61話 帰りは怖い

「ねぇ、カヅキちゃん」


 静謐な空間に、2人だけの音が鳴り響く。


「何?」


七枝夕あいつが消える直前に言ったこと……。もう、新しいてるてる坊主が生まれたのかな?」


 灯籠の明かりが、膨らんでは縮まり、強まっては弱まる。

 一定の間隔で立つともしびは、各々が不規則な動きを繰り返した。


「そういうことでしょ」


「ひどいな……」


 大きくため息をつき、ミナミはぼやく。


「それじゃ、ショウタ君が死んだ意味がないじゃない」


 悼む間もなかった、ショウタの死。

 何度助けられたか分からない――彼の姿を思い返し、唇を噛みしめるミナミ。

 カヅキは、何とも言えない表情で目を伏せた。


 ほどなくして、最初の分かれ道が現れる。

 2人は迷うことなく右へ進んだ。


【とお~りゃんせ とおりゃんせぇ】


 今まで鳴っていた歌声とは、明らかに違う声が鳴った。

 掠れるような、すすり泣くような不安定な声が、遠い後ろから聞こえてくる。


「なんか聞こえない?」


 歩きながら、ミナミは言う。


「聞こえるね」


 耳に手を添えながら、カヅキが答える。


【こ~こはど~この細道じゃ~ 天神さ~まの細道じゃ~】


 少しずつ、少しずつ。

 揺れる声は、どんどんこっちへ近づいてくる。

 声の正体は分からないが、恐ろしいモノであることは、はっきりと分かる。


 ――2人は確信した。絶対に、振り返ってはいけない、と。


「逃げよう!」


 カヅキがミナミの手を引き、走り出す。


 ――ガサガサガサッ……。


 後ろから、葉を擦るような音が鳴る。

 ……いや、

 歌声も、明らかにはっきりと聞こえるようになった。

 間違いない――ソレは、確実に彼女たちを追ってきている。


「いやああああああああ!!」


 恐ろしくなり、全速力で走り出す2人。


【この子の7つのお祝いに~お礼をおさめに参ります~】


 彼女らの走る速度に比例するように、物音と歌声も加速する。

 ――止まらない。背後から聞こえる音は、絶えず鳴り響き、少女たちの恐怖を煽る。


「あっ! 分かれ道!」


 暗闇の中から、2つめの分岐点が現れる。

 それに気づいたミナミが、声をあげた。


「やばっ、どれだっけ!?」


 パニックで頭が真っ白になりながら、カヅキが聞く。


「えっ!? うーんと……右!」

「ありがと!」


 混乱しながらも、ミナミがなんとか正解を口にし、2人は正解の道を選んだ。

 迷宮はまだまだ続く。どこまでも変わらない景色の中を、少女たちはひたすらに走り続けた。


 そうして、3度目の分岐点がやってきた。


「はぁ、はぁ……っ、そうだ、紙……!」


 ――真っ白。

 記されていた道順は、跡形もなく消え去っていた。

 漂白されていく頭の中。

 疲弊した身体。

 呼吸の仕方を忘れてしまいそうだった。


 右? 左? それともまっすぐ? ――わからない。どこへ進めばいい。

 分かれ道は容赦なく近づき、ナニカは舐めるように迫ってくる。


 挟み撃ち。


 逃れられない。


 早く、早く早く早く。


 あと1歩、決断を迫られた、その時。


『左だ』


「えっ――?」


 カヅキの耳に、声が響いた。

 あたたかくて、穏やかな声だった。

 反射的に、ミナミの手を引き左へと走った。


 ――刹那、辺りが光に包まれた。

 おどろおどろしい風景は消え去り、淡い光のみが周囲をやさしく照らしている。

 そこには、ミナミの姿はなかった。


『カヅキ』


 目の前に、誰かが立っている。

 男であることは確かだが、姿かたちはぼやけていて、はっきりと見えなかった。


『落ち着け。ゆるりと歩け。それだけで良い』


「え、どういう――」


 聞き返そうと、男に手を伸ばした瞬間、パッと光が消える。

 石畳と灯籠の景色が、辺りに広がった。


「カヅキちゃん!」


 ミナミは心配そうに、カヅキの顔を見つめる。


「どうしたの!? 急に立ち止まって!」


「今のは……」


 呟いて、はっとする。

 無意識に選んでいた正解の道。

 光の中にいた誰かが、助けてくれた――。


「早く逃げよう! 捕まっちゃうわよ!」


 ぐいぐいと手を引っ張り、急かすミナミ。

 後ろから来るナニカの存在を思い出し、カヅキは慌てて走り出そうとする。

 ――ふと、光の中にいた男の言葉が、脳裏をよぎった。


『落ち着け。ゆるりと歩け。それだけで良い』


 カヅキは息を呑んだ。

 そういえば、不気味な歌声と物音が止んでいる。

 止まっているはずなのに、近づいて来ていない――。


「ミナミ。ちょっと試したいことあるんだけど」

「な、何よ!? 捕まっちゃうってば!」

「いいから!」


 強引にミナミの手を引き、カヅキは普段のペースで歩き始める。

 すると、歌が聞こえ始めた。

 ゆっくりとしたテンポで、不安定に揺れる声が。


「ほ、ほら! 聞こえてきたわ! 早く……」

「大丈夫!」


 ぴた。

 足を止める。

 すると、呼応するかのように歌声も止んだ。


「ねぇ、何してんのよ!?」


「やっぱり!」


 カヅキは目を見開きながら、ミナミを見た。


「後ろのヤツ、私たちのスピードに合わせてるんだよ!」


「はぁ!? 何言ってんの!?」


「本当だってば! その証拠に、いま声しないじゃん!」


「あ……!」


 止んでいる歌声にミナミは驚き、口に両手を当てた。


「だから、焦って走るんじゃなくて、ふつうに歩くのが一番いいんだよ。信じられないなら、もっかい実験しようか?」


 ブンブンと、ミナミは首を横に振った。

 力強い否定に、カヅキは苦笑いをした。


「それじゃ、行こっか。実は私、道順吹っ飛んじゃったんだけど、ミナミ覚えてる?」


「え~? もう、しっかりしてよ……」


 結ばれる手と手。

 2人の少女は、迷うことなく出口へと向かっていった。

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