第4話 海女様 3/3

 気付くと夜が明けていて、窓とシャッターの隙間から部屋の中に細かい朝日がこぼれていた。時計を確認すると午前5時頃だったと思う。あれからボーっとしていたが、ハっと我に返ると色んな考えが頭を巡った。Bはどうなっただろうか。俺達は助かったのだろうか。


「ガチャ」

そんなことを考えていると、いきなり部屋のドアが開いた。一瞬身構えたが、そこにいたのは旦那さんとBだった。

「終ったよ。もう大丈夫だ」

旦那さんが口を開いた。俺と同じ人間がすぐそこにいて、俺と同じ境遇のBが無事に生きている。旦那さんとは初日に挨拶をして以来ほとんど話してなかったが、こんなにも優しい声をしていただろうか。俺は安堵して、その場にへたり込んでしまった。


「おいA、よかった……」

「B、お前何ともないのか?」

「見ての通りまだ死んで無いよ」

「本当に良かった……」


 物恐ろしい事態を終えた直後で言葉が詰まり上手く話せなかったが、互いの無事を確認することが出来、少し涙ぐんだ。だが、疑問が一つ残っている。

「あの、まだ早朝ですよね? 昼まで出てくるなと言われたんですけど……」

「取り敢えず行こうか」

こちらに顔を向けず、声だけが聞こえた。


旦那さんは俺とBを連れて旅館を出ると、歩きながら話し始めた。

「君たちはもう安心していいよ。それでも念のための処置もしておいた方がいいからね。今から連れて行く」

「処置って具体的に何をするんですか?」

俺が聞き返すと、旦那さんは少しの間をおいて語った。

「神社だよ。海女様の事件が起きたらいつもそこに頼ってる」

へー。でも今回それっぽい人たちは見なかったなー。なんてボーっと考える程度には精神が安定してきて、ふと気になってたことをBに聞いた。


「そういやさっき聞きそびれたんだけど、本当に無事か? お前がいきなり叫びだしてマジで心配したぞ」

Bはキョトンとした顔で俺に聞き返してきた。

「叫ぶって何のこと?」

「いや、お前が隣の部屋からわざわざ話しかけて来たんだろ。で、忠告の意味も含めて壁ドンした直後に……」

俺が話し終える前に、Bが口を挟んできた。

「さっきから何いってるの? 隣の部屋って何のこと? Aは1階、僕は2階の部屋で一晩過ごしたんだぞ?」

頭が真っ白になった。え? でも確かにBの声で…… ここでようやく気付いた。何も考えずただ旦那さんの後を歩いていた自分に嫌気がさす。

「あの、旦那さん。俺達どこに向かってるんですか?」

意識していなかったが、おそらく険しい口調でそう問いただした。なぜなら、俺達も進行方向には海しかない。


 こちらを振り向いた旦那さん、いや、旦那さんの姿をした奴の顔はまるで死人のように青白くくすんでいて、口角を限界まで釣り上げながら生気のない不気味な顔でニターっとほくそえんでいた。


******


 目が覚めるとベッドの上にいた。旅館の布団ではない。上体を起こすと目の前にある大きな窓から日光が差し込んでいて、白い壁と天井に反射した光が部屋全体と腕に繋がれた管を明るく照らしていた。ばらくするナースさんが部屋に入って来て、その後診察やら検査やら色々大変だった。

次の日には大部屋に移された。そこにはBだけでなくCもいた。正直、再びCに会えるとは思っていなかったから嬉しさよりも先に驚愕してしまったが、とにかく俺たちは再開を喜んだ。


 同日、女将さんたちが面会に来てくれた。俺たちは疑問に思っていることを片っ端から聞いて行った。


 まずは、16日早朝の出来事についてだ。


「私たちも驚いたんだよ。昼になっても二人が部屋から出てこないから見に行ったらもの家の空だったんですから。」

「では、やはりあの朝俺たちを迎えに来たのは旦那さんではないのですね?」

「当たり前だ。」

返答を聞いて思い出したのだが、旦那さんは威厳のある声で話人だ。あの朝に聴いた声を思い出して再びゾっとした。


 あの出来事から数日経ち、皆が海女様の魔の手から逃れることが出来たためだろうか、最も引っ掛かっていた事をすっかり忘れていた。

「海女様って女性の容姿をしているんですよね? それじゃあ旦那さんに化けて俺とBを誘い出したのは?」

 誰も明確な回答を持ち合わせていなかった。これに関しては後述しようと思う。


 その後も海女様について一通り教えてもらった。以前あった海女様の被害についての話や、〇〇(旅館のある場所の地名)に伝わる伝承とかだ。聞いた内容をまとめて以下に記す。


******


 この地域には、昔から海に出没する女に関する奇談が絶えなかったそうだ。その起源は定かではないが、

“婚姻関係のもつれから心を病み入水自殺した女の霊が生前思いを寄せていた相手を探し、手に入れるため、何人もの男を海に誘い込んで溺死させている”

と言うのが遠い先祖の代から伝えられている伝承だと言う。事実、男性が不自然な経緯で行方不明となり、のちに水死体で発見されると言う事件も頻発していた。そして、いつからか海女様の存在が噂されるようになった。


 海女様には特徴がある。

あらゆる女に化けることが出来るのも、その一つだ。この能力は外見だけでなく、声や記憶なども再現可能らしい。かつて、溺れかけていた男を救助した際、自分の妻や娘、あるいは姉妹に誘われ海へ入ったと主張する者が後を絶たなかった。しかし、名前の挙がった女性に尋ねると、どうも男の話とつじつまが合わない。今風に言うと、アリバイがあるという事だった。このことから、海女様は女に化ける能力があるとの見方が強まった。

 また、海女様は女性の前には現れない。生前のトラウマによるものだろうか、女性は苦手らしい。だから海女様の被害に遭ってきたのは常に男性のみのグループで、女性を含むグループが海女様の被害に遭遇していない。

 3つ目、お盆を過ぎれば比較的安全である。

 

 と言うのが、聞いた話をざっくりとまとめものだ。今にして思えば、初めてこの地域に到着した時、俺たちに話しかけて来た老人は海女様の存在を知っていたのだろう。だとしたら、あの「女を連れて来い」という極めて余計なお世話な発言に合点がいく。


 しかしながら、今回の件でこの言い伝えに間違いがあると判明した。

 まず、女性に化けるという点だ。おそらく、「女の霊」の話の影響が大きすぎたのだろう。また、被害にあうのが男性と言うのも関係していそうだ。いつの間にか、女性に化けると言う風説が流布されたのだろう。Cが行方不明になったあの晩、俺が沖の方で見た波に揺られて浮かんでいるCの姿、あれも恐らくは海女様。まず美咲ちゃんの姿で俺を誘導し、その後俺の前から姿を消した。Cを沖の方に見つけたのはその後だから、つじつまが合う。

 女性の前に現れないという話も、海女様=女と言う偏見がある限り、生きてる人間の女性の前に男の姿で現れたとして、誰もそいつを海女様だと考えもしないだろう。

 3つ目に関しても、根拠がない。これまで被害に遭って生き延びた人たちを追跡調査してその後の生死を確かめたわけではない。俺が思うに、夏、特に長期休暇を取りやすいお盆の時期になると海水浴客が増え、その結果、海女様が人間に遭遇する確率が上がる。だからその他の時期と比べて海女様の被害がお盆に集中していた。その結果、お盆以外に被害が少ないからお盆を過ぎれば比較的安全だと言う風潮が強まったのだ。


 海女様と言う超自然的な存在を受け入れた上で、不審な点はまだある。

 上記の内容から推測するに、以前は毎年のように海女様の被害に遭う人がいたはずだ。では、なぜここ30年での被害が俺達だけなのか。地元の人間でもその存在を疑うほど長期に渡って被害がでなかったのか。

 何故あの岩場で海女様関連の事件が頻発するのか。もしかして、言い伝えに出て来た入水自殺をした女はあそこから海に入ったのではないか? だからあの場所が事件現場になったのではないかと邪推したりもした。

 因みに、海女様を祭ったり管理する神社があるかと尋ねたが、そんなものはないらしい。


******


 俺達3人が全員入院したことで、バイトの続行は不可能になった。もちろん、体が回復しても戻る気にはなれなかったが。退院して直に俺たちは家へ帰った。


******


 あれから10年経つが、俺は未だに海へ行くことが出来ない。いや、本当のことを言うと5年前に1度だけ行こうとしたことがある。でもビーチからそれほど離れていない場所でも、女性に話しかけられたりすると当時の恐ろしい記憶が脳裏をかすめた。


 長くなったが、これが俺の経験した話。忠告しておくが、もし心霊現象に遭遇したらもう二度とその地へ行かない方がいい。5年前の話、実は〇〇に行ったんだ。美咲ちゃんに貰ったお守りが真っ黒に変色していたから、海女様関連で何か事件があったのかと考えた。でも旅館に着く前に逃げ帰って来た。その日以来、時折脳がある言葉の反芻を止めてくれなくなる。


「見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた

 見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた

 見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた

 見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた」


気のせいだと思いたい。

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怪談短編集 紫水Shisui @zishui

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