はじまりの聖女

 * * *


 どれほど気持ちがはやろうと、ずぶ濡れで書庫に立ち入ることはできず。

 クウィルはタウンハウスに戻り、騎士服を脱いだ。いつもの癖で替えの制服を取りだしかけ、苦笑いで私服を掴んだ。


 息つく間もなく、王宮図書館に向かう。


 館内でクウィルを待っていたのは、ここの管職についている、ラルスだ。


「ようこそ」


 心配そうなラルスの顔を見るなり、クウィルは察した。


「どうやら……兄上も、いろいろご存知のようで」


 クウィルだけが何も知らないままリネッタと接していたのだと思うと、悔しいやら腹立たしいやらで、つい兄相手に当たってしまう。


「職場はここだけど、内密ながら私も殿下の近衛に名を連ねているものだから」

「え!?」


 二十年も弟をやってきて、全く知らなかった。今さら明かされる兄の肩書に仰天すると、慌てたラルスが静かにと身振りで示す。


「……内密に、ね」

「心得ました」


 ラルスの背中を追い、広い館内を歩く。

 クウィルの背より遥かに高い本棚が整然と並ぶ。時おりすれ違う管理者に会釈しながら進み、奥の管理書室へ通される。

 ここは重要な本の保管庫になっているらしく、戸のついた棚には全て鍵がかかっている。

 ラルスは奥の棚から、本を五冊ほど取り出した。棚の向こうは筒抜けで、石造りの壁が見える。ラルスは壁の一部をぐっと押し込む。ガコンと何かが嵌まるような音を確かめ、今度は棚を横に滑らせた。


 棚を退かせた壁に、扉がある。


「ここからはクーがどうぞ。私も鍵は持っていないから、失くさないこと」


 いかにも兄らしい忠告に、少し緊張をほぐす。

 父から受け取った鍵を差し込んで回す。扉は重い。ギッ、ギと音を立て開いた先にはすぐに、地下へと降りる階段がある。階段の先は暗く、壁のランプだけが点々と灯っている。


 ラルスが戸棚の鍵を開けて、小型のキャンドルランタンを取り出す。火を付けて、クウィルに寄越した。


「それじゃ、気をつけて」


 返事を返す間も無く、扉が閉まった。

 途端に視界が真っ暗になる。

 

 ランタンの灯りは心もとなく、慎重に階段を下りていく。入り口からの印象通り、ずいぶん深さがある。振り向いても入り口が見えなくなり、行きも帰りも闇の中。やや不安になりながらさらに進むと、壁のランプの間隔が狭まり、徐々に明るくなってきた。


 階段を下りきると、鍵と同じ、王家の紋が入った扉がある。その扉の隙間から、灯りが漏れ出ている。


 押し開けようとした扉は、中から開かれた。


「お疲れさん」

「……ザシャ?」


 今頃第一隊を率いているはずのザシャが、余裕たっぷりの笑みで挨拶代わりに片手を上げた。


「なぜ……ザシャがここに入れるんだ」

「さぼってないからな! ちゃんとギイス・キルステン侯爵閣下の許可取って来てんだから」

「まさか、ザシャまで騎士を辞したのか!?」


 ザシャはクウィルの声に目をぱちくりとさせる。襟足の短い栗色の髪をくしゃっと掻いて首を傾げ、「ああ!」と納得の声をあげた。


「心配すんな。オレは団長に拾ってもらう前からここに入り浸ってるから。騎士になる前から許可持ちなんで、なーんにも問題ない」

「入り浸る、って。どうしてそんなことに」

「陛下のご命令でさ。オレはリングデル王の傍系の子孫の子孫の子孫の、あー、まぁそんなやつ」

「リングデル……って、あの?」

「そう。あの。魔獣百体とおともだちの魔王様」


 手にしたランタンを取り落としそうになった。その場にしゃがみこんで、額を押さえる。くつくつと込み上げる笑いをどうにか喉の奥に押し止めた。


「私は初めから、囲われていたのか」


 父は鍵を持ち、兄は書庫を管理し。信じた団長は許可を下す侯爵位。気のいい仲間は、禁書庫に出入りする亡国の血筋。

 揃いすぎだ。

 きっと初めから。いつか呪術に目覚めたときのために、駒として、監視されていた。


 ザシャがクウィルと向かい合わせにしゃがんで、顔をのぞきこんでくる。


「まぁその。否定は、しない。オレの立場も似たようなもん。陛下の駒よ」

「いい。わかっている」

「でもな、クウィルを友と思うオレの気持ちもわかっていてくれると、嬉しかったりする。団長も、ラングバート家も、ついでに殿下も、そんな割り切った性格じゃない、と、思う、うん」


 ザシャが語尾をたどたどしくして頭を掻いた。友人の照れ隠しに、クウィルは苦笑するほかない。


「わかっている。そういうことも含めて」

「……あー。いい年した男ふたりでするような話じゃないぞ、これ」


 ザシャが立ち上がり、手を差し伸べてくる。クウィルはその手を掴みながら、改めて禁書庫を見回した。


 ちょうど、騎士団の宿舎一室ほど。ザシャとクウィルがふたりで寝転ぶのに良い広さ。天井が低く、灯りが少なく窓もない。薄暗さが、いかにも禁じられた場という雰囲気を作る。

