かって問いかける。
「それが使われてたのって、いつ頃?」
『ワシが最後に見たんはほんまに最近やったで? ちゅうてもその建物自体は明治に建ったやつやけどな』
「……ウワァ」
カショ……
音は幾つか重なって聞こえてくる。廊下に列を為すルームすべてに報知器がついていると思えるような重なり具合だ。夏の道端で干からびたミミズを見かけたときのような声を出して以降すっかり黙ってしまった葵に、一木は無邪気にすら思える問いかけをする。
「これって、何の地図記号なんですか? 私も詳しいわけではありませんが、現代では見ない記号ではありませんかね」
「監獄」
三人分の沈黙に響き渡る報知音。
「……何を伝えたいんだろうねえ」
『おう、小僧、ワシを出せ』
「え」
缶の中で、きっとサクマは不気味なほど自信に満ちた顔をしているだろう。そんな声だ。戸惑う三人に対し、自信満々なままのサクマの声が続く。
『安心せえどこにも行かんわ。も少しおまえらの世話見たらなアカンやろからな。今回はワシが出た方がはよ片が付くっちゅうだけや』
「ト、トシさあん……」
いままで見せたことのないほど冷ややかな目をしたトシ。若人二人は唖然としていたが、トシはすぐにいつもの苦笑いに戻った。が、言葉の端々にはやはりどこか、少なからん因縁を仄めかすものがある。
「仕方ないな。まあ、きみくらいならすぐに捕まえられるし、羽を伸ばしたら?」
『ハ……いつか絶対後悔さしたるわ』
マスキングテープを外し、ドロップ缶の蓋は久々に開かれた。黒の中にちらほらと赤みの混じった煙が細く立ちのぼる。
「小僧は大物故……後回しで良かろうなァ。応、応よ、たかが百年そこいらの虫けらが……儂の前で飛びおってのう」
黒煙に紛れ込む赤い筋。トシの手の中で異彩を放つ黄色の板が、小さくヒビ割れる。
「え、あれえ……?」
葵は確かに自信家だが、いまばかりはこの自信からくる直感に外れていてほしかった。
な、なんかサクマさん、封印前よりパワーアップしてない?
「やっぱり……大人しくしてると思ったら、さては少しずつつまみ食いしてたな?」
「腹もろくに膨れぬ低級ごときに手こずりおってのう。どれ、若造と小娘にも、儂のちょっとした権能でも見せてやるとするか。フハ、なあに大したわけはあるまい。多少は儂の存在にも慣れた頃合いであろう、ここいらで儂のナリでも軽うく、のう、見てゆけい」
黒煙の中のどこからともなく声がしている。一木はとっくに、自分の理解の範疇を超えた現象と位置付けて、赤い筋を目で追うなどしていたし、葵もあまりに予想から外れた規模が故に、大きな目を更に大きくさせていることしかできずにいる。
黒煙は火事現場様に立ちこめて、赤い筋は血管のように蠢いている。
「儂相手につまらん騒ぎの相手をさせおって、のう。良い、好い。うぬの、蟻が如き小さき恨みならば、儂が食ろうてやるからのう」
木札のヒビ割れはどんどん激しくなってゆく。一寸先も見えぬほどの黒煙の中、巨大な何かの影が現れた。
「わあ、久々に見たよ」
トシだけが、何も変わらぬままで立っている。一木でさえもトシの袖口を小さくつまんでいるし、そんな一木の大きな背に隠れながら葵も縮こまっている。
「ミストを和ホラーにしちゃヤバいって……!」
「池之下さん思ってるより通常運転でいらっしゃいますね、私はなぜか、かつてない体調不良を訴えています」
「もうサクマさんってば、少しやりすぎだよ。一木くんに倒れられたら困るよ、誰が運べると思ってるの」
「ほな……しゃあないな、土蜘蛛はやめたるわ」
非常に残念そうな声音で、巨大な影は人影に変わった。黒髪に金の瞳のトシの写し姿が現れる。ただ、トシが絶対にしないであろう下卑た笑い方をするので、誰にでもこれがサクマであることがわかる。
「おお、いまにも死にそやな若造。おまえそないに酷いんか」
「未知数だよね。まあだから、さっさと終わらせておくれよ」
「ダボカス! もう終わったわ!」
黒煙は急速に引き始め、サクマに吸い込まれてゆく。木札は粉々に砕けてしまっていた。
「何したの?」
「取り込んだ」
「掃除機みたいだね!」
「こンの小娘!」
葵に掴みかかろうとするも、トシから無言の圧力を食らったため、やめる。
「手っ取り早いやろ。ワシは怨霊なわけやし、恨み辛みの怨念は全部ワシの食いモンになるんやわ。もうここにゃなあ~んもおらん」
「す、すみません」
普段からは考えられないほど見るからに不調そうな一木が手を挙げる。
「お……終わった、の、でしたら、すみません、早く出ませんか」
「あ、ごめんごめん。きみにはサクマさんの気配はかなり毒だよね」
「これでも全開にゃ程遠いで! ダハハハ」
「いや……どうでも良いからさっさと戻ってよ」
自分の生き写し同然の姿だろうと気にならないらしい。トシは大きな手でサクマの頭を掴むと缶の小さな口へ押し込む。
「いだだだだ!! あにすんねんおっま、小僧! オイ小僧ほんまええ加減にせえよ!」
手足をバタつかせるものの、どういう原理かトシの力の方が強い。
「おう! これでものう、大が付くような怨霊様やねんど! もっと丁重に扱わんかい!」
それだけ言い残す形で、サクマは再びドロップ缶の中へと収容された。途端に一木は体調不良が引いてゆくのを感じていた。
「俺は一体どんな体質を……」
「う、うう~ん……」
「あ、店長さん! バイトさん!」
状況説明のために一木と葵は二人のもとへと駆け寄ってゆく。残されたトシは缶にもう一度テープを貼り付けてそれを見ていた。
「しかしねサクマさん、一木くんの体質はちょっとばかしきみとは相性が悪いようだね。まだ全貌が見えているわけではないけれども、なんだかいろいろと要因があるように思えてならないよ」
『なんや、そういうんはスパッとわかったりせえへんもんかえ』
「僕はきちんと学んだわけではないし。いまさらすぎるねえ、彼らのために、もっときちんとした道を行くべきだったと思うなんて」
『生きとると面倒やなァ。まあ……ワシが別に、若造に何もしとらんのはわかっとるやろ? そやからいろいろ考えとんねやろ』
「うーん、困ったな」
トシが呟くと、二人は同じタイミングで振り返る。そして、
「どうかしました?」
「あ……ううん。何もないよ。ああ……ええと、アフターケアも必要ないほど、スッキリ空間に仕上がってますよ、どうかご安心を」
『掃除機やら空気清浄機みたいに言われたりやらワシそろそろ扱いなんとかしてもらえへんかな』
三人にしか聞こえないサクマのボヤきは相変わらず無視され、三人はホテルへと向かうバスに乗り込む。
「サクマさんが出しゃばってくれたから早く終わったねえ」
『出しゃばるて何や! 協力した言うんやああいうんは!』
正論だがそれも無視される。
「とても空腹です……池之下さん、おすすめのお土産はありますか?」
「えーっとね、んーっとね、あ、あれ! あれすっごく美味しかったですよ!」
「わあ知らないケーキだあ」
二部屋に分けて借りたうちの男部屋で、四つに切り分けたケーキを人間三人が目を輝かせて食べるさまを、怨霊は缶の中からどんな表情で見ているのか、知る者は誰もいない。
続
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