第20話
──夢の中で、珍しく人の姿をしているアスランが佇んでいる。
こちらに振り向いて、私に手招きをしてきた。何だろうと近づくと、アスランの足許に水たまりのようなものがあり、見下ろすと、それはある空間を映し出していた。
皇城の客間、そのうちの一室に王太子様と見慣れない大人が向き合っている。大人はよく見ると王太子様と面差しが似ていた。親子だろうか。だとすればアルストリネ王国の国王陛下という事になる。
アスランがぱちんと指を鳴らすと、空間から音声が聞こえてきた。
「父上、長きにわたる戦ではお疲れ様でした」
「ああ、あとは破壊された地域の復興だ。財源は鉱脈資源でまかなうしかないな。戦で疲弊している民に増税は課せない」
「それは賢明なご判断かと思います。働ける年頃の国民の身体は皇女殿下の治癒により五体満足ですし、戦で失った仕事を求めておりますので」
「その皇女殿下だ。息子よ、今宵私はお前が大切に着けていた王家の証を皇女殿下が着けているのを見たのだが、どうした事かね」
「はい、大戦前に父上の名代で皇国にまいりました際に皇女殿下に贈らせて頂きました」
「王家の証──あの聖石をか?」
「皇女殿下には、良くお似合いでした」
王様は溜め息をついてソファーに腰をおろした。
「カイゼル……お前が王太子になってから、あれをどれほど大切に着けていたかを私は見てきていた。それを贈るという事は、その意味はお前も理解していよう」
「はい、父上。絶対的な誓いの証と理解しております」
「──その意味、皇女殿下には理解が及んではおらぬようだが?」
絶対的な誓いの証?──何の誓いなのか見当もつかない。
「それでも私は誓いました。──皇女殿下に己を捧げると。私の身分は王太子です。いずれは国を背負います。その自覚があればこそ、私は皇女殿下に……彼女の御力に崇拝と信奉を捧げます」
私は、それを聞いて愕然とした。
あのブローチに、そのような重みがあると知っていたならば初めから受け取ってはいなかった。
「……お前の覚悟は相分かった。だが、皇女殿下はまだ幼い少女だ。どれだけ神聖で稀有な力を持とうとも、皇家の庇護なくして生きられない点では、無力な子供だと言っていい。カイゼル、お前は彼女を離れた地から生涯かけて守り抜くと?」
「私は私の力を磨きます。持てる力の全てを。持たざる力も必要であれば必ず手に入れます。全ては王国と皇女殿下の為に」
「……そこまで思いを定めているのならば、私には諌められない。だが、それを皇国が受け容れるかは別だと知っておきなさい。いいな?」
「……はい」
──そこで、足許の空間はかき消されて私達が立つ場所と同じ白い雲の上みたいになった。アスランは険しいのとは少し違う、難しい表情をして黙っている。
音のない真っ白な空間での沈黙。
それにまず耐えかねたのは私の方だった。
「アスラン……王太子様は何を考えておいでなの?」
誓い。捧げる。具体的なものが何ひとつ見えない。
「ペルセポニア、君が貰ったブローチの石は王国の聖石だということは聞いたよね?」
「え、ええ……」
「聖石には直系の王族のみが使える祈りの力が宿っている。代々、王族は聖石を身に着けて守護にしてきたんだ。そして王太子は、それをペルセポニアに捧げた事になる」
言い回しが難しくて、頭が混乱するものの、大変なものを受け取ってしまった事は分かる。
「王太子様には……新しい聖石が王様から与えられるのよね?──でなければ王太子様は王座を継ぐのに守護がないわ」
「……それは、どうだろうね。あの会話を聞いた限りでは、可能性は低いかな。でなければ、あの親子はあんなに大仰な言い方はしていなかったはずだよ」
「そんな……私、ブローチを王太子様に返さなくてはいけないわ」
「それは無理だろうね。聖石は既に君を認めているから。受け取った夜、闇夜に照らすものもなく輝いた事を覚えてる?」
「……あ……でも……たった一瞬の出来事だったわ。なのに、それだけの事で?」
「世の中の不可思議なものは皆そんなようなものだよ。ペルセポニアは既に王太子からの聖石の主なんだ。今夜はゆっくり眠って、明日か……国賓が帰ってから、家族に相談するといいよ。その時に、僕があの光景を見せた事も話していい。──僕の正体を明かしても構わない」
「けれど、アスラン……聖獣である事は秘密にしていてって……」
「僕はもう大丈夫だよ。成長して聖獣としての力は十全についたからね。──ありがとう、ペルセポニア。今まで約束を守ってくれたお蔭で僕自身もまた守られたんだ」
「でも、そうしたらアスランはどうなるの?」
「大丈夫だよ、君から離れる事はない。言ったろう、僕は君のアスランでいさせてって」
「アスラン……」
「さあ、もうお休み。疲れているところに呼ばって悪かったね。安らかに眠れるように、僕は君に寄り添っているから」
アスランの言葉に瞼が重くなってゆく。身体がふわふわとして、意識がその場から遠のくのを感じた。
そこからの記憶はない。夢さえも見ない深い眠りについていたらしい。
目を覚ますと、狐のアスランがぴったりと寄り添い、私はアスランに抱きつくようにして横たわっていた。
アスランが聖獣としての力を使ったのか、目覚めははっきりとしているし、身体も疲労の重さを感じない。流行り病が蔓延してからずっと、こんな朝はなかった。
朝日が窓から差し込み、ベッドから抜け出して窓を開けると、爽やかな甘い外の空気が肺を満たす。
私は窓枠に手をかけて深呼吸した。もう病も戦もない、そんな朝の目覚めだ。
戦勝のパレードに関しては、昨夜のうちにお父様から「皇女殿下は10歳の幼さで戦地のむごいありさまを目の当たりにして心を痛めてなお、治癒に力をそそいで心身を疲れさせている為に、今は何より休息を必要としている」という事にする、と聞かされていた。国民の皆には申し訳ないけれど、確かに休息は必要だったと今なら思う。
──それにしても。
王太子様から受け取ってしまったブローチの意味を知らされ、それを王太子様にお返しする事も既に出来ないと知った今、私はどうすればいいのだろう?
これこそ今、出来るだけ早くにお父様やお母様、お兄様達に相談してみなければならない。
とりあえず私は、目覚めを知らせる為に呼び鈴を鳴らした。すぐに侍女がやってきて、努めて明るい様子で世話をしてくれる。
リズアンネは昨日のうちに国の巫女としての役割があるからと、聖堂へ戻ってしまったらしい。しばしの別れを告げる事も、お世話になったお礼を伝える事も出来なかった。それが心残りで、私は聖堂に私財の一部を寄付するように申し渡した。これくらいの事ならば、独断でも構わないはずだ。
リズアンネには、またいつでも会うべき時に会える。同じ国の中に生きているのだから。出来るならば、その時は平和な時が良いと思った。皇女と巫女ではなく、友達のように語らえれば嬉しいのだけれどと思った。
国賓の方々は帰国の途についたり、国内をいくらか見て回り国のありようを学んだりと様々だった。王太子様は父王と共に、私が身支度を整えるより早くに帰国する馬車に乗って立ち去っていた。
復興の為に働かなくてはならない、王族としての務めがあると頭では分かっていても、また別れの挨拶も叶わなかった事に私は少し心にもやがかかるのを感じた。
比較的会いやすいリズアンネとは違って生きる国が違うし、王太子様としての務めは激務になるだろう。
復興はすぐにはなされない。破壊されたものを建て直し、国民達を守りながら暮らしていけるように支えて、生きる術と希望をもたらさなければならない。それは、父王が健在とはいえ、まだ10代の人間の肩には重い。
ブローチの事はともかくとして、一言励ましたかったとも思う。けれど、王太子様にとっては祝宴で私と過ごした時間と味わった甘さが活力になればいいとも思った。
──そして久しぶりに家族全員で朝餐についた。懐かしくて胸がいっぱいになる。
皆が「ペルセポニア、もっと食べなさい」と豊かな食卓で色々勧めてくれる。見てみると、私の好物ばかりが並んでいる食卓だ。
愛されている、大切に思われている。それを味わう。こんなにも優しい時間が、もっとずっと続けばいいと願った。
そんな幸せな朝餐を済ませて──私は本題を家族全員に切り出した。
あの聖石があしらわれたブローチについてだ。そのブローチも持参していた。
言いにくいけれど、私一人の手には余る。私はアスランの事も含めて、たどたどしく話した。どう表現すればきちんと私の気持ちが伝わるか、そもそも私の本当の気持ちは何なのか、頭の中は混乱していて、上手く話せたかは分からない。ただ、必死に言葉を探したり付け足したりして事実と感情を話した。
アスランが普通の狐ではない事は、家族も薄々感じ取っていたらしいものの、聖獣だという事には驚きを隠せないようだった。それでも、私にとって大切な守りになると認めてくれた。
問題は──王太子様からのブローチだった。
家族全員が頭を悩ませているのが伝わってくる。朝餐の場では結論を尚早には出せないということになり、皆で考えようと決まって、お父様達は公務へと向かった。
まだ敗戦国への処理があるし、見送りもあり、滞在している国賓への対応もある。
本来ならば私も皇女として公務があるのかもしれないけれど、とにかく休むように言われた。流行り病の時から、誰より働いていたのはペルセポニアなのだから、と。
私は自室に戻って、リズアンネが残していってくれた、身体に優しいというお茶を出してもらった。
身体があたたまって血行が良くなり、疲れが癒えるのだと教わって一口飲むと、微かなジンジャーの香味を感じた。
一段落つき、ひとり平和な時間をもっている。
不意とブローチを手に取り、陽光にかざすと、石がひときわ透明感を増して、真紅の色味が深みを帯び鮮明にきらめいた。
王太子様はなぜ、あの時お互いを良く知りもしない私にブローチを下さったのか。
この疑問は、絡み合う人の心を読み解くには私が幼すぎて分かりそうにない。
それでも、いつかまた再会したら何かが見えるのかもしれないと思い、私はブローチをテーブルに置いてティーカップをとり、せっかくのお茶が冷める前に少しずつ頂いて喉を潤した。
──そうして答えが見い出せないなかで、国は落ち着きを取り戻し冬支度を済ませる。短い冬が終われば、とりどりの花が咲き誇る春の訪れだ。
春にある建国記念日は盛大に行なおうと、お父様達は張り切っていた。それを知った国民の皆もまた、浮き立って楽しげだった。
私はその雰囲気に包まれて、いつしか感化されて春を待つようになっていた。
また歳を重ねられる新年の春を。
そんな私を見守りながら、家族は私の知らない所では神妙な面持ちで話し合っていた。
王太子のブローチ、それは従属なのか求婚なのか、あるいは両方なのか、と。
16歳の少年が、まだ10歳の子供に、政略結婚ならまだしも自身の意思による求婚は普通ならば考えにくい。
けれど、ペルセポニアは特別な少女だから、と。
乙女の旅路〜末姫が紡ぐ再生の唄〜 城間ようこ @gusukuma
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