第9話 嫌いにならないで
「あの、歌巫女って……なあに?」
チトセが尋ねると、シュゼットは淡く笑んで答えた。
「神族から力の一部を預けられた人たちのことよ。女性が巫女で、男の人だったら神官と呼ぶの」
「じゃあ君は、セレスティア様から力を頂いているの?」
「そう、歌を通じて神通力を使うから、歌巫女というの」
では雪の中聞いた綺麗な歌も、神通力の一種ということなのだろうか。
なんだかすごい話だなと思っていると。
「あなたはその、巫女の実習生ということ?」
頭の上に疑問符を浮かべながらミスズが訊く。
「はい。わたしの母国では巫女や神官は国外での実習を経て、一人前と認められるんです」
飴細工の声で答えるシュゼットに、ヒサシがピンと来たようだ。
「もしかして君は、セント・グラシエラから来たのかい? あの国家は巫女や神官の扱いが特殊だと聞いたことがある。なんでも聖堂と呼ばれる機関で生活するとか」
――セント・グラシエラだって?
チトセは鋭く息を吞んだ。
「そうです。……やはり他の国には、聖堂のような場所はないのですね」
「アルコバレーノでは……というか多くの地域国家では、神通力を授けられた人間でも、アテンドという護衛兼世話役を付ける以外は普通の人と変わらずに生活するからね」
「父さん、フローレスさんは普通の歌巫女じゃないの?」チトセは疑問を述べた。
「まあ我々からすると、だな」ヒサシは口ごもった。
「そうなのですね……。すみません、わたしの国は色々と変わっているものですから」
居づらそうに肩を縮こませるシュゼットに、チトセも
セント・グラシエラ王国は人類種至上主義だったり軍国主義だったりと、他国からすれば非常識どころか非人道とまで思える部分が多い国だ。
巫女のことも知らず、また世界にはどんな国があるのかをあまりわかっていないチトセですら、
自分がそんな国から来たと周囲に知られれば。気まずいどころの感情ではすまないだろうなとチトセは考える。
例えばシュゼットの場合で言えば周りから『シュゼット・フローレスという少女』ではなく、『セント・グラシエラ王国とかいうとんでもない国から来た少女』として見られることになってしまう。
そうなれば人の見る目は厳しくなってしまうだろう。特にチトセとその両親は妖精種だ、差別に遭いかねないと警戒してしまうとしても致し方なかった。
でも、それで良いのだろうか?
シュゼットは魔力を暴走させたチトセを歌で助けてくれた。一緒に泣いて背中をさすってくれた。そんな優しい少女に『あの国の子だから』と厳しい視線を浴びせることは、それこそ差別ではないか。
――嫌いにならないで。
チトセは祈っていた。
――嫌いにならないで。
両親がシュゼットを嫌わないよう、心で何度も繰り返し祈った。
――嫌いにならないで。
「んー。そうか、セント・グラシエラから……」
「なるほどねえ」
――嫌いにならないで。嫌いにならないで。嫌いにならないで。
「じゃあ、雪女と会うのは私が初めてになるのかしら?」
数秒の沈黙を経て、ミスズが口火を切った。チトセの祈りが中断される。母の口調は柔らかだった。
「雪女、なのですね」シュゼットは目をぱちくりとさせた。
「ええ、ここに来てから他種族について勉強はしているので名前は知っています。こうして実際にお会いするのは初めてです」
雪女は主に雪国に住まう妖精種だ。
寒さに強く暑さに弱い。さすがに暑くても溶けたりはしない。雪や氷、冷却にまつわる魔法を得意としている種族だ。『雪女』の名の通り女性体しか存在しないので、雪女の異性愛者が恋愛・婚姻する相手は必然的に異種族の男性となる。
容姿は揃って白銀の髪に白肌、銀色の瞳。皆冬の景色に溶け込みそうな儚げな雰囲気を
「こういっては何だけど……、あなたは私たちを見ても物怖じしないのね」
「うーん、そうですね。わたしは聖堂からあまり出たことがなくて……わたしたち巫女も母国ではなんというか、変わり者扱いなんです。だから異種族の方を下手に差別できない立場にあるといいますか……」
シュゼットたち巫女もまた、彼の国では差別される側だということだろうか。
思った以上に闇が深そうな予感に、チトセは身を震わせる。
「いえ、こちらこそ変なこと言ってごめんなさいね。本当は国籍で人を判断してはいけないのだけれど、つい」
「そんな、元はといえばわたしたちの国の在り方が原因ですし」
悲しく笑んで下を向くシュゼットに、ミスズもチトセもそれ以上何も言えなくなってしまった。
「フローレスさんは、歌でぼくの暴走を止めてくれたんだ」
氷菓子のように涼やかに言ったのは、チトセだった。
ヒサシとミスズがちょっと驚いたように息子の方を見る。
「とっても綺麗な歌だった。ここで目が覚めてからも、フローレスさんは優しくしてくれたんだ」
嘘偽りない無垢な真実が、少年の口を通して語られる。
――伝えなきゃ。ぼくがしてもらったことを。
言い終えてチトセは、肩に力が入っているのを感じる。ここで黙っていては両親とも、シュゼットを『訳ありの妙な少女』として認識してしまうかもしれなかった。
「そうだったの」「そうか」
両親が揃ってうなずいた。顔を見合わせてうなずき合ってから、ヒサシが口を開く。
「……セント・グラシエラの国民すべてが排他的な考えでいると決めつけるのも、また差別になってしまうな。チトセもこう言っていることだし、フローレスさんに関しては大丈夫だと思おう」
ヒサシが前半は淡々と、後半は朗々と言うとチトセはようやく肩の力が抜けた。
――守れた。
チトセが感慨にふけっていると、ミスズがシュゼットに声を掛ける。
「シュゼットさん、と呼んでいいかしら」
「は、はいっ」
「私はミスズ・ホクラニ。チトセの母です。チトセを助けてくれて、ありがとう。これからよろしくね」
ミスズの顔には、淡雪のように優しい笑みが広がっている。シュゼットを信用すると決めてくれたのだ。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします!」
ヒサシも、見守っていたベンジャミンも微笑んでいる。
チトセは心から良かったと思った。
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