追記

 田上英司について記しておかなければなるまい。結論から言うと、赤路陽菜殺害を疑われた彼は起訴されなかった。


 英司が病院へ搬送されたその日に、植物人間状態だった兄の優一が意識を取り戻した。

 自分が眠っていた間のことを聞かされた優一は、それまで黙秘していた陽菜の事件について刑事に話したそうだ。翠を暴走させてしまったことに責任を感じたのだろう。

 優一の証言は翠のものと一致した。それ故に警察は、英司を陽菜殺害犯としてマークした。

 しかし当の英司は何も覚えていなかったのだ。十年前のことも、今年翠に殺されかけ、逆に彼女の首に手をかけたことも。


 またも英司は忘れてしまった。自分の心を守る為に、つらい記憶の全てを。


 物的証拠が無く、精神鑑定で精神喪失の診断が下される可能性が高いことから、検察側は起訴を断念した。

 翠の殺人未遂の件も、被害届けを出す者が居なかったので流された。

 しかし人の口に戸は立てられぬものだ。何処から話が漏れたのか、加賀見の住人は事件の顚末てんまつを知ることとなった。

 英司は彼の大学の在る街へ戻された。

 地域の人々からの非難に耐えられなかった彼の両親もまた、家を残して別の土地へ引っ越して行った。

 彼らが再び加賀見の地を踏むことは無いだろう。


 だが退院した長男の優一は独り、加賀見の地に留まった。好奇の目に晒されながらも、家族が居なくなった家で生活している。

 坂本は言う。優一はきっと、遠い地で静養している翠を待っているのだと。


 陽菜の霊の行方は知らない。そもそも幽霊の存在自体が不確かなものなのだ。体験していた間は紛れも無い現実だったが、終わった今となっては夢を見ていたような気分だ。

 それでも私は願わずにいられない。陽菜の魂が救われ、彼女の両親が安寧を取り戻すことを。


 事件に関わった人達の心に平穏が一日も早く訪れるように、この加賀見の土地から私は祈り続ける。


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村長奇譚 ~夏祭りの惨劇と少女の亡霊~ 水無月礼人 @minadukireito

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