第2章 チトセとシュゼット

第12話 朝が来たね

「おはようございまーす」


 ヴォロンテでは周囲からしっかり者扱いされていたチトセだが、彼にだって苦手なことはある。


「ホクラニさーん、朝ですよお」


 例えば、朝自分で起きることとか。


「ホクラニさん、ホクラニさん」


 甘い飴細工の声に意識だけ起こされ、反射的にチトセは毛布を頭までかぶった。


「あらあら、起きて欲しいのだけれど。朝よ、ホクラニさん」

「あの、どうしてフローレスさんが起こしに来たの……?」


 いろいろ言いたいことはあったがとりあえず当たり前の疑問を口にすると、うふふと軽やかに笑う声がした。


「今まで――実はホクラニさんが眠っているあいだも、ずっと朝になるたび起こしに来ていたのよ」

「…………」

「意識が戻って来てくれた時は本当に嬉しかったわ」


 思いがけない新事実にチトセが小さく息を呑むと、その隙に毛布が引っ剥がされた。至近しきん距離からシュゼットが見下ろしているのを見て、うわっと声が出る。あとなんか分からないけど甘い香りがした。


「あと五分だけで良いから寝かせてよお」


 寝坊の常習犯ならよく言う台詞を発しながら、チトセはベッドの上に体を丸める。放っておいたら昼まで寝ていそうだ。


「はは。チトセはほんと往生際おうじょうぎわが悪いな」

「シュゼットさんごめんね、この子を起こすの大変でしょう?」


 両親の楽しそうな声が聞こえて一瞬だけはっとするけど。すぐにまたまぶたが重くなる。


「しょうがないわねー」


 なぜかぽけーっとした調子でそんな言葉が聞こえて、次の瞬間チトセは背中を思いっきりくすぐられた。


「ちょ、こちょこちょ止めて、いろいろおかしくなりそう」

「何がおかしくなるの?」

「いろいろと!」


 主に知り合って間もない女の子に朝からくすぐられているというのが、おかしくなりそうな原因である。


 そして、まあ、いろいろあって。


「おはよう、ホクラニさん」

「……おはようございます」


 約数分の必死の攻防を経て。いろいろ限界に達して起きたチトセは、お日様みたいにぴかぴかの笑顔のシュゼットと朝のご挨拶を交わした。微笑ましげに子ども二人を見守っていたヒサシとミスズともおはようと言い合って、ベッドから降りる。


「朝のお散歩しましょうホクラニさん」

「どこを散歩するの? 外は出られないよね」


 特に鍵でもかけられているわけでも無いのだが、火災などの緊急時以外はフロアを出ないようにと言われている。

 どのみち今日は一日雨らしい。窓の外には灰色の雲が敷き詰められた大空が広がり、窓ガラスには無数の水滴が今も増えている。


「廊下を端から端までぐるぐるするのよ」

「それって散歩に入るのかなあ……?」


 言われるまま廊下に引きずり出されてしまい、チトセはシュゼットと意外と広い廊下を歩き回った。


「ここには自動販売機があるわ」

「すごい、商品にチョコバーやポテチもあるじゃん」


「こっちは職員ルーム、こっちが医務室よ」

「ここの建物って全部医療センターだよね。その中に医務室って言い方おかしい気がするけど」

「そう言われてみればそうねえ」


「そういえば、君は何歳なの?」

「あなたと同じ十歳よ」

「じゃ、ぼくとおんなじ初等学校五年生?」

「わたしもアルコバレーノ王国出身だったら、そうなっていたわね」


 フロアの案内に他愛ない雑談を交えつつ、廊下を行ったり来たりする。

 現在このフロアの患者はチトセしかいないとのことだ。どのみちシュゼットや職員がいるから、話し相手には困らない。

 同い年で友好的に接してくれる者がいるということで、これからの生活に緊張していたチトセの気持ちがほぐれていた。


「朝ご飯ね」


 朝食の時間に合わせて、チトセは自室へシュゼットは職員ルームへ行く。ピザトーストに黄身がぷっくりした目玉焼きを食べて、食後の緑茶を飲んでいると、あっという間に両親がヴォロンテに帰る時間になった。


 途端、寂しさが胸に押し寄せてくる。

 だめだ、心配させてはいけない。ヒサシは騎士団、ミスズはアパレル店の仕事があるし、いつまでも家にナユタを一人ぼっちというわけにはいけないのだ。


「じゃあ、シュゼットさんと仲良くね。何かあったら連絡してくれて良いからね」

「うん」

「まあ、そんなにしないうちにまた来るからな。……ヴォロンテのことは気になるだろうけど、自分のことは責めないで良いからな」

「うん」

 

 ミスズがシュゼットによろしくねと会釈すると、シュゼットもうやうやしくお辞儀で返した。


「シュゼット・フローレスさん。。僕たちにできることがあればチトセの父としても、アルコバレーノ王国騎士としても協力する。なんでも言ってくれ」

「そんな……とんでもないです」

「良いのよ。特にあなたは、私たちの息子を助けてくれた恩人なんだもの」


 ――どういう話をしてるんだろう。


 チトセにはよく分からない会話をシュゼットと両親がしてすぐ、エレベーターが到着した。


 昨日は独りで両親に振った手を、今日はシュゼットと一緒に振り続けた。


「……寂しい?」シュゼットがエレベーターを見つめたまま言う。

「うん」


 答えながら、そういえばシュゼットの両親はどうしているのだろうかとふと気になった。

 シュゼットの在住と同じセント・グラシエラ王国にいるのか、それともその周辺諸国にいるのか。兄弟姉妹や親戚は? シュゼットは巫女として聖堂という場所でくらしているらしいが、年に何度かは実家に帰ることもあるだろうし。


 きっと優しいシュゼットのご家族なのだから素敵な人たちなのだろうと予想して。チトセはなんとなしに。


「フローレスさんのご家族はどうしているの?」


 尋ねてみたその答えは。


「んー、わたしはね」


 その、答えは。


「わたし、自分の家族に会ったことがないの」

「えっ?」

「お母さんの顔も名前も、住所や年齢も知らないし」


 斜め上から隕石いんせきが落ちてきたかのような衝撃に、チトセはぶわっと鳥肌が立つのを感じた。


「それって……どういうこと、なの?」


 驚いて空色の目を見開くチトセに対し、小柄な少女は首を傾げる。


「やっぱりわたしたち、普通じゃないのね」


 独り言のようにそう呟くと。


「ホクラニさん、これからお話できるかしら?」

「できるけど……」

「わたしのこと知ってもらったほうが良いかと思って」

「君はぼくにそういうことを話して平気なの?」

「ええ、もちろんよ」


 片目をつむってウインクするシュゼットを前に、チトセも「分かった、聞かせて」とうなずいた。

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