毎日小説No.10 握力ギフテッド

五月雨前線

1話完結


 おぎゃあ、おぎゃあ、と元気な声が病室の中に響いた。股を開いて気張っていた母親は安堵の溜め息をつき、そばで見守っていた助産師が「おめでとうございます」と微笑んだ。


 生命誕生、そして第一子誕生の瞬間に立ち会った父親は嬉しさのあまり涙を溢した。つわりや陣痛に苦しむ妻を必死に支えてきただけに、無事出産が成功した喜びはひとしおだった。


「手足の指はちゃんと5本ありますね。元気な男の子ですよ〜」


 助産師は産まれたばかりの赤ん坊を抱き、疲労困憊の母親の元へ近づけて見せる。赤ん坊の姿を視認した母親は顔をくしゃくしゃにして笑った。


「初めまして……貴方の名前は、力斗よ……。元気に産まれてきてくれて本当に

ありがとう……」


 母親は腕を伸ばし、我が子の体にそっと触れた。しわしわで小さな指に自分の指を絡め、我が子が産まれた実感を改めて噛み締める。



 ぽきっ。



「「「え」」」


 母親、父親、そして助産師の驚きの声が重なった。父親と助産師はあんぐりと口を開け、

母親はひん曲がった自身の指をまじまじと見つめ、そして絶叫した。


***

「初めまして、京東大学の高梨裕也です。本日からプロジェクトに参加させていただきますので、どうぞよろしくお願いします」


「プロジェクトリーダーの山川大五郎です。

こちらこそよろしくお願いします。かの有名な高梨先生の協力を仰げるとは、光栄の極みですよ」


 都内某所に位置する、政府直轄の極秘研究

施設。その施設の一角で、2人の研究者が名刺交換を行っていた。


「それでは、早速実験体を見に行きましょうか。こちらです」


 山川に手で示され、2人は広大な研究所の中を歩き始めた。高梨は研究所の中の実験器具や装置に視線を巡らせ、目を丸くした。


「これはこれは……。超高級かつ最先端な

設備ばかりですね。今まで世界中の研究施設を見てきましたが、これほど充実した研究室は

初めて見ました」


「国が極秘に進めている一大プロジェクトですからね。このプロジェクトを立ち上げた時、

最初に国から提示された予算を見て度肝を抜きましたよ」


「どれほどの金がつぎ込まれているんでしょうね……」


「詳細な金額をお伝えすることは出来ませんが、一つの国の国家予算並み、とだけ申し上げておきましょう」


「ははあ……」


「到着しました」


 どうやら目的の場所に着いたようだ。目の前には何重にもロックされた大きな扉があり、

扉の前には自動小銃を構えた警備員2人が佇んでいる。山川が社員証を取り出して見せると

警備員は小さく頭を下げ、壁に取り付けられている端末を操作した。ごごご、と音を立てて

大きな扉が開かれていく。


 中は水族館のような構造になっており、防弾ガラスを挟んで2つの空間が存在していた。

山川と高梨がいる手前の空間と、奥の空間。

その奥の空間にはテーブルや椅子、ソファやベッドといった家具が置かれており、そしてベッドに1人の少年が身を預けていた。


「彼が、例の……?」


「はい。神村力斗、13歳。異次元の握力を

授けられた特殊な人間です。本プロジェクトの被験者であり最重要人物、そして世界を変える可能性を秘めた神の子と言えるでしょう」


 髪が真っ白であることを除けば、見た目は

普通の少年だ。整った顔立ちをしており、

かなり体格が良いことが遠目でもよく分かる。


「普通の少年にしか見えませんね」


「彼を初めて見た人は皆そう言います。

しかし、すぐに彼が普通ではないことが分かりますよ」


 山川が指を鳴らすと、隣の部屋から白衣を

着た職員が数人出てきた。職員は少年のいる

空間の中に入っていき、テーブルの上に複数の物を置いた。


「あれは?」


「ダイヤモンドやコンクリート、タングステンといった硬い物質です。今から彼がそれらを

素手で握りつぶします」


 ダイヤモンドを素手で握り潰す。俄には信じられない話だ。しかし、職員から指示を受けた少年はダイヤモンドを手に取ると、何食わぬ顔で粉々に握りつぶしてしまった。


「……!!」


 高梨は息を呑み、目の前の光景に見入った。信じられない。あの少年は素手でダイヤモンドを握り潰す力を持っているのだ。事前情報として知らされていたものの、実際に見せられるとかなりの衝撃を受けた。