 小さな書き物机の上でランタンの火が揺れている。どこかに風の抜け道があるのか、地下特有の湿っぽさはない。

 棚はひとつきり。収納されている書はざっと見ても百は越えている。どれも厚みがあり、読み解くには時間を要しそうだ。


「これを、全部?」

「いや。ここには秘術の記録が大量に寝てるから」

「秘術?」

「今の魔術が完成する前の古い魔術。呪術もそのひとつな。大昔の魔術は、もっと色んな系統に分かれてたんだと」


 ザシャは十冊ほどの本を書き物机に積み上げた。椅子を引き、強引にクウィルを座らせる。


「クウィルが知りたいだろうことは、この辺。ところどころ出てくるリングデル旧書体はオレが訳すから、都度聞いて」

「ザシャ……すごいな」

「だろ。オレすげぇの」

 

 ザシャの手が机に置いた本を捲る。


「まずクウィルが知るべきは、リングデル王の力の根源だ」


 ぱらぱらと頁をめくっていた彼の手は、厚い本の半ばあたりで止まる。


「王だけが使える秘術。転移術って呼ばれてる、人の魂を別の器に移す力」

「王だけが? リングデルの血筋が、ではなく?」

「記録上ではそう。魔王様は確かに魔獣を従えた。でもそれは呪術じゃない。ベツィラフトの魂を喰って、呪術を強奪したんだ」


 忌々しげに強奪と口にして、ザシャの真剣な目がクウィルの顔をのぞきこんだ。


「冷静に聞いてくれな。聖剣の中には魔王様の魂が封じられてる。聖女は、魔王様を慰めるための花嫁だ」


 カンテラの中で揺れる火が、ジッと小さな音を立てた。


 * * *


 幾つもの小国がおこっては消えていった遥かな昔。


 アイクラントの前身、アイクレーゼンとリングデルの長い戦いの中。業を煮やしたリングデル王は呪術に目を付けた。


 王はベツィラフトの魂を自身の身体に移して喰らい、呪術を手に入れた。大量の魂を取り込み、数多あまたの魔獣を使役した。


 だが、幾人いくにんもの魂を喰らった代償に、王の正気は失われた。思考は無く、血に飢え、身体は魂の大きさに耐えられず崩れていく。

 この代償こそ、王が転移術を禁忌とした所以ゆえんだった。それを忘れるほど、王は呪術に魅せられていた。


 いずれ、王は自壊する。

 しかし疲弊ひへいしたアイクレーゼンには、王の自壊まで耐える力が無い。

 アイクレーゼンは滅びる。狂えしリングデルの王がこの国をほふるだろう。誰もがそう思った。



 転機は突然に訪れた。

 正気を失ったリングデルの王は、自身を慰める花嫁をアイクレーゼンに求めた。すでに王に理性はなく、王の従えた魔獣は、アイクレーゼンのみならずリングデル領土内をも脅かしていた。

 この機を逃す手は無かった。


 アイクレーゼン王家の娘が差し出された。娘は十六歳。王家の血筋とは似つかぬシルバーブロンドの髪をいとわれ、隠されてきた娘だった。

 勇気ある娘は自分がかの王を討つと王家に訴えたが、アイクレーゼンはこれを許さなかった。感情を呪術で封じ、娘を人形に変えた。


 娘とリングデル王。ふたつの魂に、呪術による契約が刻まれた。

 娘は、永遠に王の魂とともにあることを。

 王は、娘の魂がともにある限り、魔獣を鎮めることを。


 事はこの契約で終わらない。

 数多の魂を喰って肥大化し、契約まで刻んだ魂が生まれ変わればどうなるのか。転移術は、新たな命に受け継がれるのか。


 アイクレーゼンは未知を恐れた。

 あらゆる呪術を駆使してリングデルの転移術を模倣し、一振りの剣を生み出した。


 王に永遠の身体を差し上げる。そう偽って王の魂を剣に封じる。

 剣に籠めた転移術の模倣はいつか、同朋たちを王から引き剥がす。ベツィラフトの術者の命をいくつも散らして、この願いは編みこまれた。


 正気を失くした王は歓喜して肉体を離れ、魂を剣に移した。

 アイクレーゼンはリングデル領土を手中におさめ、勝利を歌った。剣に編み込まれた願いが本当に叶うのか。目に見えぬものを相手に、誰も確かめることのできないまま。


 やがて娘の肉体が尽き、アイクレーゼンはようやく過ちに気づいた。王を剣に封じるならば、花嫁も共に封じねばならなかったのだと。

 花嫁を失くした王の魂は、魔獣を呼び寄せた。


 聖堂を築き、わずかに残ったベツィラフトたちの力で剣を鎮めようとした。民の中から新たな花嫁を選び差し出した。だが、王の魂は鎮まらなった。

 

 魔獣の脅威に耐え忍ぶ長き時の果て。永遠の契約が正しく『永遠』であることを、ついに人々は知る。

 十六歳になったある娘を、星は始まりの娘と同じ色に塗り替えた。

 新たな花嫁の犠牲で得た加護が、国に平穏をもたらす。このとき花嫁を剣に封じられれば、後の世に聖女が名を連ねることはなかったかもしれない。

 だが、リングデル王の魂は拒んだ。花嫁は生身であるからこそ美しいのだと王は嗤った。


 

 やがてまた花嫁の命が尽き、加護の切れ間が訪れる。

 空白の十六年の終わり。契約を星に乗せ、王は花嫁を迎えに行く。

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