第10話 ぼくなんか

 それからヒサシとミスズは、ベンジャミンに付き添われてメモリアの行政を司るメモリア行政庁へ向かうことになった。

 行政庁では各種手続きや詳細説明他、メモリアの街の様子を見るためだという。


 まだ一時的滞在室のあるフロアからも一歩も出られないチトセは、名残惜しくもいったん二人を見送る。


「それじゃ、シュゼットさんと仲良くね。チトセ、あの子のこと気になってるみたいだから」


 ミスズの言葉にどきりとしながらも、チトセはこくこくとうなずく。シュゼットは巫女実習生として、チトセと共に過ごすことが説明されていた。

 今までもシュゼットはこのフロアにいたとのことだが、本格的な同世代との交流はチトセが初らしい。


 シュゼットと一緒にいられるのは嬉しいことだが、それと家族と離れて生活する不安感はまた別だ。チトセの胸の奥に、なまりを呑み込んだような重苦しい感覚がある。


 ――ここでは良い子でいなきゃ。父さんと母さんが心配しないようにしなきゃ。


「じゃあ、またあとで来るからね」「ちょっとだけ待っててな」


 両親を乗せたエレベーターの扉が閉まっても、しばらくチトセは小さく手を振り続けていた。

 手を振りながら、ちょっと泣いた。


「ホクラニさん」


 飴細工の声に呼ばれて振り向くと、どこか案じるような顔をこちらに向けているのはシュゼットだ。


「ご両親、街のほうへ行ったの?」

「うん、行政庁ってところに行って、また戻って来るって」


 行政庁での各種お手続きにはある程度時間がかかるだろう。でも今夜だけは、またチトセの元に来てくれる。


 でも。


 明日両親が帰ってしまって、次会えるのはいつ? 明後日? 来週? それとも耐えきれないくらいずっと先? 


 込み上げてくる気持ちを、チトセは必死にせき止めた。

 表向きはなんでもないようなふりをして、シュゼットに笑いかけまでする。


「大丈夫、寂しくなんてないよ」

「ほんとうに?」


 少女の大きな瞳にじっと見つめられ、チトセの視線が右へ左へと揺れ動く。


「ここに来る子たちはね……、みんな『大丈夫だよ』って言うの」

「そうなの?」

「そう。でも部屋で一人ぼっちになると、みんな泣いているのね」


「………………ぼくは、泣けたよ」


 チトセは泣いた。シュゼットの前で、両親の前で。つい今だって、物言わぬエレベーターの閉じた扉の前で。


「それでも、今でも寂しいのは変わらないんじゃないかしら?」

「それは……」


 チトセは両拳をぎゅっと握りしめた。


「ホクラニさんの本当の気持ちは、どう?」


 途端にのどの奥を、つんとした感覚が滑り落ちた。尻尾がだらんと下がる。胸は詰まったままで、じわじわと『寂しい』感覚がチトセの全身に広がっていく。


 このままだとまた泣いてしまう。まさにそう思った時、感情の塊が破裂した。

 鼻の奥がずんと痛む。喉がしゃくり上がっておかしな音が口から出る。流しすぎて枯れたはずの涙が、またしてもとめどなく流れていき。


「うっ、うぅ……うぅっ」


 ふたをしていた想いも、涙と共にあふれ出る。


「かえりたいよ……」


 本当は家に、帰りたかった。


「かえりたいよぉ……っ!」


 家族のいる家に、帰りたかった。魔力の暴走とかそっちのけで、自分が大好きな場所に行きたかった。でも、できない。


 魔法回路の損傷、町の損害。十歳の少年が負うにはあまりに重すぎて。


「ぼく、どうすることもできない……っ! あんなに酷いことしておいて、ただ生きていることしかできないっ! それもたくさん、たくさんの人たちに迷惑かけて、こうやって良くしてもらう必要なんて、ぼくにはないんだよぉ……!」


「…………」


「こんなことなら、ぼくなんか、ぼくなんか」

「ホクラニさん……」


「雪に埋まって消えてしまえば良かったんだぁっ!」


 キエテシマエバ、ヨカッタンダ


 チトセの口から放たれた言の葉の弾丸に打ち抜かれて、シュゼットがその場に硬直する。


 残酷なことに、それが彼の本心だった。


 消えたいというのはいけないことだ、周りを悲しませることだ。チトセもそれくらい分かっている。


 それでも究極まで追い詰められてしまった人間は、人生という地獄から抜け出すために『死』に向かって手を伸ばす。そうすることでしか生きていけないという矛盾を抱えた人すらこの社会には、この世界には存在するだろう。


 悲しいことに、今生きているすべての命が生き続けることを望んでいるわけではない。何らかの生きる上での苦しみを抱えたまま、文字通りすべてを放棄してしまう人だっている。


 わあわあ大声を上げて泣くチトセと、呆然としたシュゼットに気づいて職員である大人たちが数人駆け寄ってくる。


 辛いね、お部屋に戻って休もうねと優しい声で言われ、チトセは手を引かれて個室へと連れて行かれる。


「ぼくなんか、ぼくなんかっ」


 生きる価値なんてないんだと泣き喚く少年の狐耳に、後ろからおろおろとシュゼットの声が入り込んできた。



「さっきはセント・グラシエラから来たわたしのこと、かばってくれてありがとう。あのね、セレスティアさまもおっしゃってたと思うのだけど……わたしはホクラニさんに生きていて欲しいと、心からそう思っているわ」





 自室のベッドの上でも泣き疲れてしまって。チトセは気がついたらぐっすりと眠っていた。


『生きていて欲しいと、心からそう思っているわ』



 シュゼットに投げかけられた言葉が、知らぬ間に温かく心に染みこんでいった。

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