第108話 鋳薔薇さんVSヘルハウンドを特等席で。


 戦う?

 私が?

 エンシェントブーツ以外、装備がないのに?


「さきに言っておくけど、逃げるのは恥じゃないわ。シーカーがその実力を発揮するのはダンジョンだから。実際問題、装備が整っていない状態で、あのレベル270のヘルバウンドはきついと思う」


 レベルが270っ!

 

 ルカさんとカイさんが強力して倒したスローインプがレベル190。

 それよりも更に80もレベルの上乗せ。

 

 確か、クラスBダンジョンに出てくるモンスターのレベルの上限が300くらいだったはずなので、相当な強敵である。


 しかも、こちらは装備が脆弱というディスアドバンテージ。

 正直、装備が整っていたとしても慎重を期する相手だ。


 ただ、エンシェントブーツだけといっても、超俊足の付帯能力はあるし、防具そのものの防御力だってある。


 ダンジョン産の防具は、装備しているだけで全身にその防御力が反映される。

 それはゲームのように。

 

 だから特級武具であるエンシェントブーツの防御力があれば、仮に噛まれたとしても即死は免れるかもしれない。


 でも間違いなく痛い。めちゃんこ痛い。 

 それに回復魔法だって使えない。

 攻撃するためのエンシェントロッドだってない。


 とてもじゃないけど、私には……私には…………。


「グルアアアアアアアッ!」


 冷静さを削ぐような吠え声。

 ヘルハウンドの1体が、私と鋳薔薇さんのところへ猛進してくる。

 この周辺で立っているのが私達だけだから、目立ってしまったらしい。

 

 ケルベロスほどではないけれど、その威圧感は凄まじい。

 百獣の王ライオンが可愛く見えるといっても大げさではない。


 鋳薔薇さんが数歩前にでる。


「迷っているなら逃げなさい。その惑いが付け入る隙を与えることになるわ。でも、もし戦うと決めたら――徹底的にる」


 鋳薔薇さんが地面を蹴った。


 そこに一切の迷いは見えなかった。

 気圧されることなくヘルハウンドと対峙する鋳薔薇さん。


「グルアアアアアアアッ!」


 大口を開けて涎を吐き散らすヘルハウンドが、鋳薔薇さんに食らいつこうとする。

 刹那、鋳薔薇さんが地面に両手を付き、その反動でジャンプした。

 

 鋳薔薇さんは体を空中で回転させながら地面へと着地する。

 まるで体操選手かのような一連の流れだった。


「ふふ、残念。わたくしはこっち」


 彼女は赤いグリップを握ると、腰から引き抜いた。

 

 赤いグリップのほうは確か懺悔の鞭。

 その懺悔の鞭が頭上で円を描いたかと思うと、ヘルハウンドに振り下ろされた。

 

 だけど、鞭の一振りはヘルハウンドに当たらない。

 俊敏な動きで避けたのだ。

 

 鋳薔薇さんに向かって再度、突進する獰猛なるモンスター。

 黒色の獣はその過程でジャンプ。

 上空から姐さんに襲い掛かる。


 ――が。

 

「それじゃ避けれないわね。おバカさん」


 黒のグリップを握りしめる鋳薔薇さんが、悔恨の鞭を下から上に振り上げた。


 ヒュンッ!!


 風を切る音が聞こえたかと思うと、鞭がヘルバウンドの腹を縦に打ち付ける。


「ギャンッ」


 空中からの攻撃を強制的に中断され、鋳薔薇さんの背後に落下するヘルハウンド。

 着地はなんとか足からだったのだけど、鞭によるクリーンヒットのダメージが大きいのか、体勢が不自然だ。


 鋳薔薇さんが振り向く。

 警戒するようにその場で唸るヘルハウンド。

 鋳薔薇さんを強敵だと認めたのかもしれない。


「あら? もしかしてわたくしのことが怖くて? うふふ」


 一方の鋳薔薇さんといえば不敵な笑みを浮かべて、いかにも余裕綽々といった感じだ。


 鋳薔薇さんの着衣はただの服であり等級は当然、無級。

 つまり防御力はゼロ。

 私以上にその体は脆い。


 なのに、なぜそんな風に平然としていられるのだろうか。

 一撃で絶命するかもしれないという恐怖心はないのだろうか。

 それとも恐怖を相殺して尚、有り余る闘争心がそうさせているのか。

 

 私には理解のできない境地にいるのだと思う。

 これが潜姫ネクストの金潜章。

 こんなにも近いのに、その背中は途方もなく遠くに見えた。


 ヘルハウンドが口を開く。

 元々開いていた口だったのだけど、更に大きく。

 

 何か変だな……。


 そう感じたときヘルハウンドの口内が赤く光る。

 次の瞬間、その口から炎が吐き出された。

 まるで火炎放射器のような火炎が、鋳薔薇さんを焼き尽くそうと迫る。


 だけど、炎熱攻撃は鋳薔薇さんまで届かない。

 彼女が、新体操の選手がリボンを回すかのように懺悔の鞭を回転させ、炎のエネルギーを消し去っていたのだ。


「あなたの相手ばかりはしてられないの。次で逝ってもらうわ。――地獄へお帰り。ワンちゃん」


 それを挑発と捉えたのだろうか。

 ヘルハウンドが6つの目を限界まで見開くと、怒号じみた絶叫を上げて鋳薔薇さんに襲い掛かる。

 

 怒りに任せた行動。

 そこに僅かの躊躇も見受けられなかった。


「グルルアアアアアアアアアッ!!!」

 

 同時に、鋳薔薇さんも動く。


「轟の技――斬塊ざんかいはな


 広げていた腕をクロスする鋳薔薇さん。

 すると追従する懺悔の鞭と悔恨の鞭が、鋳薔薇さんの眼前で交わる。

 

 そこには突っ込んでくるヘルハウンド。

 2対の鞭がその地獄の猟犬の胴体に巻き付く。


 次の瞬間、鋳薔薇さんが再び両の手を広げる。

 まるでハムを紐で縛ったかのような――と思った矢先に、ヘルバウンドの体が裁断された。


 周囲に散乱する血と肉片。

 ももちんさんの血の狂祭で多少慣れたとはいえ、かなり不快感を催す光景だった。


「良かったわ。ワンピースに血が付かなくて」


 などと、全く危なげない完全勝利の鋳薔薇さんだった。


 よくよく考えれば鋳薔薇さんはクラスSのダンジョンも踏破している。

 金潜章にピンキリがあるならば、間違いなく最上のピンの枠にいる人だ。

 防具がなくても相棒さえいれば、クラスB相当のモンスターなど物の数ではないのかもしれない。


「い、鋳薔薇さん、ホントの本当にすごかったですっ!」

 

「ありがとう、四葉ちゃん。ヘルハウンドのお肉も歯ごたえがあっておいしいのよねぇ。もったいないからあとで調理して食べようかしら。四葉ちゃんも食べるでしょ」


 モンスターの肉なら先日食べ過ぎたんで、もう結構ですっ!


「冗談はさておき、ほかのワンちゃんはどこにいったのかしら」


 そうだ。

 ほかの2体のヘルハウンドはどこにいるのだろうか。

 目視では、露店の屋根が邪魔をしてよく見えない。


 人の叫び声が集中している場所。

 そこに奴らがいるはず――。


「わああああああああっ」


 そのとき、誰かの叫び声が聞こえてくる。

 私は咄嗟に右に振り向く。

 

 100メートルほどさきで、小さな子供が尻もちをついている。

 その子共の前にはヘルハウンドが1体いた。


 あ、あの子供は、超特級戦士スペシャルマンのおもちゃの剣が置いてあった店の子――っ。


「わたくしは間に合わない。でもあなたなら。さあ、決めなさい」


 私を見据える鋳薔薇さん。


 恐怖感はある。

 今まで感じたことのないくらいに。

 でも迷いは一切なかった。


 


「私、行きますッ!!」

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