第2話 海女様 1/3
8月。このレジャーシーズンに同僚や親、親戚なんかは皆浮足立っている。俺も誘いがあれば必ず同行する程度にはアウトドア好きだ。それでも、海だけには10年以上行ってない。いや、行けなかったと言う方が正しいかな。それにはこんな理由がある。
******
大学生の夏、暇を持て余した俺はこの時期によくあるホラー番組を見ていた。内容は確か、30年前、海水浴に来ていた男子大学生3人が行方不明になったとか。だが俺の思いはそこになかった。
夏だし海にでも行きたいな。
「プルルルル! プルルルル!」
俺が物思いに更けていると、着信音がけたたましく鳴った。
「もしもし?」
電話に出てみると相手は大体想像通りの奴だった。
「よお! 今暇か? 暇だよな?」
この無駄に声がデカいやつはC。大学で知り合った友人だ。
丁度いい、話が終わったらコイツを遊びに誘おうか。
「暇だけど何だ?」
「バイトしないか? 3人で」
やけに唐突な誘いだ。いつものことだが。それにしても3人か。俺とCと、もう1人も予想がつくが、一応確かめておくか。
「もうひと……」
「もう1人はBな!」
Bも大学の友人だ。明るいが少し臆病でもある。いつも通りの3人だ。
「で、何のバイト?」
「海辺の旅館に泊まり込みで働く。時給も良いし、夏にピッタリだろ?」
元々海に行きたかったこともあり、俺はCの話を了承した。
そんな流れで、その後の予定合わせとかはあっさりと決定したのだが、実はCがすでにバイト先と話を付けていたらしい。
******
あれから3日後、小高い丘の上にある出先の最寄り駅から出るとノスタルジックな風景が広がっていた。見下ろすと、古風な民家や商店が並ぶ道を抜けた先に小さな海が見える。ここから15分ほど歩いたところが、俺たちの目的地だ。
緩い下り坂を歩いていると、恐らくは70を越しているであろう男性が声をかけてきた。地元の人だろうか。
「よお、兄ちゃんたち。観光に来たのかい?」
「いや、住み込みでバイトしに来たんス。いいな場所ですね!」
Cは人見知りをしない性格で、こういう時は頼りがいのある男だ。
「そうだろ。折角だから〇〇(この場所の地名)も楽しんでくれ」
「はい、そうさせて頂きます。僕たち此処を下った所にある海の傍の旅館で働くんです」
俺がそう返した瞬間、老人の顔が一瞬険しくなったのを、俺は見逃さなかった。
「そこか……」
少し悩んでから老人は口を開いた。
「もしかしてここにいる男3人だけでかい? しっかりしろよ。彼女でも、なんなら家族でもいいから、女がいなくちゃ折角の海も楽しみきれんぞ」
「はあ……」
陽気な口調でずいぶんとお節介な事を言うもんだ。僅か数秒の内にえらく距離を詰めてきたな。まあ、こう言う知人以外にも遠慮なく話しかけるタイプの高齢者特有の言動ではあるから、イメージ通りと言ったところだ。ただ、何と言うか、この時の老人は、先ほどまでの不穏な表情を隠すように、無理やり明るく振舞っている様な印象も受けた。
そして、少しばかし真剣な面持ちでこう続けた。
「兄ちゃんたち、もし知らん女が海に誘って来たら気をつけろよ。まあ、大丈夫だと思うが……」
何のことかさっぱりだったが、その場は礼を言って先を急いだ。あの老人の言葉や表情がもやもやとした疑問となって頭に残ったが、これから始まる楽しい生活を想像して、気付けば忘れてしまっていた。
******
旅館に到着した俺たちを、若い女の子が笑顔で出迎えてくれた。白い肌に黒髪のロングヘアが似合っている、正に正統派の美少女と言った風だ。こんな可愛い子と一夏を過ごせるなんて、俺はなんて幸運なんだと思った。
「お母さん、Cさん達よ〜」
女の子が奥の方に声をかけると、女将さんと旦那さんが登場。そこでお互いに自己紹介と軽い挨拶を済ませた。ここで女の子の名前が美咲ちゃんだと判明したので、以後、この名前で記述する。その後、俺たちバイト用の部屋がある3階に案内された。因みに、1階と2階は客室が4つずつと多目的室?みたいな部屋が1つずつある。その他、食堂や大浴場などは全て1階だ。これだけの規模を6人で捌けるのかと疑問に思ったが、満室になる事はまあ無いと言われて安心した。堕落した学生に激務はこなせないのだ。
「仕事は明日からだし、今日はゆっくりしていきな」
女将さんにそう言ってもらった。Cは海水浴を提案してきたが、明日からの仕事に備えて、部屋でゆっくりすることに決めた。
******
翌朝6:00に叩き起こされる俺たち。
「さあ、今日からビシバシ働いてもらうよ」
俺たちを起こしにきたのは女将さんだった。霞んだ目を擦りながら朝食の席に着く。
「みんなおはよう」
美咲ちゃんだ。ここで完全に眠気が取れた俺。どうやら、仕入れのある旦那さんを除いた5人で食卓を囲むらしい。
「おはよう美咲ちゃん」
俺がそう返すとすぐ、CとBも挨拶を返した。
朝食中、女将さんが思い出した様に話し始めた。
「雑談がてら聞いて欲しいんだけど……」
「何ですか?」
「旅館の玄関を出たらすぐビーチがあるでしょう? 海岸線に沿って左側に進むと岩場があるの。その辺りは危険だから余り近づかないでね」
「あの、それって海流に飲まれて死者が出たりするんですか? そんなに危ないんですか?」
