36話 桃太郎・高所恐怖症、GMに叱咤される
はじめは雄叫びが響いていた頭上も、いつのまにやら楽しげな声へと変化している。
「キジ」の挑戦者たちだ。
一体何が起きているのか、カヅキには気にする余裕もなかった。
(下は見ない、下は見ない……っ!)
目を瞑り、繰り返し念じながら、木をよじ登っていく。
しかし、目を閉じていたせいで、足を踏み外して落下してしまう。
カヅキの体を、桃太郎の作り出した結界がキャッチした。
【おぬしは阿呆か!】
桃太郎の怒号。
カヅキはびくんと肩を跳ねさせた。
【はじめから
「アンタらに言われたくないんですけど!」
カヅキが言い返すと、桃太郎はばつが悪そうに顔を背けた。
「も~もたろさん も~もた~ろさん♪」
鼻歌を歌いながら、後ろからアオイがやってきた。
桃太郎が振り返ると、アオイは不敵に笑う。
「あ~なた~のはなし き~きた~いな♪」
童謡「ももたろう」の歌詞に合わせて、アオイが歌う。
桃太郎は、不機嫌そうに振り返った。
【何用だ】
「さっき歌ったとおりだよ。死ぬ前に、あなたのお話が聞きたいな、って思ったの」
【おい、小娘――】
「諦めます、って宣言するまで、生きてていいんでしょ? わたし、まだ諦めてないよ」
【ぐ……っ】
桃太郎は呻くと、頭に手を当てた。
【好きにしろっ!】
「やったぁ~!」
アオイは両手をあげて喜ぶと、ちょこんと桃太郎の隣に立った。
「なんかアイツ、甘くない?」
「それな~。他のゲームマスターより、親しみやすいかも」
木の上から、「キジ」に挑戦するプレイヤーたちが、その光景を微笑ましく眺めた。
(やっぱり、ここを選んでよかった)
「ねこふんじゃった」で姉を失った児童――ホノカもまた、懸命に木登りしながら、ほっとした表情で桃太郎を見るのだった。
「あなたは何時代の人なの?」
「サル」に悪戦苦闘するカヅキを眺めながら、アオイが尋ねる。
その問いに、桃太郎は勢いよく振り向いた。
【――いつから気づいた】
「前のゲームの時にね。一瞬だけ、ゲームマスターの口調が崩れたの」
アオイが答えた。
「口ぶりからして、今の時代の人じゃなさそうだった。わたしはこう思ったの。誰かの魂が、"ゲームマスター"を演じているんじゃないか、って」
【……そうか】
ぽつりと言うと、桃太郎は参ったと言わんばかりに頭に手を当てた。
【こんな小娘に見抜かれようとは。いやはやたまげたな】
「安心して。あなたの正体を探る気はないよ。そもそも、知らない人の可能性が圧倒的に高いもの。ただね……そのね……」
アオイは照れくさそうに、人差し指と人差し指をくっつけた。
「書物の中でしか見れない世界を、あなたは実際に見てきた。あなたのいた世界のお話を、死ぬ前にたくさん聞きたいって。そう、思ったの」
【――――】
桃太郎は、しばらく黙ってアオイを見ていたが、やがて顔の向きを正面に直した。
目線の先では、カヅキが枝に向かって手を伸ばしていた。
【……拙者のおった時代は、戦乱の世であった】
ぽつりと、桃太郎は零した。
【各国の
「そっか。教科書にさらっと書いてあるけど、その時代に生きた人は、大変だったよね」
【それで良いのだ。史を綴るにあたり、情は不要。拙者も、先の世のことは書物でしか知らぬ。おぬしと同じよ】
語りながら、桃太郎は「サル」と「キジ」に挑戦する児童に目を向けた。
そもそも木登りが難しい者。
なかなか隣の木に飛び移ることができない者。
下が透明な床を歩く感覚が楽しくて、わざと「キジ」に残留する者。
これらの理由から、まだ「イヌ」に到達した者はいないようだった。
【随分と楽しそうに己の命を賭すのだな、この者たちは】
「あなたのおかげじゃない?」
アオイが笑顔で言った。
「だってあなた、他のゲームマスターより、親近感があるもん。わたし、けっこう好きだよ」
【何を申すか!】
「いだっ!」
スパーン、と桃太郎がアオイの頭を軽く叩いた。
その手のひらは、不思議と、布というより人肌という感じだった。
「桃太郎~~!!」
目の前の木から、はしゃぐ声がした。
「サルとった! サルとったから早く!!」
【あい分かった! おぬしを木の上へ送るゆえ、決して下は見るなよ!!】
「え……」
【馬鹿者ーーっ!】
桃太郎の言葉につられ、思わず下を見そうになってしまうカヅキ。
それを察知した桃太郎は、すばやく彼女を木の上へ移動させた。
「桃太郎、それフリだよ」
【フリとは?】
「〇〇するな、っては言うけど、実際は〇〇してほしいっていう意味だよ」
【うぬぅ……】
「あああああ……、ああああああああ…………」
ありきたりなやり取りをするアオイと桃太郎。
一方、木の上に転送されたカヅキは、尋常でないくらい震えていた。
地面が、見える。
真っ逆さまに落ちたら、死――。
「サル」の時とは比べ物にならない恐怖に、カヅキは廃人寸前になっていた。
【大事ない! すぐ下に結界が張ってあるゆえ。安心して足を踏み出せい!】
そう、木の頂上の数センチ下には、桃太郎の結界が張ってある。
空中に足を踏み出しても、透明な床を歩いているような状況になるため、安全地帯なのである。
だが、高所恐怖症のカヅキにそんなことは関係ない。
高所から地面を見下ろすことが、もはや恐怖なのである。
「大丈夫だよ~!」
向かいの木にいる児童たちが、空中に足を踏み出してみせた。
明るい声に、カヅキはおそるおそる前を見る。
「見えない床があるから、絶対落ちないよ!」
「ほらほら、落ちない落ちない!」
彼らは空中を歩いているように見えた。
木から足を踏み出しても問題ないということは明白だった。
明白、だが――。
(やっぱり、怖いもんは怖い……!)
カヅキはぶんぶんと首を振り、ぎゅっと目を瞑って俯いた。
向かいの児童は、困ったようにカヅキを眺めた。
「カヅキさん、大丈夫かなぁ」
アオイが呟く。
桃太郎は、黙ってカヅキの姿を見ていたが、やがて超人的な跳躍力で、彼女のいる木まで飛んだ。
【いつまで目を背けるつもりだ】
蹲るカヅキの前に立ち、厳しい口調で言う。
【そこで蹲っていては、前へ進めぬぞ。木の上で野垂れ死ぬつもりか】
そう言うと、桃太郎はその場にしゃがみ、じっとカヅキを見た。
【飛ばねば、死ぬ。げえむを諦めたと見なし、拙者がおぬしを斬る】
はっとカヅキは顔をあげた。
零れそうなほどに、目を大きく見開く。
間近にあったのは、端正な若侍の顔だった。
「あんた……一体」
【頑張れ。おぬしなら、乗り越えられる。おぬしは強い】
そう言うと、桃太郎は木から降りていった。
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