第13話 彼女の事情
何か飲みながら話そうということになり、チトセとシュゼットは自販機のコーナーに来た。
子どもでも手が届くよう、低い位置に設定された商品ボタンが赤色から緑色、その次は青色と誘うように色を変えながら点滅している。
「ホクラニさんは何が飲みたい?」
「えーっと。ホットココアがいいな」
そろそろ冷たい飲み物が美味しくなる季節であるが、温かく甘いものを欲する気分だった。
通常六月にもなると自販機でホットドリンクは扱わなくなる。ここは特別なのか紅茶やカフェラテのホット、果てにお
アイスドリンクのほうもミネラルウォーター、お茶類にジュースにコーラ、メロンソーダとよりどりみどりだ。
「じゃ、わたしも同じのにしようっと」
言って、ボタンのひとつに手を伸ばすシュゼットの声は至って落ち着いている。もともと
――家族の顔を知らないだなんて。
このどこか大人びた落ち着きも、家族という存在が不在であることによって形成されたものなのだろうか。
悪い噂が絶えないセント・グラシエラ王国出身の巫女、という時点で彼女の経歴が良くないほうに特殊であろうことは十歳のチトセでも読める。
でもチトセの身の回りに今まで家族のない子どもが現れなかった以上、シュゼットという少女の事情にどう反応すればいいのか分からない。こちらから下手なことを言って嫌な気持ちにさせたくなかった。
――孤児、なのかな。
物心つく前に親を亡くし、聖堂に預けられたという可能性も考えられた。どのみちチトセがいくら頭をこねくり回したところで、推測の
ココアの缶をシュゼットに手渡されると、主張の強い温かみがチトセの手のひらいっぱいに広がった。
「ココア、美味しいわよね」
「うん、ぼく大好き」思考の沼から意識を引き戻され、チトセは口元だけで笑った。
「わたしメモリアに来て、初めてココアを飲んだの」
「そうだったんだ」
「セント・グラシエラは、基本合成食料を食べるからね」
合成食料。人工的に栄養素等をかけ合わせて作り出された完全なる人工食品だ。
栄養バランスに考慮され、賞味期限が数年単位で長持ちするため主に非常用食料として使われる。化学を感じさせる味のせいか、アルコバレーノ国民のあいだでは持ちが多少悪くても乾パンやカップ麺とかのほうが好まれているけれど。
チトセも初等学校の防災学習で数回食べたことがある。妙に塩っぽい味がして、あんまり美味しくないし食べたくないなというのが率直な感想だった。
「生まれてからずっと、合成食料だったの?」
「ええ。メモリアに来たらご飯が美味しくてびっくりしたもの」
ココアの缶片手に、少年と少女二人並んで歩く。
医療機関特有のしんとした静けさと、つんとした消毒のにおいが薄く漂う廊下。
部屋と同じく壁も床も一辺倒なしろいろ。
二人ぶんのこつ、こつ、というスリッパの足音。
「一応聖堂の外には、お肉やお野菜の味の合成食料もあったらしいのだけれど。わたしたちには白い塊ばかり出されていたわ、涙みたいにしょっぱい味がしてた。それをナイフとフォークで切り分けていただいたの」
こつ、こつ、こつ。
「メモリアで初めて紅茶を飲んだりパンやお米を食べて、感動しちゃったなあ。聖堂には、一生一度も合成じゃない食べ物を食べられない人も多いから……」
こつ、こつ、こつ、こつ、こつ。
シュゼットの食事情を聞いたチトセは何も言えなくなってしまった。
ある程度までなら異国での常識として受け入れられたかもしれないが、世界には一度もまともな味の食べ物が口に入らない人生を送っている人がいるという現実はだいぶ信じがたかった。
部屋に戻り、真っ白なテーブルセットに向かい合わせて座る。同時にココアの缶を開けると、シュゼットが唇を引き結んでから、真面目な顔で口を開く。
「――どこから話せばいいかしら」
いつも通りの飴細工の声。だが桜色の
チトセは目の前の女の子について詳しく知りたい好奇心と、あまり踏み込んではいけない類の話題ではないかという罪悪の両方に駆られた。
「ご家族のこと、本当に何も知らないの?」
「本当よ。正確には『フローレス』は親の姓だし、『シュゼット』も親がつけてくれた名前らしいのだけど。あとはなんにも知らないの」
「どうしてそんなことに」
「わたしは出生前診断で巫女だとわかっていたから。セント・グラシエラの王国憲法では、巫女や神官みたく神族とつながっている者をはじめ、強い魔力の持ち主は基本軍に入隊するか外の世界と切り離されて生活することが定められているのね」
「…………っ」
チトセは黙って相づちを打った。ラウレア大陸でも賛否激しい出生前診断だが、そこまで惨い使い方があるのかと子どもながらに戦慄する。
「君は、聖堂の外に出たことは……?」
「メモリアに来たのが、初めてのお出かけね」
チトセは頬を張られたような衝撃を受けた。
外に出たことがなかったなんて。生まれる前に運命を決められてしまったなんて。
痛みを
「わたしたち巫女や神官は、異端だから」
きっぱりと、糸をはさみで断ち切るように言い切って。シュゼットは淡々と話を続ける。
「わたしのお母さんはね、わたしを聖堂で産んで、そのままどこかに行っちゃったの」
今までたまにテレビ越しで見かける程度の、アタラクシアが抱える闇の部分のリアル。
「巫女も神官も神様と繋がってるから、そうでない人たちから見れば怖いみたい。反逆でもされたらひとたまりもないし、だからなのよ」
「だからって、酷いよ」
怒りでひび割れた声が、チトセの唇から飛び出した。シュゼットが目を大きく見開く。
「酷いの、かしら」
「酷いよ。不味いものしか食べさせないとか、ずっと閉じ込められたままなんて」
唇からするすると、シュゼットの境遇に対する非難が流れ出していく。
――何様のつもりで。
どんなお偉方が決めたのか知ったこっちゃないが、セント・グラシエラに対して言ってやりたいことがたくさんたくさん溢れてくる。
「人類種至上主義とか言っておいて、人類種さえ大切にできてないじゃないかっ」
シュゼットはチトセの静かな怒りに驚きながらも。
「……そう。そうなのね」
いたたまれないように顔を伏せる。
「ごめんなさいね。わたしにとっては普通のことだったから。……むしろ聖堂で生きるぶんには、生活には一生困らないからいいかしらなんて思っていたくらいなのよ」
彼女の瞳は今、星のない夜のように昏く虚ろだった。
「……フローレスさんは、本当はどう思ってるの?」
甘いココアで喉を湿らせ、チトセはあえて涼やかに言った。あまり暗い空気を持続させたくはない。シュゼットの瞳からひかりが消えるのをずっと見ていたくはなかった。
「…………」
「本当のこと、教えて。ここはアルコバレーノ王国だから。何言っても大丈夫だよ」
互いの吐息の音と、降り続く雨の音しか聞こえない沈黙が続いてから。
「わたしだって、セント・グラシエラのことはおかしいと思っているわ」
膝の上で重ねた両手を震わせて。シュゼットの本音が白い部屋に響いた。
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