後日談

私はかつて、増毛と名乗る女性に師事し、そして、僅かな恋心を抱いていた。彼女からは多くのことを学び、時には事件に巻き込まれ、幾多の非日常に巻き込まれた。だが、それももう10といくつかの年より前の話だ。


結局、あの後彼女に会うことは無かったし、連絡も来なかった。何もかもが謎で、知らないまま。だが、たった今、かたんとポストが揺れる音がした。玄関に向かうと、我が家に一通の手紙が届いていた。


そこには、増毛より、と書かれていた。彼女らしく、写真も添えられていた。ばっさり切った髪は、別れの時よりも伸びており、少し疲れたような笑顔で、手を振っていた。


手紙の全文は、こうだ。


【拝啓上幌向君

久しぶりだね。君の師匠、増毛だ。あの日は、突然の別れになってしまって、申し訳ない。私の家はかなり厳しくてね、自由に遊びすぎたせいで、無理やり連れ戻されてしまったのさ。


今は、親の仕事を手伝わされている。特定されて、君に来られても困るから、詳細は伏せるけれども。


さて、本題だ。単刀直入に言おう。私は君が好きだ。今も昔も変わらずね。その理由を教えてやろう。


僕はあの時、大学を中退したばかりの20歳でね。親に関わる全てをこっそり処分して、ばれないように北海道に逃げていた。その行きの飛行機で読んだ本が、四畳半神話大系ってわけさ。


だが、言動が前からなのは変わらないよ?昔の家庭教師が、私のような女でね、彼女から教わった自由と楽しさを満喫するために、逃げ出したのさ。


その家庭教師が何者で、今どこにいるかも知らないが、まあそれは余談だ。


そうそう、君がいつも気にしていた収入と家だがね、親に反抗してこっそり続けたバイトと、あの生活の中で少しづつ稼いでいたんだ。家も、仲良くなった人の家事を手伝うことで、何泊か泊まらせてもらっていたのさ。昔とった杵柄というか、まあ厳しい教育の賜物さね。


閑話休題。そうして、札幌にやってきて、一番に仲良くなり、こんな私を師と仰いだ君に、私はとても惹かれた。いつも楽しげに、私の行動をじっと眺めては夢見る少年のように目を輝かせる君に。あの時君に渡したスマホとアプリは、いつかに備えていたものだ。私の友達として、同志として私の逃走を手伝ってもらうために。


そうして、君と出会い、あの生活をする中で、私は君を好いていた。もし、この生活が終わることになっても、君のところにいればきっと安心だって。けど、そうはいかなかった。


君に残したメッセージを送ってすぐに、私の持ち物は全て没収された。いつの日か、君の家に泊めてもらったときにこっそり書き残した住所のメモは、何とか守りきったが、その後何年も失くしてしまっていた。


そうして、つまらない、どん底の人生が始まったのさ。けど、この生活も、もう終わりだ。


先日、その住所を書いたメモを見つけてね、早速、手紙を書いているんだ。いつ頃届くか、それはまだわからないけれど、もし手紙が無事に君の手に届いたなら、返事を返して欲しい。また、あの時のように喜んだ写真も添えて。


では、そろそろ終いにしようか。またいつか、最愛の人。増毛より 敬具


追伸 今すぐ引越しの準備をしなさい】


読み終えたと共に、もう一度、かたんとポストが揺れた。…もしかして、なんて淡い期待と共に玄関に再び向かうと、そこには


【寒いから早く来てくれ】


…小さく溜息を吐いた。いつだったか定かでは無いほど前に、好きだと言っていた酒を片手に、玄関を飛び出した。


家の前には、小さな公園があり、雪をほろえば冬でも座って待つことが出来る。


その公園の椅子に、夏用の浴衣を着た、阿呆で馬鹿な絶世の美女、増毛が座っていた。


「やぁやぁ、上幌向君。早速だけど、またまた親元から逃げてしまってね。本格的に行き場が無いから匿ってくれよ。」


にやにやと、楽しそうに腕を組む彼女に酒瓶を投げ渡して、背を向けて歩き去る。


さくさくっと、軽快に雪を踏み抜いた彼女は、嬉しそうに私の髪を撫でて


「年下にこーんな風に頭を撫でられて、哀れだねぇ」


なんて笑いながら、並んで家に帰った。全く、この女はいつまでも変わらず、素敵な私の師匠のままなのであった。

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奔放明媚 鈴音 @mesolem

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