娘を名乗る女性

三鹿ショート

娘を名乗る女性

 仕事から集合住宅に帰宅すると、見知らぬ女性が私の部屋の玄関扉を背にしながら座っていた。

 彼女は私を認めると同時に、警戒心をまるで感じさせない笑みを浮かべ、

「待っていました」

 彼女はそのような言葉を吐いたが、私には待ち合わせの予定は無かった。

 首を傾げる私を目にすると、彼女は何かに気付いたように口を開け、頭を下げた。

「申し訳ありません。説明をしていませんでした」

 顔を上げると、彼女は口元を緩めながら自身を指差した。

「私は、あなたの娘です。この世界から何十年も先の未来からやってきました」

 激務が続いていたあまりに、私の脳味噌に異変が生じてしまったのだろうか。


***


 見知らぬ上に意味不明の言葉を発する人間を家に入れるわけにもいかなかったため、私は近所の喫茶店に彼女を連れて行った。

 彼女の言葉を信ずるのならば、過去の世界に存在する喫茶店という場所が珍しいのか、興味深そうに店内を見回している。

 注文した珈琲が運ばれ、それを何度か口にした後、彼女は切り出した。

「突然のことで困惑されているようですが、私があなたの娘であることは事実です。しかし、当然ながらこのようなことを話す人間を簡単に信じることができないという思考は理解できます」

 私は首肯を返した。

「それは当然である。何か証拠でも見せてくれれば、きみを全面的に信用することができるのだが、何か持っているかい」

 未来の人間など存在するわけがないと考えながらも、彼女に合わせるような言葉を発したところ、彼女は残念そうに首を横に振った。

「未来の持ち物を過去に持ち込むことは、禁じられているのです」

「では、きみが身につけているものはいいのかい」

 私が彼女の衣服などを見ながらそう問うと、彼女は頷いた。

「私が着ているものは、全て古着を売っている店で購入したものです。聞いた話によると、この時代と同じものだとか」

 確かに、彼女が着用している衣服からは、未来らしさを感じない。

 未来らしい服装といえば、光沢があり、身体の線が明らかであるようなものを想像するが、彼女は近くの店で売っているようなありふれた衣服を身に纏っている。

 その点においては納得したが、

「そもそも、きみはどのような方法で、過去にやってきたのだ」

 私の問いに、彼女は腕を身体の前で交差させると、

「それが、最も明かしてはならない内容なのです。加えて、未来の連絡手段などといった、この時代の技術に大きな変化をもたらしてしまうような内容は、一切明かしてはならないと、時間旅行の法律で決められているのです」

「だが、私の娘であるということは、伝えてもいいのか」

「母親が誰であるのかを明かさなければ、問題はありません。あなたの妻となり、私の母親となる人間の素性を明かしてしまうと、あなたは何をしても妻と出会うことができると考え、あなたの日常には余裕が出来てしまいます。それが妻との出会いに影響する場合も存在するために、個人情報を伝えることはできないのです」

 一理がある説明だった。

 私が将来結婚する相手を知ってしまえば、おそらく私は異性との出会いに手を抜いてしまい、結果として自らを磨くことを止めてしまうだろう。

 その様子を見て、未来には私の妻となるはずの女性の嫌悪感を招いてしまい、眼前に座る彼女が誕生しない可能性もありえるのだ。

 未来に関する情報を得ることができないということに対して、とりあえずは納得した。

 しかし、疑問は未だ残っている。

「きみは、何故過去にやってきたのだ」

 私が疑問を発すると、彼女はそれまでの態度を一変させ、神妙な面持ちと化した。

「私の父親となる男性がどのような人間なのか、この目で確認したかったのです」

 彼女の口ぶりから察するに、未来の私は、娘である彼女と満足に過ごすことができていないということなのだろうか。

 もしかすると、彼女が生きている時点で、生命活動を終えている可能性もある。

 だからこそ、彼女は父親という生物がどのようなものなのかを知りたかったのかもしれない。

 だが、娘や妻どころか、交際相手も存在しない私が、彼女とどう過ごせばいいというのだろうか。

 その困惑が顔に出ていたのだろう、彼女は私を安心させるように口元を緩めると、

「あなたがどのように生活しているのか、教えてくれれば、それで構いません」

 この際、彼女が未来からやってきた私の娘なのかどうかはどうでも良かった。

 私に関心を持ってくれる人間と出会った機会など、数えるほどしかなかったため、私は彼女にこれまでの人生を語った。

 学生時代に加入していた部活動や、大学の入学試験で想像以上の点数を獲得したことなど、失敗談を少なく、自慢できる内容を多く語った。

 彼女は相槌を打ちながら、飽きる様子を見せることなく、私の話に付き合った。


***


 宿泊施設に向かおうにも、彼女はこの時代の貨幣を所持していなかった。

 ゆえに、私は彼女を自宅に泊めることにした。

 異性を自宅に泊めたことは一度も無かったため、私は緊張してしまったが、真相は定かではないものの、相手は娘を名乗る人間である。

 いくら成長の過程を目にしていないとはいえ、実の娘を相手に劣情を抱くなど、父親として最低以外の言葉が見つからない。

 そう考えると、途端に緊張が消失した。

 しかし、一応は別々の部屋で眠ることにした。


***


 繁忙期は既に過ぎていたため、私は休みをとり、彼女に街を案内した。

 未来とは全く風景が異なるのか、彼女は目を輝かせていた。

 何に対しても興味を抱く様子は子どもそのもので、彼女を見ているうちに、私は本当に彼女が娘であるかのような感情を抱き始めた。

 だからこそ、彼女が未来に帰ると聞いたとき、寂しさを覚えていたのだろう。

 帰還の方法を明かすことはできないため、私は集合住宅の前で彼女を見送った。

 彼女の姿が見えなくなるまで外に立っていたが、やがてその背中を見ることができなくなると、私は家の中に入ることにした。

 だが、その瞬間、何者かの叫び声が聞こえてきた。

 彼女が暴漢に襲われたのではないかと不安になり、私は駆け出した。

 曲がり角の先で、二人の人間を目にした。

 一人は地面に倒れ、一人は倒れた相手に馬乗りになっている。

 襲われている人間が彼女ではないことに安堵したものの、その状況を見過ごすことなどできず、私は馬乗りになっている相手に体当たりをした。

 相手は地面を転がっていったが、その勢いで、逃げ出していった。

「大丈夫でしたか」

 倒れていた人間に手を差し伸べると、相手は感謝の言葉を口にした。

 そして、私と相手は互いの顔を見た瞬間、同時に声を出した。

 相手は、学生時代に親交のあった女性だった。

 目立つような人間ではなかったが、よく見れば顔立ちが整っており、我々男性陣の間では密かに人気のあった女性である。

 成長した今、その美貌には磨きがかかっているが、服装から察するに、大人しい生活を送っているのだろう。

 女性は私に頭を下げ、謝礼のついでに昔話がしたいと口にした。

 もちろん、断る理由は無かった。


***


 見知らぬ人間から救ったことがきっかけで、私と女性は交際を開始し、やがて娘が誕生した。

 私は彼女から名前を聞いていなかったが、これから命名するものが、彼女の名前と同一であるのだろう。

 寂しげな彼女の姿を思い出し、私は、娘との時間を大事にしようと心に決めた。

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娘を名乗る女性 三鹿ショート @mijikashort

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