Bが不安げな表情を浮かべながら質問した。
「いやぁね、昔は死亡事故があったけどここ数十年は聞かないよ。兎に角、近づかなきゃ大丈夫」
女将さんは軽く話してる風だったが、その表情はどことなく真剣に感じられた。確かに命の危険が有ると言えば有るのだろうが……
それから一週間、俺たちは働いた。想定よりも客入りがよく、かなり忙しかった。そして、その多くが今朝チェックアウトしたところだ。
「A(俺の名前)君達、今日はお客さんも少ないしもう上がっていいよ。せっかくだから遊んでくればいいさ」
「本当にいいんですか?」
女将さんの提案にBが聞き返した。
「本当本当」
俺たちは感激した。この一週間の苦労が報われたと。今回バイトの目的は2つ。一つは給料で、もう一つはレジャーだ。
「ただ……」
女将さんが続けた。
「この間話した岩場。大丈夫だと思うけど、できる限り近づかないようにね」
「分かってますよ! 大丈夫です!」
その後すぐに持参した水着に着替えて海へ向かった。俺は着替えに手間取って、C、Bよりも少し遅れて旅館を出た。この時、偶然居合わせた美咲ちゃんは思いついたようにポケットから朱色のお守り出して俺に渡した。
「あっ、そうだ! 俺君、これ持って行って。一応安全祈願しとこ!」
だそうだ。
******
「やっぱ綺麗だなー」
思わず口に出してしまった。
「だろ? しかも殆ど人がいない。このバイトを見つけた俺に感謝しろ!」
Cが自慢げにそう言った。
「本当に人がいないね。溺れでも誰も見つけてくれなさそう」
「Bは相変わらずネガティブな想像ばかりしているな」
そんな風に話していると、1人の女の子が話しかけて来た。これが結構可愛い。
「こんにちは〜。お兄さん何処からいらしたんですか?」
「東京からだよ。君は地元の子?」
Cが乗り気に会話を続けた。そう言えば彼女ができないとか嘆いてたっけ。
「そうですよ。でも友達と予定が合わなくて、皆さん私と遊びませんか」
逆ナンかと思ったが、俺たちは3人、女の子は1人で何とも不釣り合いだ。まあ楽しければいいかと思ったが、女の子(香ちゃんとする)が行こうと誘った所は、例の岩場だった。
「やめようよ。危ない場所なんでしょ?」
Bは反対らしい。
「そうだな、わざわざ危険な場所に近づく必要もないだろ」
俺も同意見だった。普通にビーチで遊びたいとも思ったし。結局、Cは香ちゃんと、俺とBは2人で、別々に行動することになった。
しばらくして旅館に帰って来た俺たちを見て、美咲ちゃんが聞いて来た。
「あれ、Cさんは一緒じゃないの?」
俺とBは先ほどあったことを話した。それを聞いて、何やら怪訝な表情を浮かべていたので、どうしたのかと尋ねた。
「ううん、何でもない」
美咲ちゃんはそれだけ言って奥の方に引っ込んでいった。
思いっきり体を動かし、疲れた体をシャワーで癒した後、大きな窓から降り注ぐ日の光を存分に浴びつつ、アイスを食べながら友達と談笑するのは何物にも代えがたい至福の時間であった。
話の話題は、香ちゃんとCがあの後どうなったとか、美咲ちゃんの方が可愛いとか、あとは海辺での生活が夏のレジャー感満載でこのバイト出来て嬉しいとか、まあそんなだったと思う。だが、この柔らかい空間は突如として終わりを迎えた。
「A君!B君!」
ドアを激しく叩く音と共に俺たちの名前を呼ぶ声が聞こえる。開けると、少し焦った顔をした女将さんが立っていた。
「どうしたんですか?」
と俺が言い終わる前にCについて聞かれた。
「もう19時過ぎてるけど、C君が何処いったか知らない?」
そう言えば、まだCは帰って来てない。ふと窓の外を覗くと空は藍色に染まっていた。
「海に着いてすぐ別れたんで、Cが今どこで何してるか俺たちも把握できていないんです。俺とBは一緒に行動してましたが」
俺が答える。
「もしかして、何かマズイことでもあったんですか?」
Bが恐る恐る聞く。
「この辺りは人も少ないし、普通は暗くなる前に帰ってくるもんだよ。もしかして溺れてるのかも……」
その言葉を聞いて嫌な予感がした。まさかCに限ってそんなことにはならないとは思ったものの、危機感に駆られすぐに皆でCを探すことになった。
旅館を出ると、旦那さんや美咲ちゃん、地元の人も集まっていた。焦っていると普段は見落とさない事に対しても考えが及ばないものだと理解させられる。この時俺とBは、Cが岩場に行った可能性をすっかり忘れていた。
しばらく捜索が続いたが、一向に見つかる様子がない。あの時Cを引き留めていればと激しく後悔していた。その時、少し離れた所にいた美咲ちゃんが大きな声で俺を呼んだ。
「A君!」
「見つけたのか?」
俺が駆け寄ると、
「あそこ!」
美咲ちゃんは沖の方を指さした。目を凝らすが、何も見えない。
「何もないよ」
と言おうと振り返るが、そこに美咲ちゃんの姿はなかった。誰か呼びに行ったのだろうか。
もう一度海へ振り返り海面をよく観察する。
(何だアレ?あそこだけ何か違和感が…いや、Cだ!)
そこでやっと人らしき物体が浮かんでいると分かった。今ならまだ助かるかもしれないと、俺は咄嗟に海へ入った。
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