62話 とおりゃんせ・高橋とホノカの場合 前編

「ホノカー! 早くしてー! 行っちゃうよ~!」

「まってよ~、おねえちゃん!」


 玄関から聞こえるフウカの声。

 ホノカはバタバタと部屋を駆け回り、急いで準備を進める。

 教科書類をカバンに詰め、いらないものを床に投げ。クラスメイトと見せ合う下敷きを吟味して。鏡で自分の立ち姿を確認して、よし。


「行ってきまーす!」


 ホノカは元気よくあいさつして、家を出た。


「フーンフフーン♪フフフーン♪」


 通学路を、姉妹並んで歩く。

 ホノカは鼻歌を歌いながら、運動着の入った巾着袋をブンブンと振った。


「ずいぶんご機嫌だね。何かあったの?」

「んーとね、今日の体育は、1時間ずーっとドッジボールなの! すっごくたのしみ!」

「えーいいなぁ! こっちなんて保健体育だよ!? つまんなすぎ」

「ほけんたいく? なにそれ」

「体育って名前がついてるのに、普通の授業と同じで座ってなきゃいけないやつ」

「うへー! それ、やだね!」


 ありきたりな話をしながら、一直線の道を行く。毎日のことだったが、お姉ちゃん大好きなホノカにとっては、とても幸せな時間だった。


「あれ?」


 突然、辺りが暗くなる。

 隣を見ると、フウカの姿はなかった。


「おねえちゃん? おねえちゃーーん!」


 大声で姉を呼びながら、走り出すホノカ。

 ぐにゃ……ぐにゃり。

 前に進むほど、景色が歪んでいく。


「……カちゃん、ホノカちゃん」


 誰かが、呼んでいる。

 だんだんと、近づいてきている。

 ……怖い。ホノカの目に、涙がにじみ出す。

 うまく走れない。

 逃げられない。

 つかまる。


「たすけて、おねえちゃああああん!!」


「ホノカちゃん!!」


 視界に、高橋の姿が映る。

 高橋は、心配そうにホノカを覗き込んでいた。


「よかったぁ……」


 ホノカが目を覚ましたのを見ると、高橋は安心した様子でホッと息を吐いた。


「起きたら知らない場所にいたと思ったら、隣でホノカちゃんがうなされているんだもの。心配だったよ。こわい夢でも見たのかい?」


「うん……」


 頷いて、ホノカはきょろきょろと辺りを見渡した。

 石畳の地面。

 規則的に並べられた両端の灯籠。

 聞こえてくる「とおりゃんせ」の歌。

 この世とは思えない風景だった。


「ここはどこ?」


「ごめんね。せんせいも分からないんだ」


 高橋は申し訳なさそうに目を伏せた。


「でも、たぶんゲームのステージなんだろうね。ヤツは、「次のゲームはとおりゃんせだ」って言ってたから」


 高橋の言葉どおり、どこからか絶えず「とおりゃんせ」が聞こえてくる。

 その歌声はとても不気味で、幼いホノカを怯えさせるには十分だった。

 ホノカはぎゅっと高橋にしがみつくと、顔をうずめた。


「こわい……」


 高橋は、驚いたように目を見開いた。

 つい先ほどまでは、警戒心を剥き出しにし、近づこうともしなかった子どもが、無防備にしがみついてきている――。

 あまりに綺麗な手のひら返しに、高橋はくすっと笑った。


「おいで。せんせいがおんぶしてあげる」


 その場にしゃがんで、ホノカを自身の背に誘う。


「えっ!? でも……」


「いいから、いいから。せんせいの背中で目をかくして、何も見なければいい。そうしたら、こわくないよ」


「……」


 ためらいの後、ホノカはおずおずと背に乗った。



 とおりゃんせ とおりゃんせ

 ここはどこの細道じゃ

 天神さまの細道じゃ……


「ホノカちゃんは、歌が上手だよね」


「そうかな?」


「うん。上手に音程が取れていて、歌声もきれいだ。なにか習いごとをしているのかい?」


「ううん、なにも。でも、かぞくでよくカラオケに行ってるんだ」


「へぇ。なにを歌うんだい?」


「アイドルの曲とか、アニメの曲。おねえちゃんと、よくしてたんだ」


「おー。デュエットなんて言葉、よく知ってるね」


「テレビとか見てれば、ふつうに出てくるよ。Mスタとか」


「テレビ、よく見るんだね」


「ん……」


 背に揺られ、歌にあやされ。


 ホノカはうつらうつらとし始めた。


「せんせいもよく見るよ~。テレビの音がないと、なんか変というか。しっくりこないよね」


「せんせいはね、動物番組が好きなんだ。人間とはまったく違った頭、行動。見ていて楽しいだろう?」


「ホノカちゃんは、なんの動物が好きなんだい?」


「……ホノカちゃん?」


 すぅ、すぅ。

 背中から聞こえる寝息に、高橋は困ったように笑った。


「寝ちゃったか」


 この子の七つの お祝いに

 お札をおさめに 参ります

 行きはよいよい 帰りはこわい……




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