僕がこの魂を売り渡す日
ブロッコリー展
🐱
「コン、コン」と声だけでノックがあった。
雑種長毛猫のジェーン・グロリアーナが玄関先まで迎えに来たんだろう。
僕は返事をしてから移動して玄関のドアを開けた。
「どうも」なペコリをした彼女がそこにいた。
ジェーン・グロリアーナはこの前言っていた。猫は決してノックをしない、と。最大限、相手がドアを開けたくなる方法を考え抜くのが猫だ、と。
だからそういう意味で今日は特別な日なんだと思う。
なにしろ今日は僕が魂を売り渡す日なのだから。
「やあ、約束通りだね」僕は笑顔を作った。
「ええ、仕事ですから」と彼女は長いしっぽを横に滑らせながら言った。
ジェーン・グロリアーナとはこの日に向けて何度か打ち合わせをした。魂の売買の仲介は猫という決まりがあるらしい。僕は昔、彼女に似た猫を飼っていたことがあった。そのことを話したら、彼女はなぜか機嫌を悪くした。
聞いてなかったことがあって聞こうとしたけど、やめた。正装の方がいいのかどうかを。
魂を売るのに正装もへったくれもない。
カジュアルな格好で行くことにした。
長らく社畜をしていたので開放感に不感気味だった。
どんなに頑張っても変わらないものがあると知ったら、変われた。
上がっていくか聞くと、すぐに出発だとのこと。行き先は特に知らされていない。きっとどっかにロンドンの保険市場みたいな大きな魂市場があるんだろう。
彼女が首からぶら下げてきたタブレットで最終同意確認書を読んで、電子サインする。
「じゃあ、行こうか」と僕が言った。いい天気だとその時思った。
ジェーン・グロリアーナは何か言いたげに僕を見上げていたけど、「ええ、行きましょう」と言って先に歩き出した。
見慣れた街がもっと見慣れたものに見えた。長い社畜生活は僕をいろいろと変えた。失ったものから数えた。
彼女は無言だったし、僕も無言であとをついて歩いた。彼女は途中からぴょんとブロック塀に飛び乗ってそこからはそこを歩いた。
壁に落書きがある。“you're kidding”
「ねえ」と壁の上のジェーン・グロリアーナが言った。
「なんだい」と僕は彼女を見上げながら歩いた。
「やっぱりやめた方がいいんじゃない?」
彼女はさっきまでの猫早歩きをやめてゆっくりになって前を向いたままそう言った。
「キミたちのビジネスだろ」
「わたしは連れていくだけの仕事」彼女は伸びをして止まった。だから僕もいったん歩みを止めた。
「立派な仕事さ」
少なくとも僕がしていた仕事はとても社会に奉仕すると言えるようなものではなかった。
そして僕はバリバリ働いた。
そこで彼女が、さっと、美しく塀から飛び降りて僕の前に僕を向いて4本の足で立った。
「あなたはまだやり直せるわ。んん、やり直せるという言い方は変ね。なんていうか……、とにかく考え直してみるべきよ」
「どうしたっていうんだい」
さっきよりも素晴らしい天気に僕には思えた。
「わたし今までで一度だけ連れてったのを後悔した人がいるの、その人にあなたが似ているの。魂を売り渡すとどうなるか知ってる?」
「魂を売り渡せばなにも知らずに済むんだろ?」
僕は笑顔を作った。作れた。
「あなたはまだ何かできるわ」
もじもじとした動きをするジェーン・グロリアーナはとても可愛いらしかった。
「ありがとう、でももう決めたんだ」
僕はすでにシュールリアリズム離れさえしている。今や素描的な現実くらいしか現実的に見えない。
春休み中の子供達がはしゃぎながら通り過ぎて行った。子供達は「このあともう何もすることがないけどどうする」かを互いに心配しながらも楽しそうだった。
ジェーン・グロリアーナと僕はそのあともしばらくそこで話し合った。
答えは出ているように思えた。
彼女はほとんど猫の鳴き声になってまで僕を説得した。
してくれた。
もしかしたらこれも魂をうまく高値で売り捌くための方法なのかもしれないと訝るほど僕は重症だった。
僕がこの魂を売り渡す日 ブロッコリー展 @broccoli_boy
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます