第3話 海女様 2/3
「目を覚ましたぞ!」
気づいたら、俺は畳の上で横になっていた。何が起きたかさっぱり分からない。混乱してる中、部屋に色んな人が入って来た。女将さん、旦那さん、美咲ちゃん、B。他にも知らない人が何人かいる。
「何があったか覚えてるか?」
旦那さんが重々しく聞いて来た。俺は、美咲ちゃんに呼ばれ、沖の方にCが浮かんでるのを見つけて助けようとした。気付けばここで寝ていたと話した。
「私、A君に話しかけてないよ!」
美咲ちゃんが半泣きになりながらそう叫んだ。
「ああ、ずっと俺たちといたぞ」
地元の人のその言葉を聞いて、俺はどうにかなりそうだった。何が何だか全く分からない。ここでようやく岩場の事を思い出した。だが、どうやらBが先にゲロっていたらしい。
「あの、Aが起きたら話す事って何ですか? 早く教えて下さい!」
Bは半分パニックになりながらそう捲し立てた。何かに怯えているのがひしひしと伝わってくる。
「話す事って何ですか?」
俺も聞いた。恐怖から逃れるためなのか、不安で不安で仕方なかったのか、兎に角その時は何でもいいから情報が欲しかったんだと思う。
それから女将さんの話を聞いた。要約するとこんな感じだ。
一昔前までは、ここのビーチでよく観光客が溺死体で発見されたり、死ぬ一歩手前の事故が起こっていた。これらの事実が悪評となり、良いビーチの割に昔から人が余り来ないんだそうだ。そして、稀にさっきの俺の様に不可解な行動をとる者もいたそうな。
そういう人達に訳を尋ねると、ある共通事項が見えて来たという。彼らは言葉をそろえて、女性に誘われ海へ近づいたと主張していたのだ。その女性が、気の許し合える肉親なのか、恋人なのか、その場で出会った美女なのか、場合によってまちまちではあるが、女に化けて男を海に引き摺り込もうとすると言う点は同じらしい。また、夏の一時期にこの周辺、特にあの岩場に現れることが多い。これらの特徴から、「海女様」と呼ばれている。
正直、半信半疑だった。だが、現に俺は死にかけCも依然行方不明のまま。それに、俺の記憶と地元の人や女将さんたちの証言が矛盾しているという否定しようのない現実。さらに周囲の大人たちが皆一様に恐怖し動揺している様を目の当たりにして、本格的にヤバい事態に陥っていると理解した。
ここで一気に海女様の話が現実味を増してきて背筋が凍った。あの時の女の子が海女様!? そしてC捜索中に俺に話しかけてきた美咲ちゃん、いや、美咲ちゃんの姿を模したあいつも!?
「Cが女の子と遊びに行ったきり帰って来ないから、もしかしたらと思っていたんだよ。でも、今A君が海で溺れかけた話を聞いてはっきり分かったよ。海女様だ」
女将さんはそう断言した。
「何でもっと早く教えてくれなかったんですか! そうしたらこんな事にならずに済んだかもしれないのに……」
Bが泣きながら弱々しく責め立てた。
「最後に海女様の被害が出たのは30年も前のことだったと聞いていた。それもよくある年寄りの噂話として……まさか実在するなんて……」
どうやら、地元の人でも海女様の存在を初めて知る人も多いらしい。
「それで、どうすれば良いのですか?」
この俺の質問に帰ってきた答えは、余りにも救いようが無かった。
「本当にごめんなさい。海女様を祓うための明確な方法は無いんだよ。」
女将さんは申し訳なさそうな顔をしていた。部屋中の空気が重く、淀んでいくのが分かる。女将さんは続けてこう言った。
「でも、もしかしたら助かる方法があるかもしれない」
「もう何でもいいです! 助かる可能性があるなら!」
Bが泣きながら言った。俺も正直死ぬほど怖いが本当に死ぬよりは幾分マシだと実感した。既にCが行方不明、と言うかこれまでの話を聞く限り恐らくこの世には居ないだろうと察しがついてしまったのだ。
「それで、どうするんですか?」
俺が質問した。女将さんが答える。
「さっきも言った通り、助かる方法が確立してる訳ではないよ。でも、いままでに海女様の魔の手を逃れた人もいる。その時は、ただ部屋にこもって海女様が興味をなくすのを待ったんだよ。それも一切の声を上げずにね。海女様はあらゆる手を使ってあんた達を海に引きずり込もうとするからね。誰に何を話し換えられても一切反応しちゃいけないよ。もし声掛けに応答してしまったら、さっきのA君みたいに、自分でも気づかない内にやられてしまうよ」
「どれくらい部屋に入っていればいいんですか?」
Bが恐る恐る聞いた。
「分からない。伝承ではお盆の時期が過ぎた後の被害はほとんど聞いてないよ。今日が8月15日だから明日の昼まで生き延びれば安全だと思うけど……」
因みに、30年前、女将さんがまだ二十歳の頃にも俺達と同じようにこの地へ赴いた3人の男が海女様に魅入られたが、今女将さんが話した方法で全員生還できたらしい。詳細な仕組みは分からないが、経験則的にはこれが最善策なのだ。
ここで、地元の人が聞いてきた。
「海女様はA君とB君のどちらに憑いてるんだ?」
どちらも何も、両方じゃないのかと思ったが、言われてみれば確かに俺とBとC全員に憑いてる確証はない。でも……
「でも、それがどうかしたんですか? どちらに憑いていようが危険な状態には変わりないですよね」
「そうね。でも、もし片方にしか憑いていないなら、わざわざもう一人を危険にさらすわけにもいかないわ。俺君とB君は別々の部屋に入ってもらうことになるよ」
その返答に俺もBも絶望した。明日の昼まで、たった一人で恐怖と戦わなければならないのかと。Bは嗚咽交じりの声を上げて床に突っ伏していた。俺もそうしたい気分だった。
あまりグダグダしてる訳にもいかないと言うことで、すぐに部屋に移動するよう言われる。俺はやることがあったので、Bには先に行ってもらった。俺は美咲ちゃんのところへ行き、先の件の謝罪をした。本人も良い気分ではなかっただろうが、美咲ちゃんはもちろん許してくれた。また、この時お守りを返そうとしたが、気休めにでもなればという事で、貰う運びとなった。俺はBより少し遅れて廊下に出た。
部屋の前まで、女将さん、美咲ちゃんが一緒に来てくれた。
「いいかい。明日の昼まで誰も俺君に話しかけることはないよ。くれぐれも気をつけてね」
「俺君、頑張ってね……」
女将さんと美咲ちゃんが元気の無い声ではあったが、俺を励ましてくれた。
******
部屋に入ると、そこは薄暗い8畳ほどの和室だった。入ってすぐ右側に押入れが、左側にはユニットバスがある。部屋中の窓ガラスの内側にはシャッターの様なものが取り付けてあり、外は完全に見えない状態となっている。電灯はLEDではなく、電球から垂れる紐でつけたり消したりする一昔前のオレンジ色っぽい明り。電灯が揺れると部屋のあらゆる場所の影も動いて、なんとも不気味な雰囲気を醸し出していた。正直、この時点でだいぶ気力がそがれてしまった。
部屋に入りしばらくすると、恐怖との闘いが本格的に始まった。俺が声を発することが出来ない以上この部屋は不気味なほどに静まり返っていて、時計の秒針の音だけが嫌に大きく聞こえる。
「ガタッ」
一瞬で鳥肌が立った。物音のした方を振り向くと、棚に並べられた本の列が少し崩れていた。
いや、これは怪異ではなく本当にちょうど今、偶然起こっただけだと思う。そんなことは頭では分かっていても、いやな想像が脳裏をよぎる。そして異様で不気味な静けさがその想像を加速させた。
この無音の部屋の中で常に全身の神経を尖らせ、少しの物音にも過剰に反応してしまう。これでは精神が持たない。部屋の中にあるテレビをつけて気を紛らわすという発想が、今ようやく訪れた。
テレビを点けチャンネルを回すとトーク番組がやっていた。何人もの賑やかな話声がテレビから聞こえてくるおかげで、つい先ほどまでより随分気が楽になった。
目を覚ました。時計を見ると深夜の2時頃だ。テレビを点けて安心してしまったのだろう、いつの間にか眠りについていたようだ。それにしても嫌な時間に起きてしまった。テレビは放送時間を終えて画面が砂嵐になっていたので消した。気付けば、再びあの無音の中にいたのだ。
「俺君、起きてる? 大丈夫? 怖くない?」
当然声が聞こえた。ドアの方からだ。これは間違いなく美咲ちゃんの声だ。でも、違う。分かっている。昼まで誰も話しかけてくることはないんだ。
「どうしたの? 返事してよ……」
また聞こえた。今壁一枚挟んだ向こう側にいるのは海女様だ。俺はひたすら震えるしかなかった。でも、誰しもがそんな状況を耐えきれるほど屈強な精神を持っているわけではない。恐怖に押し殺されそうになり、極限状態になるとある考えが浮かんでくる。
ドアの向こうにいるのは本当に美咲ちゃんなのではないか? 俺を心配して、わざわざ決まりを破って会いに来てくれてるのではないか? そうだ、そうに決まってる。早く返事をしてドアを開けて確かめたい。そこにいるのが海女様じゃなくて美咲ちゃんだと確認して安心したい。
恐怖で上手く声を出せなかったから、腰を上げドアを開けようと一歩を踏み出した。
「チリリリリーン」
音のした足元を見ると赤いお守りが転がっていた。今の音はお守りについている鈴が鳴った音だった。ふと我に返り、腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。ドクドクと心臓の鼓動が聞こえる。もしお守りがポケットから落ちなかったら、そもそも美咲ちゃんがお守りをくれなかったら。そう考えると全身の震えが止まらない。だが、気付けばもう俺に話しかけてくる声は聞こえなかった。
******
それから少し経って、時計を見ると午前3時くらいだった。お守りのおかげだろうか、あれから不審な事は何も起こっていない。先の恐怖を乗り越えた俺は、もしかしたら、このまま何も起こらずに朝を迎えることが出来るかもしれないと希望を抱いていた。
「ドンドンドン!」
隣の部屋から不意に壁を叩く音が無音の空間に広がり、全身に緊張が走る。
「おい、俺、聞こえるか?」
隣の部屋からBの声が聞こえた。怯えているのだろう、その声はか細く震えていた。
「おいA、返事してくれよ…… 怖いよ、一人は嫌だ。」
声を出すなと忠告されたが、もうそんなことは関係ないのだろう。
何とかして俺の意思を示す必要があると思った。
「ドン!」
俺はBを助けるため、意を決して隣の部屋に接する壁を叩いた。Bの声が聞こえなくなり、一瞬沈黙が空間を支配した直後、
「見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた
見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた
見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた
見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた」
B、C、美咲ちゃん、女将さん、旦那さん、色んな人の声で、しかし全く抑揚のない感情のこもっていない声が隣の部屋から聞こえてきた。
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