「素晴らしいでしょう。彼は人間離れの握力を生まれながらに授けられた、握力ギフテッド

人間なのです。生まれた直後に母親の指をへし折った、という彼の逸話も充分納得出来るでしょう?」


 高梨は頷きを返した。目の前にいるのは、

漫画の中に出てくるような特殊な人間だ。

そんな人間を研究対象として活用出来ることに、高梨は喜びを感じた。


「彼の天性の握力の技術利用、及び軍事運用が本研究所の研究内容です。これから共に研究を重ねて、彼の力を最大限利用出来る方法を模索していきましょう」


「はい、よろしくお願いします」


***

 高梨がプロジェクトに加わってから1年が

経過した。研究を重ねれば重ねるほど、少年には無限の可能性が秘められていることが分かった。最初は右手しか握力が強くなかったが、

研究や実験を重ねる内に左手でも驚異的な握力を発揮するに至った。握力ばかりではなく、

咬合力や跳躍力をはじめとした様々な身体能力が爆発的に成長していったのである。


 少年は日に日に力を増していき、軍事運用の見通しがようやく立ってきたその時。研究施設に国からの通知書が届いた。その内容は、

『今すぐ神村力斗に関わる研究を全て中止し、神村力斗を殺害せよ』という衝撃的なものだった。


「くそっ!! ふざけたこと言いやがって!!」


 山川は通知書を粉々に破り捨て、怒りを露わにした。しかし、高梨はそのような通知が来ることを心のどこかで予感していた。最近の少年の成長具合は異常だった。もはや彼は人間ではなく別の生物になりつつある、と国の上層部が判断したのだろう。


「山川さん、しょうがないですよ。国の命令なんですから」


「くそ……! 軍事運用が成功すれば莫大な利益が転がり込んでくるっていうのに…」




「……ねえ」




 穏やかな声が施設の中に響いた。山川と高梨は同時に振り向き、そして息を呑んだ。そこには、隔離されているはずの神村力斗が佇んでいたからだ。


「もうこの施設、出ていいよね? 窮屈なんだよ」


 神村は呆然とする山川に歩み寄り、右手で

山川の頭を掴んだ。ごっ、という音とともに

山川の頭蓋骨が握り潰され、山川は瞬時に絶命した。


「…………!!!」


「邪魔する奴はこうなる。まあ、邪魔しなくても殺すけど」


 やはり国の上層部の判断は正しかった。

神村は我々の想像の届かぬ範囲まで成長し、

分厚い防弾ガラスを破って脱出するまでの力を得てしまったのだ。


「残念だが、君は強大になりすぎてしまったようだ。ここで死んでくれ」


 高梨は研究所から支給されていた拳銃を

構え、引き金に指をかけた。銃口を向けられた神村は怯えるどころか逆に笑みを浮かべ、高梨を困惑させる。


「拳銃か。それで僕を殺せると思ってるの? 強大になりすぎた、って自分で言ってたくせに」


 ばん、と銃声が鳴り響き、神村の心臓付近に銃弾が命中した。しかし銃弾が貫通することはなく、鈍い音とともに弾き返されてしまった。


「馬鹿な……!!」


「最初は右手の握力だけ特別だったけど、今は違う。全てが特別なんだ。僕の体は人間を超越してるんだよ」


 神村は一瞬で距離を詰め、高梨の首をへし折って絶命させた。防犯カメラが神村の挙動を

感知し、研究所内にサイレンの音が鳴り響く。


「10年間、僕をこんな狭い場所に閉じ込めやがって。僕はお前達を絶対に許さない。皆殺しだ。僕以外の全ての人間は皆脆弱で、

生きる価値がない。人間は強大な力を持つ

僕1人だけで十分だ」


 扉が開け放たれ、数十人の武装した機動隊員がなだれ込んできた。神村は打ち込まれる銃弾を物ともせず、冷たい笑みを浮かべながら機動隊員を虐殺していった。


 


 全人類と神村力斗の、長い長い戦いの

幕が開けた瞬間だった。



    完




 

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